2014年7月17日木曜日

写真の表現に関する戯言〜ちょっと寄り道

現代人は、情報化社会に生きる人種である。

とりあえず、出掛けちまえばなんとかなるだろうと、時刻表も持たない iPhone 頼りの、古来の乗り鉄から見たら言語道断な姿勢である。

日頃より公共交通機関に乗り慣れていない身で、迷子にでもなって乗り遅れたりでは格好がつかない。

いや、迷子の段階ですでに格好はついていないのだが、岡山駅周辺も昔と違って大きく変貌を遂げている。何かと道を迷わせ、人心を惑わせる要素も増えており、そんな怪異に出会わないとも限るまい。

ま、そのあたりの事情は次回以降に譲り、ここから大きく道に迷うわけだ。

もともと、スーパーいなばと因美線の本文として書き始めたのだが、ちょっと寄り道である。いや、これはもう脱線転覆といった方が相応しいかもしれない。

人心を惑わせる要素といえば、例の某変態カメラに関する情報もそれにあたるだろう。あまりサイト内で製品名を列挙しまくっていては、検索で訪れた方々に誤った情報を植え付けかねない。

したがって、自分自身が怪異とならぬよう、今後ぶっちゃけた話の場合は、極力製品名は伏せることにした。

で、例の新製品、そこに在るはずのモノが写っていない、無いはずのモノが写っているなどと、リアリティ重視の観点からどうよ的な発言をした。

ここでいうリアリティは、嘘偽りでないことを表すリアルとは、まったく別物であるという考え方に基づいている。

リアリティの対義語は、虚構または理想ということになっているが、まさに写真などは虚構そのものであり、写真に対して真実を写し出すことを期待するのは、あくまでも理想に過ぎない。

仮想現実という、まことに都合の良い矛盾した言葉もあるが、ようするに、なんちゃってリアル?みたいなものである。

このような曖昧な側面を受入れないと、写真に関する論議は成り立たない。

写真を見た時、リアリティの感じ方は各々の経験に基づく主観に依るところが大きい。だが、加工されたデジタル写真の罠に嵌まらないためにも、ある程度の共通認識が必要になる。

ぶっちゃけ、商品券と偽札の区別がつかないようでは、日常生活にも支障をきたすのだが、両者の間にある明確な違いは、それが合法か非合法か程度の差でしかない。

それを認識するのは、各々の経験に基づく主観だけでは到底成り立たず、そこには必ず共通認識が存在する。

もともと立体の動画であるはずの現実、それを瞬間的に切り撮ってあたかも現実性を持たせるものが写真であると仮定した場合、そこには少なからず虚構が生じる。

所詮、2次元平面に描写された写真などに、現実の空間を求めても不毛である。それが、自然に見えるかどうかは人それぞれだが、解像感や立体感、奥行き感などおよそ感などという文字が付くものに、絶対基準はない。

したがって、それが自然に見えた時点で、すでに不自然であることを忘れてはならない。

市街地の住宅などを作例とした写真の場合、肉眼で見えているものは、たとえ現実であっても人が短時間に認識できるものは意外と少ない。

しかし、写真に撮ることによって、その瞬間の膨大ともいえる情報量は後から見直すという行為においては、コンピュータの外部記憶装置のような役割も果たす。

撮影時にファインダから見える情報だけしか記録できなかったら、そのカメラは間違いなくドブに放り込まれるほど、デジタルカメラは進化している。

だが、仮に遠方にある住宅フェンス(よくある縦格子のアレね)などを例にとれば、距離が離れることによって一本一本は次第に解像されなくなる。

終いには、一枚の板状のものとしてぼんやりとした、まるで金網のような表現になることが多く、網戸との区別はつかない。

ここで、高画素&高解像度カメラの登場だ。高画素&高解像度が、必ずしも高画質につながらないのは、発展途上であるデジカメのジレンマである。

さすがに拡大すれば格子の数が数えられるほどに解像している点は、生真面目で理論通りである。だが、少し縮小すると、金網を経てどんどん網戸になって行く。これも杓子定規に捉えれば、間違っているわけではないし、そういうものだという共通認識もある。

だが、別々のコップに入った珈琲とミルク、いくら遠くてもカフェオレには見えないだろう、とは某掲示板で見かけた上手いたとえだが、ある意味どちらも正しく、どちらも間違いなのかもしれない。

今現在、気に入って使っている某社のカメラは、こいうった表現はしてくれない。あくまでも、格子状のフェンスに対しては、それが自体がフェンスであろうとするかのような表現をする。

そのためには、多少の嘘もつくし事実とは異なる表現も厭わず、まことに見事な虚像をデッチ上げてしまう。格子の本数など、どうせ見えないだろうと適当に端折ってしまうこともあるのだ。

それは、偽解像と呼ばれセンサ由来の問題点として、他の宗派からは忌み嫌われる要因にもなっている。ナイキスト周波数というらしいが、詳しいことが知りたければ、勝手にググって欲しい。要するに、標本化定理に基づく、再現の限界を越えると怪異が現われるのである。

この怪異、ゴーストとか幽霊とか偽物とか、言い回しはなんでも良いのだが、決して補間と呼んではならない。それは、フォビ厨の間では禁句となっている。もちろん、写真の正しさという点においては全くの問題児であり、客観的に見れば胡散臭さも満開だ。

ところが、明らかに見る者が認識できそうなところは、手を抜かないという真面目で勤勉な一面も持ち合わせる。

路面の状況や道端の雑草、鉄板の汚れや錆など、これでもかというぐらいに細かく描写する。嘘と本当を上手くミックスして、フェンスの虚像ばかりが目立たないようバランスを取るのだ。

それが、如何にもデッチ上げの塗り絵ではないところが厄介で、嘘と分かっていても信じたくなる。バイキュービック法とかニアレストネイバー法とか、そんな訳の分からない法律などに縛られることなく、心を無にすることも必要だ。

その写真を見たとき、経験に基づく主観を以て見たとき、それが多少縮小されようが、紛う事無き格子状のフェンスであることが認識できる。

そして、それを写真のリアリティと感じるのである。

それは建物だけでなく、道路、電柱、鉄塔、岸壁、海、波、岩、雲、山々、遠景の樹木など多岐にわたり、まるで上手い画家のようでもある。

このあたりは例の新製品、解像度は高いが、まことにヘタクソだ。

正しくあろうとして、見たままを再現しようとして、結果嘘っぽいという悲しい現実がそこにある。

同じメーカが同じポリシーで作り上げた結果だとすれば、以前のものは偶然の産物であった可能性もある。だが、問題の本質はそこではない。すでに販売されている製品なんだから、開発の背景に何があったかなど、後書きに過ぎない。

高画素&高解像度のカメラでは、格子の本数も正確に数えられるものさえある。だが、解像度チャートなどでは、ここまでしか評価できない。その写真を見た時に知りたかったのは、決して格子の数ではないはずだ。

もちろん主観が異なれば、重要なのはそれが何かではなく、格子の数であるという意見も少なからずある。他のメーカの方式の異なる機種には、リアリティなど多少犠牲にしても、正しくあろうとするカメラも当然存在する。

それも、選択肢のひとつになっていることは、たぶん喜ぶべきことだろう。

しかし、量産品であるかぎり、その選択肢のひとつが消えてしまう将来を危惧するからこそ、これほど批判的な意見も溢れているのだろうと思う。

中には、重箱の隅という隅を徹底的につついたようなものも存在する。それを大局的でないとして、逆に批判の対象となっているケースもある。

だが、毛髪の末端や服の繊維など、ある写真ではさほど重要には見えない重箱の隅も、風景写真の遠景にとっては、与える影響も決して少なくない。

その取るに足らない細かい情報こそが、微妙な隠し味になり、例の怪異現象の要素になっている可能性もあるからだ。

かつて、OS X が Mac OS と呼ばれていた時代には、アイコンも現在のように馬鹿デカくなかった。

せいぜい、32×32ドットで構成されたお粗末なもので、現在のデジカメの画素数とは比較にならないほどの、細やかな絵に過ぎない。

いや、一般人から見れば、そのドット数で絵を描くなどということさえ、思いつきもしないサイズである。だが、デスクトップに散らばるそのアイコン達は、それぞれに工夫が凝らされ、ひと目で分かる何かを表現していた。

もっと昔は、白黒2値でしかなかったが、それでもそれなりの区別はついていた。それがいつしか、サイズはそのままに色が付き始めた頃から、俄にアートの様相を呈してきたのである。まさにゲージツである。

ユーザレベルでも、ドットによる描画でアイコンを作ることもできたが、なかなかその筋の専門家(多くの個人も含む)が作るようなモノはできない。

その出来の良いアイコンから、少しでも参考にならぬかと、専用ツールまで購入して分析を試みたこともある。初めて拡大して驚いたのは、標準サイズで想像していたモノとは、ずいぶんとかけ離れたように見えるそのドット構成である。

なるほどなるほど、ここをこういうふうにすれば、こうみえるわけね〜、と感心するばかりで、結局自作で実用になるものはついぞ出来ていない。

一時は、写真や絵そのものを貼付ければ、適当にデッチ上げてはくれまいかと期待してやってみたが、どうもドット単位の手作り作品に比べて、数段落ちる出来にしかならない。

今ならアイコンサイズも大きくなって、それなりの表現も可能になったが、さすがに 32×32ドットの時代は、そんな手抜きを容認してくれるほどの情報量がないのである。

要は、いかに限られた範囲でそれらしく見えるようにドットを端折るかというテクニックが必要になる。

黎明期のマックでは、書体(フォント)にもそんな、悪く言えば妥協の産物が存在した。なにせ、9インチビットマップのモノクロディスプレイに漢字を表示しようというのだから、その苦労は並大抵ではなかったろう。

最初の日本語 OS である漢字 Talk では、メニューバーに表示された大阪フォントの「書体」メニューの書は、横線の数が足りていなかった。

しかし、作成者の気持ちを察することはできるし、人間には想像力という強力な、適応性に欠かせない能力も備わっている。

当時のマックユーザの間では、それを心の目で本来の漢字に置き換える特殊技能が求められた。第一水準でさえそうなのだから、第二水準など夢のまた夢の時代である。

お気に入りのカメラが写しだす、その写真を見るにつけ、この芸術的なアイコンやフォントのことを思い出さずにはいられないのだ。

次回こそは、「スーパーいなばと因美線」に戻れる、…と思いたい。



…ということで、ヒトツよろしく。
2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan


http://www.hexagon-tech.com/
[2014.07.17] 写真の表現に関する戯言〜ちょっと寄り道 〜より転載&加筆修正

2014年7月16日水曜日

スーパーいなばと因美線の前振り

ぶっちゃけ、予告するほどのモンでもないのだが、…。

もう、してしまったので後には引けない。

どうもこのところ、以前よりアクセス数が増えたことに調子こいて、ネタを探しまわっているような気がする。

これではイカン、あくまでも自然体であろうとするあまり、前回は少しでもバランスを取るために、端から見れば全く役に立たない個人的な設定などいついて、つい長文を書いてしまった。

ま、話題の新製品に言及すれば必然的にそうなることも、ある程度は予想していた。だが、サンウェイフォトなどと違って、他にも有益な(かどうかは知らないが)情報は溢れ返っているように見える、カメネタである。

所詮、思いつきで書いたごく私的な主観による決意表明など、本来は路傍の石以下の存在でしかない。間違っても参考になどしようものなら、後悔することは間違いないのだ。

で、今回も生粋の鉄から見れば、単なる思いつき、気紛れな撮影行の練習でしかない。

1月の定点観測のついでに行った、鉄撮りの練習で見かけたキハ187系ディーゼル特急「スーパーいなば」も、あれから何度となく撮ってきた。

その出来は、まあ悲惨なものが多いのだが、鉄撮りの練習:其の九で訪れた智頭急行線では、必ずしも期待通りではなかったものの、それ以前に比べりゃ、多少マシな絵が撮れたような気もしている。

岡山発のスーパーいなばと、京都発のスーパーはくとは、何れもJR線を経由している。だが、本来のメイン路線は上郡から智頭までの智頭急行線である。

ネットでぼんやりと時刻表を眺めていて思ったのだが、どうも乗車券の値段というものは、会社によって料金体系も大きく異なるらしい。

岡山発のスーパーいなばを例にとれば、岡山から智頭までの営業距離は 109.9km、山陽本線を経由する岡山~上郡は 53.8km、ほぼ同距離の上郡~智頭 56.1km は、智頭急行線区間である。

運賃は、智頭急行線の1,300円に対して山陽本線の 970円は、たった 2.3km の差でしかないことを考えると、たしかに割安感はある。

ところが、自由席特急料金は智頭急行の上郡~智頭間 420円(均一)に対して、山陽本線の岡山~上郡は、なんと 1,180円もするのだ。その上、座席指定などしようものなら、智頭急行がプラス100円なのにJR西日本だと、520円もの追加料金を請求される。

へ~そうなの、そんぢゃ上郡まで鈍行で行けば安くつくののね~、などと考えている内に、時刻表鉄の気分になって調べてみた。

岡山始発 06:47 の特急スーパーいなば1号(2072D)は、上郡着が 07:23 で発車はその2分後の 07:25 だ。それに先行して、岡山を 06:14 に発車する、糸崎から岡山経由の姫路行普通列車(1722M/1300M)は、上郡着が 07:07 なので、これに乗れば上郡駅でスイッチバックする特急スーパーいなば1号(71D)には、楽勝で間に合う。

たぶん、クハ115系電車と思しき普通列車では、各駅停車なので上郡まで 53分もかかる。その平均速度は60.9km/h であるが、同じ区間 53.8km をたった 36分で走りきる、特急の平均速度は89.6km/h にも相当する。(そりゃ飛ばすわけだわ)

一般的に考えれば、特急料金などというものは乗車時間の短さに対して支払うプレミアム料金である。

ここで、気分を時刻表鉄から乗り鉄に切替えて考えてみると、これはずいぶんと勿体無い話だ。同じ金を払ったら、少しでも長く乗っている方がコスパにも優れてお得なんぢゃね、と。(混じりっけ無しの純鉄ではないので、いつでも切替えができて、なにかと便利だ)

だいたい、環境問題やら効率重視で近代化の旗頭である電車に対して、同じ電化区間をディーゼルエンジンでブッ飛ばす気動車特急など時代錯誤も甚だしく、こんなに面白いモノはない。

これはもう、乗ってみるしかあるまい。ということで、思い立ったが吉日、前回の姫新線でのツケを精算するべく、出掛けてみたのだ。

だが、帰ってから気がついたのだが、あまりにも久しぶりに列車に乗ったため、その行程では写真を撮ることさえ忘れてしまうほどの、舞い上がりようだったのである。

ま、智頭から先はいったいどうするかなど、あんまり考えてはいなかったのだが、…つづく。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.07.16] スーパーいなばと因美線の前振り 〜より転載&加筆修正

2014年7月13日日曜日

7月の定点観測

SIGMA Photo Pro 6 の新バージョン(6.0.3)が公開された。

今回の SIGMA Photo Pro 6、シグマからの案内メールが来て早々に、ダウンロード&インストールしてみた。

矢継ぎ早な更新で、ネタを提供してくれるのは有難いのだが、結論としての感想がいつもどおりなのが残念である。

今回も、初期バージョンより全く改善されていない点が、数多く見受けらる。先月の定点観測から漏れたファイルを生贄にして現像してみたが、大きく変わったところはなく、動作が多少安定したという程度の印象しかない。

少なくとも、メリル世代での使用においては、アプリが落ちなくなった(落ちにくくなった?)点は、大いに評価されるべきであろう。

だが、Exif から日付情報がが欠落したままだし、以前は当たり前にできていた保存ファイル名のコピペさえできないなど、旧来からのユーザの神経を逆撫でする点においては相変わらずであり、およそ改善されているとは言い難い。

古くからのシグマユーザにとっては、このようなことも毎度お馴染らしいが、どうも今回は今まで以上に準備が足りないように見える。

シグマによるクアトロのプロモーションも、サイトやカタログを見る限り、前回のメリルの時のような、これでもか!という圧倒的な魅力を前面に打ち出している感は全くない。

個人的には、DP3 Merrill のプロモーション、例の「プラハ」に崖から突き落とされて、現在に至るわけだが。そんな、感化されやすい性格の弱みをピンポイントで突いてくるような写真は、過去にもコンタックスのカタログなどに鉄板として存在した。

そのたんびに唆されては、たぶんありもしない将来を夢見て、いつかはこんな写真を撮ってみたいと、高価な買物にも無理やり自分を納得させる口実としていた。

で、その将来はまだ訪れていないのだが、その製品自体の寿命が尽きた後にも、次につながる希望として、後々の製品に託される形で受け継がれている。

クアトロがプロダクトとして成功するのかどうかはまだ分からないが、少なくともスタート地点の選択は、大きく間違っていると思う。

遅ればせながら、職業写真家よる作例もいくつか紹介され始めているが、四の五の言わせないパワーに欠けるだけでなく、逆にツッコミどころを与えている印象しかない。

ユーザが写真に期待するのは、チャートで表される解像度ではなく写真の中にある解像感であり、たしかに解像度は常に正義であるかもしれないが、それは手段であって最終目的ではない。

今回のバージョンアップが、新製品のユーザにとってどうかなど、知ったこっちゃないのであまり追求はしないことにしておく。

いまだに擁護派は、dp Quattro の解像感の無さについて、コントラストに対する味付けの違いだろうなどと、牧歌的な論議をしているようだ。必ずや、いつかは SPP がなんとかしてくれるはずだ、と。

味付けねえ…、刺し身にソースをかけて食えと言われても、フォビ厨、いやメリル派としては全く以て受入れ難い話だ。それを好みの違いで片づけられるなら、無国籍な創作料理も、弁当屋の新メニューだっていつかは伝統にはなるだろう。

刺し身にはマヨネーズと決まっているんだから、それを今更新しい味付けだからと言われても、納得できるユーザは少ないだろう。

なに、醤油だと? それぢゃあ、ベイヤになっちまうだろうが。

ま、今回の dp2 Quattro、延いてはその後予定されている dp1/dp3 Quattro についても、購入計画を断念して白紙に戻し、その上メリル万歳宣言までした身からすれば、どうでも良いことである。

ある意味、これで安心して現在のメリル三姉妹に集中できるのだから、精神的には却って落ち着いている。今の気分を語るなら、台風一家、もとい台風一過の晴天のようだ。(どんな家族だ?)

あ〜スッキリ。いやほんとマジで清々しい、さっぱりさっぱり、…。

そんなわけで、雲ひとつない青空が拡がる爽やかな風景を期待したのだが、こちらもまだ少し早かったようである。我心の内と同様に、いまだわずかに雨雲も残る、キリンビール7月号だ。

今月に入って、都合2度ほど訪れた定点観測の現場であるが、すでに田植えもほとんど完了している。地元の農家の方と見られる数人が、何やら作業をしているだけで、前回のような賑わいはない。

今月の二回は、何れも仕事を終えた帰り道に寄った、夕方バージョンである。そのせいか、不安定な露出と共に現像後もノイズが目立つものが多く、あまり満足できる結果ではない。

巷では、ゾンビ画質との悪評も耳にするメリルルックだが、商業カタログでありがちな、あり得ないほどのハイキーなトーンは個人的には好みではないので、少し暗めな写真に仕上げてしまうことが多い。

逆光写真が多いこともあって、明るい空を派手に飛ばすことなく、シャドウを持ち上げることができる X3Fill Light は日頃から重宝している。 だが、美味いモノには必ず毒があるのも事実で、主な原因はその使い過ぎにあると思う。

時として、ピクチャエフェクト感覚で、許容範囲を大きく越えて使うこともあるが、一応ローカルルールでは、±0.5 までに押えるようにしている。

いかにも、明るい(そして高価な)レンズで撮りました的にボケた背景で主題を浮き上がらせる効果は、たしかに認めないわけではない。

しかし、これといった明確な主題があるわけでもない己の写真には、いまだそのような手法もやってみただけに終わることも多く、モノクロームと同様、今後の課題であるとは考えている。

物撮りでは、開放でそのような手法も多用するが、風景写真の場合はフォーカスポイントが近くにあることは希で、よほどの理由がない限りは、開放から2〜3段(f5.6 - f8.0)絞ることが多い。

特に、DPM では最も解像する絞り(f4.0 -f5.6)付近を好んで使用しているので、被写体がスローシャッターを必要とする夜景や流れモノでもない限り、f9.0 以上を使用することは少ない。

それでも、現像のやり方によっては、メリルルックの解像感を維持しながら明るくスッキリした絵に出来ないこともないので、今回はなるべく条件の良いものから、普段より少し明るめに現像してみた。

ただ、Exif だけでは分からない現像パラメータも後からある程度分かるようにと、あえて長ったらしいファイル名を付けてきたのだが、そろそろそのフォーマットにも変更を加えた方が良さそうである。

以前から、テスト的にやっているコントラストを落として、フリンジをオフという設定も場合によりけりで、必ずしも全てに対する最適解ではないようだ。

並行してやってみた、適用量と適用範囲を 0.3 程度に抑えたグリーンフリンジ除去機能も、その方が自然に見える場合もある。また、逆にマゼンタフリンジに関しては、今のところ既定値である 0.5 のままオンにしておいても、さほど悪影響が感じられる写真は見当たらない。

困ったことに、同じ設定であっても SIGMA Photo Pro 5 と SIGMA Photo Pro 6 では、微妙に仕上がりが異なっており、できれば現像ソフトの世代交代を期にやりたかったのだが、現時点の SIGMA Photo Pro 6 の完成度では、完全移行する気にもなれない。

したがって、撮り合えずの暫定バージョンとして、以下のような設定を新しいデフォルトとして定義し、それ以外のオプション項目をファイル名に反映させることにしたのである。

[ファイル名の基本構成]
DPxM0000 RAW±L F5.6 [4M4Y EV-03FL-03 NDF]

ファイル名の前半は、写真番号・RAW現像±カラーモードおよびホワイトバランス・絞り値などの基本情報を表し、カラーモードは原則風景(Landscape)を使用する。ホワイトバランスはオートの場合は省略、それ以外はそれぞれの略号を追加するが、Exif でも確認できる撮影時のシャッター速度や露出補正値は省略。

ファイル名後半は [ ] で括り、カラーバランス補正値・露出補正値&X3FL値・既定値の種別などで、露出補正値とX3FL値の小数点を省略した表記を用いる。

例1.DP3M8283 RAW+LDY F5.6 [2M4Y EV-03FL+03 NDF]

上記例1では、 カラーモードは風景で、ホワイトバランスは「晴れ」を使用、絞り f5.6 カラーバランス 2M4Y、マイナス 0.3 の露出補正に加えて X3FillLight を+0.3 追加、既定値は新しいデフォルト値による、という構成になる。現像時の露出補正値については、それがよほどの意味を持つ場合を除いて省略。ページ内での表記は以下の通り。

DP3M8283:SIGMA DP3 Merrill 75mm F2.8
@ISO100 f5.6 1/250sec AAE WBDY Landscape


※露出モード:絞り優先(AAE)プログラムオート(PAE)マニュアル(ME)
※ホワイトバランス:オート(AWB)晴れ(WBDY)曇り(WBCD)

例2.DP2M1916 RAW-LCDDF F5.6 [00 GF0 NDF]

DP2M1916:SIGMA DP2 Merrill 45mm F2.8
@ISO100 f5.6 1/400sec AAE WBCD Landscape

例2では、カラーモードは同じく風景、ホワイトバランスは「くもり」を使用(または撮影時の設定から変更した)、露出と  X3FillLight は修正無し。ただし、フリンジ除去機能は、意図的にグリーンのみオフにした例である。(マゼンタはデフォルト値どおりの 0.5 でオン)

また、±は+(プラス)が X3FL を使用した場合で、未使用時は−(マイナス)にしている。これは、ファイル検索時の都合によるもので、大した意味はない。加えて、露出補正も無い場合は、オールデフォルトの意味で DF の文字を追加している。

また、ごく希にカラーバランスを修正しない場合もあり、この時はカッコ内は 00 で始まる。絞り値以外の[ ]内の数値は小数点を省略して表記するので、露出補正値が-10の場合は-1.0という意味である。

デフォルト(省略値)の異なる従来のファイルと区別するため、末尾には新しいデフォルト値であることを示す NDF を付加する。下は、新しいデフォルト値。ファイル名末尾に NDF (New Default) と表記されていれば、以下の項目が省略されている。 

・コントラスト(CN):-0.3
・彩    度(ST):-0.2
・シャープネス(SH):-0.5

フリンジ除去に関しては、以前使用していた GMF0305 則ちグリーンを色相範囲と適用量を既定値の 0.5 から 0.3 に減じてオンとする。例外的にグリーンのみオフにした場合が、GF0 と表記するが、マゼンタは既定値の 0.5 のまま、常時オンである。

ノイズリダクションに関しては、既定値の真ん中。変更する場合は大抵完全オフなので NR0 と表記(モノクロームの場合は常時 NR0 を使用)。倍率色収差補正は、お呪いみたいなモノなので既定値のまま常時オンである。

とまあ、自分以外には全く役に立たないことをグダグダと書き連ねてみたわけだが、このサイト自体が個人専用のアルバムみたいなものである。

かつての、ブックタイプのアルバムで行ってきた、写真を貼付けてはその情景にコメントを書込んだり、現地を思いだしながらその印象を書き連ねるといった作業を、自宅サーバの大容量にかこつけてネット上に公開しているに過ぎない、あくまでも個人の趣味である。

本来、人様に見て頂くモノのなら、ファイルサイズもネット環境に配慮して、圧縮率を高めるなどの工夫をするべきなのだろう。だが、できれば画質を落とさず残したいという、ごく私的な望みを叶えるためにやっているようなものなので、フルサイズは譲れない線なのだ。

環境が許せば、JPG などではなく可逆圧縮の PNG あたりで上げたいところだが、それやるとアップロードにも死ぬほど時間がかかってしまい、やる気も失せるので、まあそのへんは妥協なんである。

…ということで、ヒトツよろしく。

2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.07.13] 7月の定点観測 〜より転載&加筆修正

2014年7月7日月曜日

メリル万歳

今日はタナボタ、もとい七夕(たなばた)である。

これといって、期せずして得するようなこともないし、季節の行事にも全く縁はないので、ただの月曜日だ。

そんなわけで、前回は SIGMA と心中改め、Merrill と心中宣言をやっちまったわけである。いつも公開してから後悔するのだが、いまさら更改するわけにもいかないので、少し言い訳をしておこう。

ネットで良く訪れるシグマ関連のサイトでも dp2 Quattro に関しては、熱烈歓迎派(まいっか派も含む)と完全失望派に別れている。

商売が絡んでいるサイトは、とりあえずどんな製品でも歓迎するのでこの限りでないが、中には早々に決別宣言までブチ上げた潔い御仁も居られるようだ。

また多くはないが、暖かい目で気長に待ちましょう派も存在する。

いずれにしても、当方のように買えもしないのにウダウダ抜かす戯言などは、無視されてしかるべき雑音でしかないが、発売開始とともにいち早く製品を購入した方達には、その発言も当然の権利である。

ただひとつ不安なのは、シグマ自体がこの現状をどのように捉えているのか、である。
(踏み絵?…とか、ぢゃねえよな)

それが見えてこないことには、潜在的購入希望者(そんなモノが認知されているかどうかは知らないが)として、身の振り方にも苦慮するのである。

営利企業である限りは、売上げたが勝ちであり、それが価値である。製品の多少の問題点も収支決算で帳尻が合うなら良しとされるのはいずこも同じで、アップルなどはこの典型だろう。

もちろん、アンケート調査でもあればボロクソに言ってやるところだが、まだ買ってもいないユーザに対して、そんな手間をかけるほど馬鹿でもあるまい。

技術的な問題に関しては、理解できる知識も論評する見識もないので、あくまでも外から見える商品としての売上動向から判断するしかないのであるが、現状では不買によってメッセージを伝えるしかないと考えている。

一応、メリル三姉妹はシグマに対してユーザ登録も行っているので、いずれそのうち「既存ユーザの裏切者リスト」みたいなモノでも作成された暁には、その統計資料の片隅にでも名を連ねることで問題提起をしようという、ささやかな抵抗である。

アップル製品に対しては、すでに不機嫌な沈黙に突入して久しいという経緯もあって、なかなか天岩戸から出るキッカケも掴めないでいるのだが、この上カメラ関係においても、不貞腐れて過ごすのも面白くはない。

できれば、なんらかの公式見解でも発表されれば、前途に光明も見いだせるのだが、シグマに何の問題意識さえも無いなら絶望である。


メリル万歳!



…ということで、ヒトツよろしく。
2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

2014年7月6日日曜日

Quattro Look vs Merrill Look

SIGMA Photo Pro 6.0.2 が、公開された。

初期バージョンから、わずかな期間に二回目のアップデートだ。

だが、相変わらず再起動が必要なエラーは出るし、カラー調整のキーボードによる操作を受け付けなくなったりと、ありとあらゆる不具合を連発している。

現時点で関連性は不明だが、OS X 10.9.4 (13E28) においては、エラー発生後に Safari 7.0.5 (9537.77.4) のマウスオペレーションにも、影響を与える現象を確認している。

いずれも、再起動後には復帰しているので、ごく限られた環境での問題である可能性もある。果たして原因は OS 側にあるのか、アプリの問題なのかは今のところ判明していない。

だが少なくとも、Mac 版の SIGMA Photo Pro は、最新の OS X に対して対応しているとはいえず、度重なるアップデート版リリースも根本的な解決には至っていないようだ。

また、現像後 JPEG の Exif データには撮影日時が記録されないなど、設定によってそういう選択肢もあるのかと探してみたが、この点も未解決で不明である。

ま、個人的にはいましばらく dp Quattro には縁がなさそうなので、旧バージョンの SIGMA Photo Pro 5.5.3 でも、大きな問題はない。

どうせ、以前のバージョン、延いてはメリル世代に更なる磨きをかけるような、地道な努力をシグマがするとも思えないし、ソフトウェアに関しては劇的に改善される可能性も無いとはいえないので、新しいバージョンを気長に待つことにしよう。

しかし、新バージョンでないと現像作業ができない Quattro ユーザはたいへんだろう。Mac 版とWin 版の不具合も微妙に異なるようで、SIGMA Photo Pro 6 に対する評価も、一様ではない。

ネットでの dp2 Quattro の評判も賛否両論で、現像ソフトよりハードウェアの方が、より深刻な問題を抱えているように見える。(ちなみに、全く話題にもなっていないが、個人的には期待した内蔵電子水準器は、なんと iPhone 以下の ±2°!だそうだ)

だが、すでに新製品を入手した者と、未だ購入を検討している者では、評価のスタートラインも異なる。ユーザ自身の評価基準で改善点の方が上回れば、それほど大きな問題にはならない。

前機種からの乗換え、または追加購入した場合は、画質だけでなく使い勝手などの快適性、機能性なども含めた評価になるのは至極当然のことであり、従来の不満点が解消されていれば、おのずとプラス評価につながる。

新規購入ユーザにとっては、古い機種との比較など全く意味はないし、折角購入した製品のアラ探しをすることなど、バカバカしいかぎりだろう。

あらゆる作例が披露されつつあるが、それに対する評価もまちまちであり、否定的な意見ばかりではない。

デジカメの画質に大きく影響を及ぼし、それがメリル世代では大きく進化したことで、一部に人気を博したという経緯がある3層構造の Foveon X3 センサ。それは唯一のフルカラーセンサであり、シグマのカメラだけが享受できる恩恵だ。

製品発表時、従来からのシグマユーザの間でそのデザイン以上に話題になったのが、Foveon X3 センサの最新型であるクアトロセンサである。

以前は、Foveon Look と呼ばれ、シグマユーザの間ではひとつの共通認識として、確立された基準のように語られていた。

ところが、新しいクアトロセンサの技術的な背景が明らかになりだすと、その是非を巡って俄に物議を醸した。そして、やっとそのセンサを搭載した新製品が登場した途端に、Foveon Look は Quattro Look と Merrill Look に別れて、喧々諤々の論争を展開している。

どうも、画質に関する評価基準というのは、曖昧過ぎてすれ違いな論議になりやすい。解像度などは、チャートによりある程度機械的な判断も出来ようが、さしたる基準のない解像感のようなモノに対して、評価を下すのは簡単ではない。

ましてや、写真の画質に関しては、解像感の方が与える影響も大きいこともあって、より混迷を深めている原因でもある。

相当な遠景でさえ、ピントがしっかり合っているように見えるのが、もともとフォビオンセンサの魅力にもなっていた。ベイヤ型ではどうしても補完によるピクセルの無駄遣いが避けられず、画像サイズのわりに不自然でリアリティに欠ける絵になりがちだ。

不毛なことに、それがリアルかどうかの判断を人の好みで評価しているのが現状である。その論議の対象となる作例も、元になった現場を知っているのは撮影者だけであり、論議している連中は誰もその画質に対して、確固たる評価基準を持ち合わせていない。

在るはずのモノが写っていないのか、または無いはずのモノが写っているのか、それさえハッキリしない状態でいくら論争を続けても決着はつかない。

画質を比較する場合、同一条件で撮影された写真から判断するのが一般的だが、これだけでは基準が曖昧である。

Quattro Look と Merrill Look の違いを論ずるのであれば、先ず為されるべきことは評価の拠り所となる基準の設定である。その基準を共通認識として、そこから始めなければ実在の物体とノイズの区別もつかない。

仮に、500m 先の風景を比較するなら、特定の部分だけでも 50m とか 5m の距離で撮影したモノと比較すれば、それがひとつの現実となり共通認識となって、判断の基準になりやすい。50m 先の建物や壁面、街路樹の類いなら2〜3mの距離で撮影すれば、たとえそれが iPhone によるものであったとしても、充分参考になるはずだ。

比較評価用のサンプルを作成するに当たって、そのようなアプローチがあってもよさようなものだが、あまり見かけない。(ま、面倒だしね)

しかし、シグマファンの中にも、Merrill Look を良しとしないユーザも少なからずいたようで、より一般的なデジカメ画質の方向に向かった(とも思えないのだが)今回の新製品にも、意外と高い評価を与えている。

人の好みは、十人十色だ。昨日まで同じモノを見ていたはずの者同士が、ある日突然、別のモノを見ていたことに気がついたようなものである。

誰しも、奇麗な写真を撮りたいという願望はある。極論すれば、現実より奇麗な写真を望むユーザもいるだろうし、たぶんそちらの方が一般的だ。現実がどうなっているかなどはあまり重要視されず、どう写って欲しいか、どう見せたいかばかりがカメラに求められる。

カメラに関する技術は日進月歩であり、いつかは革命的な新技術で、現状の不満点を一掃してくれることを望んでいるとしても不思議ではない。

アップルが、iPhone に行っているのは正にこのアプローチであり、結果として得られる絵が最重要項目で、写真機としてどうかという評価は的外れだ。

携帯電話に搭載されているカメラに対してユーザが求めているのは、撮影のプロセスが簡単であることと、その結果が期待以上であることの2点に集約される。特にスマートフォンと呼ばれる、多機能電話機にとってカメラは、電話やメール、その他数多ある機能の一部でしかない。

かつて、キレイに撮ってねと言われりゃ俄然その気になって、光線の加減やアングルを工夫したり、凝った構図を考えたりもしたものだ。

だが、現代においては撮影者の腕に頼るよりも、カメラそのものがその重責を担う時代であり、各メーカのフラッグシップといえども、当代のお任せ機能なくしては評価されない。

また、それがカメラの性能のひとつとして認識されるようになれば、性能に対する基準も変わってくる。

今回の dp2 Quattro もそのような、さまざまな期待に応えるべく進化の道を歩もうとしているに違いない。その過程においても、さまざまなトラブルに遭遇するだろうが、いずれソフトウェアによる技術的な改善で解決できる、と考えての見切り発車なのかもしれない。

個人的には、Merrill Look と呼ばれ始めた画質に関しては気に入っているので、製品発表時に期待したのは、これをよりいっそう進化させた画質であった。

現状の DP Merrill シリーズには、カメラとしてはいろいろ不満もあるが、購入時点である程度割切って飛び込む覚悟が出来たのは、当たれば場外と揶揄された画質であり、主にその解像感に依るところが大きい。

自虐的にフォビ厨を自任している身からすれば、メリルセンサの叩きだす解像感こそが、その他の問題点をほんの些細なこととして、視野の外に追いやってしまうのである。

今回の製品発表時に、その新しい技術であるクアトロセンサに少なからず不安を感じた。理論上の可逆圧縮であることについて、理解できなかったことも原因の1つだが、それ以上にメリルセンサの問題解決や、未だ進化の途中である技術に対して放棄したかのように感じたのである。

だが、それとは全く無関係に、システム構成上の個人的な理由により、一年以上遅れた DP2 Merrill 導入となった。

経済的な障害がなければ、もっと早い段階で行われたに違いない、予定調和を完成させたかったのが最大の理由であるが、ハードウェアであるカメラ本体よりも、それによって得られる写真の方に、興味の対象が移っていたことも影響したのだろう。

メリルセンサの現状には、カメラ同様に不満がないわけでもないが、基本的な画質に関する部分では、幸いにして他の選択肢がないことにより、精神的な迷いを払拭してくれる。

だが、そのことを拙策であったと後悔する展開も、心の何処かで期待していたような気がするのである。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

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[2014.07.06] Quattro Look vs Merrill Look 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

2014年7月3日木曜日

原付撮影行

7月である。

文月とも呼ぶらしいが、そんな風情のある暮らしはしていない。

梅雨の合間に、何度か宇野線や吉備線など主に近場の路線を撮ってみた。というか、先月の後半は、合間の方が多くて雨の降った日の方が少ない。

だが、今日あたりから梅雨も本気を出すらしいので、季節柄カビが生える前に晒しておこうと思う。

予想外の超大作となってしまった、姫新線新見方面三部作の疲れが未だ癒えていないが、先月来折を見ては行なった、原付による近場の写真も溜まっている。

かつては高速や有料道路も使わず、一日 450kmぐらいまでなら楽勝でクリアしていた。だが、当時とは交通事情や単車の排気量以上に、こちとらの体力気力も大きく異なるので、まるで参考にはならない。

いったい、原付でどの程度まで行けるものかも、一度は試しておいた方がよかろうと、少し遠方まで足を延ばしてみたのである。

何事も、年寄の冷や水にならぬよう日頃から心がけてはいるが、昔取った杵柄まだまだイケルはず、なんである。

以前、興がのれば半径 50km ぐらいなら何とかなるだろう、みたいなことを書いたので、とりあえずそれを目標にしてみた。

もちろん、百パー私用で出掛けるわけにもいかないので、毎度のことながら序での序でに、である。その都合上の方角から、定点観測の現場あたりを目標に出掛けてみたのだ。

目的地に向かって一直線なら、だいたい 30km 前後と思われる万富の工場だが、日頃車で通っているルートをそのまま、原付に当て嵌めるわけにもいかない。

そうでなくても、何かと制限も多い第1種原動機付自転車である。おのずとそのルートも紆余曲折を経なくてならず、当然2号線バイパスなどは以ての外であり、県道や市町村道、地道に裏道を駆使して到達するしか手はない。

ま、それでも普段の車での移動では、時間を優先するあまり、目的地までの行程で視界に入らなかった景色もいつもとは違って見える。速度が遅ければ遅いで、結構楽しめるので、それほど苦痛なわけでもない。

第三の営業車として今回の足となった、ヤマハのスクータを簡単に紹介しよう。

ネットで調べると、本名はジョグ・ポシェ(YV50H)という名前らしい。年式は不明だが、4〜5年落ちの中古車として購入後、すでに10年近くは経過している。おそらく、前世紀末(2000年)あたりではないかと思う。

何度かパンクの憂き目に遭うなど、突発的なトラブルを除いて購入後から大きな故障はないので、意外と丈夫にできているようだ。また、タイヤとともにプラグやら電球やらの消耗品は、不定期ではあるものの対処療法的に交換はしている。

発動機は、すでに見かけなくなった2サイクルである。最近の4サイクル原付やカブが相手なら、スタートダッシュで置いてきぼりを食らわすことも可能なほど、発進加速(だけ)はスルドイ。

ま、どうせリミッターが付いているので直に頭打ちになるし、絶対的なパフォーマンスは高が知れている。

特徴は、フロントバスケットがやたらにデカくて、布製のロールカバーが付属する。リヤキャリアやシート下のメッチ収納スペースまで入れると、トータルの積載能力も結構ある。

また、ハンドル下回りにはペットボトル(500ml)が楽に入るポケットや、コンビニフックと呼ばれる便利機能も充実しており、この点は日頃から重宝している。いわゆる、主婦層向けに開発された、買物用の下駄モデルだ。

購入当時、ミニ以前のレンジローバー時代末期であり、何かと経費削減を迫られていたので、見た目のカッコ良さよりコストや実用本位で選択したように思う。

シルイの三脚(SIRUI T-2204X)は、今回このコンビニフックに引っかける形で搭載した。カメラ本体は、緩衝材としてのスポンジを挟んでカメラバッグごと、もっとも路面の突き上げを受けにくい(ような気がする)シート下に収納した。

だいたいこの手のスクータ、フロントサスはヤワ過ぎて路面のギャップで簡単に底付してしまう。フロントバスケットの荷物が飛び出だして、路上にブチ撒けたことも何度かあって、ロールカバーが付いている意味が分かるというものだ。

シート下ならロックもかかるので、道中においてコンビニなどの買物にも、リスクが少ないだろうと考えてのことである。フロントバスケットには、軽食やお茶の類い、その他雑多なモノをコールマンの保冷バッグに入れて放り込んでおく。

また、保冷バッグにはカメラ本体も1台なら収まるスペースが残っているので、撮影場所の移動など短距離であれば、一時的な利用も可能である。

当然、シンプルな組合せでのテストも兼ねているので、DPM3台+シルイのみで、その他のお道具(2台態勢セットやインデックスローテイタ)などは、お休みである。各種フィルタ類ぐらいは、保冷バッグに収めることも可能だが、あえて持ち出すことはしなかった。

一仕事済ませて定点観測の現場に向かったのは、その日午後になってからである。真夏ほどではないにしても、当日は日差しも強く、結構疲れたというのが正直なところ。

寄る年波には勝てないのは情けないが、今年は夏が来る前に、左半分も日焼けして均等になったので、まいっかである。

最終的な走行距離は、事前の予想通りトータルで 95kmといったところで、平均燃費はだいたい 35〜37km/l だった。カタログスペックによると、60km/l などという極めて楽観的な数値も見受けられる。

しかし、それは原付の法定速度、時速 30kmの定地走行が前提である。道路交通法に定められた、制限速度を完璧に守れるならそれも決して夢ではない、という程度に理解しておくべきだろう。

したがって数値的には、はたして良いのか悪いのか微妙なラインである。

これは、長距離走行時のミニと比べても2倍程度でしかなく、積載能力や道中での天候変化など、臨機応変な対応を迫られたときのリスクなども考えると、必ずしも大きなメリットともいえない。

撮影地の環境によっては、想定しておくべき例外処理も広範囲におよび、合羽やパンク修理剤程度では、一抹の不安も拭えない。

それこそ、イザとなったら捨てて帰るぐらいの覚悟は必要だが、その場合不法投棄で罰せられることがないように、善後策も考えておかねばなるまい。

いずれにしても、誰かに救援を依頼しても即断で拒否られる可能性の少ない、またローカルニュースのネタになるほどの大事にならない程度の距離が、無難であろうと思ったのである。



…ということで、今月もヒトツよろしく。

2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

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[2014.07.03] 原付撮影行 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

2014年6月30日月曜日

姫新線:新見方面(後編)

やっと辿り着いた、姫新線:新見方面の後編である。

真庭から新見までの経路は、姫新線だけでなく、国道や県道も山間部の谷あいを縫うように走っており、およそ真直ぐなルートはない。

それだけに、岡山県内の山陽新幹線みたいなトンネルだらけの列車よりは、車窓からの景色も楽しめると思う。(たぶん)

ま、それが楽しいと思う人の数が少なくなっていることも事実で、かつては駅弁など食いながら、蒸気機関車の煙に咽せていた時代もあったが、その時はそれほど楽しいとも思わなかった。

当時は、それが当たり前だったからで、もうそんな体験を望んだところで実現するのは難しい。あくまでも想い出になって懐かしむ時だけ、楽しく感じるモノなんだろう。

これも年寄の特権だから目一杯楽しんでやろうと、出雲街道を走りながらそんなことを考える。

午後の部後半の経路は、以下の通り。

月田・富原・刑部・丹治部・岩山・(新見)

ここから先は、一日平均乗車人員もガクっと減って、いずれもここ数年は二桁台に割込んでいる。中には一桁の駅もあったりするが、被写体としての魅力度と相関関係はない。逆相関なら、あるかもしれないな。

国道181号線(出雲街道)は、中国勝山から旭川の支流、新庄川に沿って少し南へ下る。そのまま行くと、県道との分岐点辺りから米子方面に向かって再び北上するが、姫新線は国道と分かれて県道32号線と共にさらに南下する。

月田駅は、県道のすぐ側にあるので、その存在を知ってさえいれば自動車からも駅舎やホームは見える。しかし駅の入口は、少し東を通る旧道側からでないとアクセスできない。

旧道への入口はずいぶん手前にあり、駅の方向を示す看板を見逃すと、季節によっては、並木に隠れた駅舎にも気付かないかもしれない。

駅周辺は、旧道に沿って民家が密集しており、材木関係の会社が多いようだ。昭和初期の旧駅舎は既にないが、駅舎を見れば一目瞭然である。最近建てられた、ログハウスのような木造の立派な建物である。

付近には製材所などもあって、かつては存在した引き込み線からも、材木の輸送に姫新線が利用されていたらしい。駅舎の一部は、月田木材事業協同組合の事務所となっており、駅舎には駅名と並んで、つきの木センターというコミュニティ施設の看板も掲げられている。

美作追分以降、古見を除いて次の富原駅までは、真庭市の条例に基づく合築駅舎として、自治体がその建設や運営に関与しているようだ。道理で立派な駅舎が多いわけである。古見は駅舎自体がないのでしかたあるまいが、久世駅の現状はいったいどうなっているのだろう。

で、その月田駅であるが、駅の周りは並木通りのような景観で、大変良い雰囲気である。ただ、活気がないのが残念であり、上月駅のように道の駅も兼ねるような運営が行われたら、折角の施設ももう少し有効利用が出来そうな気がする。

県道からは、付近に目立つ店舗や看板もないことから、よほど注意していないと見過ごしてしまいそうになる立地条件である。すぐ近くで操業中の製材所も、現在では姫新線とは直接関わりもないようで、わりと広々とした駅周辺も閑散として物寂しい。

土曜日の午後でありながら、全く人影が見当たらないのは姫新線の各駅に共通したところで、それが兵庫県側との差になっているように見える。

駅舎内の手入れも、その他の駅以上に行き届いており、およそ一般的な駅らしくない清潔感もあって、利用者視点ではたいへん好感が持てるだけに、もったいないことである。

駅構造自体は、1面1線単式ホームであり、かつて存在したであろう引込線も、ホームの跡から認識できる程度で線路もすでにない。

月田駅で撮影している最中に、ついに雨が降りだしたが、それも長くは続かずじきに空も明るくなった。ここまで持ってくれたのがめっけものであり、この先はどうやら怪しい雲行きになりそうだ。

なんとか、明るさのあるうちに全ての駅を撮りたかったので、富原駅に向かって出発した。

美作落合から先の姫新線は、酔っ払いの足取りのように北へ南へと迷走している。月田川と県道32号線の双方に対して、姫新線は何度も交差を繰り返しながら、富原駅に向かう。

上り勾配が続いた先に、あまりにも唐突に富原駅が現われ、思わず通り過ぎてしまった。駅前広場もない駅である富原は、駅舎とホームの関係が段差になっており、駐車スペースは駅の両サイドに僅かながら存在する。

県道を挟んで、対面には民家が数件並んでいるが、いずれも何らかの商店であるところが、かろうじて駅前らしい。パナソニックの看板を掲げる電器店、ホルモンの看板も嬉しい食堂やタクシー会社に、田舎の山間部ではお約束の酒屋兼乾物屋など、駅前として鉄板の商店が一通り揃っている。

ただ、いくら交通量が少ないとはいえ、間に県道があってはあまり落ち着かない。一工夫すれば、道の駅的な展開も出来そうだが、如何せん駅前のスペースがなさ過ぎて、ちょっと無理がある。 鉄道が交通手段のメインであった頃なら、このような立地条件にも問題はなかったのだろうが、車社会との共存は地域の努力だけでは、なかなか難しい。

富原の駅舎も月田ほどではないが、木造でそれなりの雰囲気は保っており、駅自体の設備としては、わりと整っているように見える。ここも、前述の条例に基づく、合築駅舎のひとつである。

しかし、月田駅を見た後では、駅舎内部も安普請な感は否めない。内装のベニヤ合板は一部剥がれかけており、月田のような高級感はない。

改札から続く階段でホームへ上がってみると、それは1m以上高い位置にあるのだが、現在運行している列車には、あまりにも長い1面1線の単式ホームである。

待合所から、使われなくなって久しい対面側のホームを眺めると、そこはもう背後に迫る山の木々に、ほとんど飲み込まれている。その昔、駅名が書かれていたと思われる木製の駅名標が残っているが、すでに文字を読み取ることはできない。

まるで人類が滅亡した後の世界を見ているような気分になり、ほとんどSFの世界に入り込むことも可能だ。お暇であれば、姫新線に乗って富原まで来て、ホームの待合で「渚にて」あたりをじっくり読めば、気分も盛り上がるに違いない。(絶滅モノなら坪井駅もお勧めだ)

花壇というほどのものではないが、植え込みもあるし花も沢山咲いているので、天気が良ければ、静かな読書環境としての利用も検討の余地はある。ただ、姫新線の場合、その日のうちには帰れない可能性もあるので、事前の調査とそれなりの準備は必要だ。

そんな富原駅を後にして、次に向かったのは刑部駅(おさかべ)である。

ここから、真庭市を離れて新見市に入る。この地域の名前が駅名になっているのかと思いがちだが、町名は大佐小阪部で、発音が同じなのになぜか字が違うのである。

駅前の景観は、何となく芸備線の備中神代に似ている気がするが、刑部駅はすでに駅舎のない備中神代とは、比較にならないほど立派な駅舎である。中国勝山ほどではないが、戦国の出城といった程度の雰囲気はある。

駅の北側にある広場は、奇麗に整備されており、近所の親子連れが訪れていた。その駅舎も、一見すると甲冑や刀の類いが展示してあっても不思議はない作りだが、駅舎内には何もない。情報によると、物販店が同居しているらしいが、少なくともその日は営業はしていなかった。

ホームへ出てみると、2面2線の相対式ホームであるが、対面側の津山方面行きには待合所はあるものの、列車の停車位置以外は鬱蒼とした草木に囲まれている。線路内の雑草も比較的多い方で、津山方面に向かう線路は、ほとんど見えない状態になりつつある。

新見までの姫新線では、刑部駅が交換線設備のある最後の駅だ。しかし、現状のダイヤでは、交換線が必要になるパターンというのは、どの程度の頻度で発生するのだろうか。

津山線のように、1線スルー式になっていない駅ばかりで、乗客の利便性を考えれば、対面ホームへ行かなくても済む方法を取り入れるべきだと思うが、どうもそのへんの事情が良く分からん路線ではある。

だいたい、未だにキハ120 同士がすれ違う光景を目にしたことがないので、一度は見てみたいものだと思う。運良く写真でも撮れたら、たぶんそれは歴史的にも貴重な資料となることは、間違いないだろう。

何枚か撮っている内に、またもや雲行きが怪しくなり、小雨がぽつぽつ降り出したので、次の丹治部駅へ急いだ。

刑部からの県道は、比較的素直に新見方面に向かっており、4km ほど先にある田治部郵便局の前を左に入ると、丹治部駅が見える。ここも、地名は大佐田治部であるが、駅名は丹治部(たじべ)で、何かとややこしい。

公民館の分館も兼ねた駅舎の外観は、スキーロッジのようでもあり、看板を見なければ駅舎には見えない。だが、近くまで寄って見ると、やっと二桁台の平均乗車人員の駅では、そのやつれ方も一入であり、富原駅以上の廃れ具合である。

また、ホームと駅舎の位置関係も似ているが、丹治部駅の場合、駅舎の入口で階段を上る形になっており、改札とホームは同じ高さになっている。

ネットで確認できる、93年撮影の旧駅舎の写真を見る限りは、開業当時のいかにも昭和の香りがする、同時期のその他の駅と似たような外観である。 当然、改築自体は 90年代以降のはずだが、現在の建物からは、その廃れ方も含めて何となく恥多き 80年代っぽい雰囲気が感じられる。

駅舎内部も少し荒れており、クモの巣が張った吹き抜けの柱の隙間から、ステンドグラス風の採光部が見える。だが、そこからの光だけでは、富原以上に暗く、当然照明が点くはずの夜より昼間の方が不気味に見える。

1面1線の単式ホームを持つ丹治部駅は、ホームの奥行きが少し狭く対面の山も近いこともあって圧迫感があるが、一両編成の列車ならそれほど気にならないかもしれない。

かつて、近鉄奈良線では特急がクラクションを鳴らしながら、通過線もないホームをフルスピードで駆抜けて行く恐怖を味わったこともある。だが少なくともここでは、そんなシチュエーションにはお目にかかれない。そのあたりも特急など走っていない、姫新線ならではの特殊性だろう。

丹治部到着まで降っていた小雨も止んで、青空も覗く天気になってきたが、なにせ山間部の気紛れな空模様で、このまま晴れるとも思えない。

最後の目的地である、岩山駅に向かって出発する頃にはあたりが急に暗くなり、気紛れな一日を象徴するかのような、やっぱりなという土砂降りになったのである。

岩山駅に近づいた頃には雨の勢いは少し弱まったものの、すでに本降りの様相ですぐには止みそうもない。ま、最後だし適当に撮って帰るべえと、お気楽に考えていたのだが、駅に着くとそういうわけにもいかなくなったのである。

昭和初期に開業した岩山駅は、当初作備西線の駅として設置され、盲腸線と呼ばれる行き止まり路線の終着駅だったらしい。現在は、姫新線の中でも群を抜く乗車人員の少なさを誇っており(いや誇ってはいないか)、ここ数年は一桁台である。

今年1月更新のストリートビュー最新版も、グーグルスタッフの気紛れにより、岩山駅手前 500m で引返している。そして、なぜか駅を迂回する市町村道の方へ情報が偏っている。よほど、この駅の存在を広めたくないようだ。

時折強くなる雨の中、駅前広場に着いてぼんやりその駅舎を見ていると、なにやらムクムクと撮影意欲が湧いてくるのを感じたのだ。駅舎からも昭和の匂いがプンプン漂ってくるが、ほどなくそれは駅の横にある「便所」と表示された建物から来ていることに気がついた。

時刻はすでに16時を回っており、雨天と相まって光量は不足気味である。ミニの窓から正面には、無断駐車禁止(新見駅長)という看板も見えるが、咎める者も居なさそうなので、とりあえず後方にある自転車置き場の屋根の下に降りて撮ってみた。

ま、駐禁表示とのツーショットを公開するのも如何なものかと思い(するけど)何枚か撮って移動した。ところが、そのスペースを空けた途端に軽四がやって来て、その場所に止めて運転者はどこかへ行ってしまう。

結局、その車が写る角度からの写真は、撮れなくなってしまった。くそ~退けるんぢゃなかったと後悔しながらも、小雨になるのを待って、再び対面のホームから撮りはじめた。一応、合羽みたいなモノを着て外に出たが、カメラにも飛沫がかかるので、タオルをかけての撮影である。

こんな時は、防滴防塵の対応機種が羨ましくなるが、機種選択においてはこちらにも譲れない一線はあるので、致し方なしである。

多くの古い駅舎が、部分的にはアルミサッシやドアなどに交換され、それはそれで手をかけているので、実用面では必要なことなのだろうが、被写体としてはイマイチ感につながる。

その点、岩山駅の印象は、それまでの何れの駅とも少々異なる。自治体による積極的なテコ入れが行われているようにもないし、かといってあからさまなレトロをウリに観光地化した風にもない。ごく自然なその廃れ具合とか、あえて修復しようと試みた後もなさそうに見えるのが、個人的には気に入ったのである。

もちろん、一部の窓はアルミにはなっているが、他の駅のようにまんまアルミカラーの銀色ではなく、木造の外観に合わせた茶色の窓枠が使われており、極力目立たなくしてある。こうした、さりげない配慮が其処彼処にあるのだが、いかにもやってます的なところは見受けられない。

補修に使われている材料も、決して高価なものではなく、必要にして充分な分相応という割切りもあって、それがまた独特の趣にも貢献している。

惜しむらくは、この路線を走る列車の外見が鉄板むき出しで、あまりにも周りの景観と不釣り合いな、キハ120ばかりであることだ。

もちろん、今更な古い気動車や機関車を期待しているわけでもないが、せめて、駅舎のアルミサッシの色程度に配慮の感じられる、まともな塗装や風景にマッチするカラーというものがあるはずだ。(イタ電も困るが)

鉄オタからは、末期色(まっきいろ=真黄色)と揶揄される、クハ115系のカラーでさえ、今のキハ120 の外見よりは馴染むのではないかと思う。

そうこうする内に、都合よく新見発 16:52 の津山行(864D)がやって来くる時間が迫ったので、駅舎内に戻って待機した。塗装やデザインはさておき、この駅がただの廃虚などではなく、実用に供されている証には列車が必要だ。

途端に雨足も強くなり、彼方の山々には霧も出て絵的にはもってこいだ。思わず三脚に手が伸びたが、乗降客も皆無ではない可能性もあるので、ここはひとつ我慢である。幸い開放なら何とか 1/250秒 ぐらいはいけそうなので、手ブレには定評のある中望遠の DP3M ではあるが、息を止めてなんとか凌ぐことにした。

ま、結果は現場で予想したモノを大きく下回ることもなかったが、未だ多くの課題も残している。

DP1M/DP2M ともに、割り当てたバッテリもすでに使い果たし、残っているのはこの DP3M 本体内の一本だけである。撮影者の疲れもピークに達する時間では、とても万全の態勢とは言い難く、なかなか思い通りにはならない。

その上、天候や撮影者のモチベも関係するので、全てが文字通りお天気次第、気分次第なんである。

岡山方面へ向かっての帰り道、元気が余っていれば多少遠回りになっても、平均速度の稼げる広域農道などを選んで帰るところだが、この日は大人しく王道(国道180号線)を選んで、多少の渋滞は覚悟していた。

国道沿いには、伯備線や吉備線も近くを通っている。だが、こちとら本日は予定終了、振っても鼻血も出ないほどに、カメラも人間も電池切れである。後は、早く帰って風呂に入りたい気持ちで一杯だ。

そんな時に限って、トラブルという奴は起こるもので、吉備津から県道245号線に入ったあたりから、ミニの水温計がいつもより高目を示していることに気がついた。

以前、ヒータバルブを交換した時、冷却水が減り気味の傾向があるので、注意が必要である旨伝えられていた。だが、水温が上がってしまう前でないと、水量の点検もままならない仕様なので、つい失念していた。

無性に嫌な予感がしたので急遽、川入手前から倉敷方面へコース変更したのである。その先には、いつもミニの面倒を診て貰っている萬治屋がある。はたして、後100mという所まできて、ボンネットから水蒸気の湯気と思しき白煙が、…。

19年目となるヒータバイパスホースが、交換品の在庫を持って待ち構える萬治屋の目の前で、ついにその寿命を迎えたのである。修理代込みの 1.2 ×福沢諭吉は痛かったが、不幸中の幸い、ラッキー・ポンとはこのことであろう。

なにはともあれ、県北の山中でなくてよかったよかった、ちゃんちゃんである。

とまあ、そんなこんなで何とか締めることもできた、今回の姫新線:新見方面シリーズでした。

また、機会があれば、以前中途半端に終わった伯備線や芸備線なども企んでいるが、その時はカメラもミニも全天候性で、万全の態勢を以て臨みたいものだ。


…ということで、来月もヒトツよろしく。
2014年06月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.06.30] 姫新線:新見方面(後編) 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく