2014年10月28日火曜日

ヨセミテは見て止せ、かな?

何かとモチベを下げることの多い、この時期である。

しかし、いくらなんでもそろそろ更新しないと、十月が終りそうだ。

当初、10月の定点観測の本文というか雑談として書き始めたのだが、書いていてだんだん腹が立ってきたので、あえて写真関連とは分けることにした。

あまり楽しい内容ではないし、特別なページを設けるのも面倒なんで、溜まっていた不良在庫の処分を兼ねてみようかと考えて、こんな形をとったのである。

アップルの新製品も一通り出揃って、ついに以前の機種を性能で下回る製品が発表されるなど、情けないにも程がある手抜きアップデートに成り下がっている。

ここ最近続いていた不甲斐なさも、ここに至って極まれりといった印象である。

それでも価格が安けりゃ、お勤め品としてそれなりの価値もあろうモノだが、Mac mini のように値段が上がって性能が落ちるのでは、まるで購買欲は湧かない。

それどころか、売れ筋の iMac などの従来品まで便乗値上げとも見える価格改定までされては、消費者を嘗め切っているとしか思えない。

5K iMac にしたところで、現時点でそれが必要かどうか冷静に考えれば、高価格を納得させるまでには至っていない。

本来、先ずは Mac Pro 用の外部ディスプレイとして登場させるべき製品であろうと考えるが、技術的な問題がそれを不可能にしている現状に、あまりにも行き当たりばったりな製品開発のいい加減さが垣間見える。

例の邪魔になってしょうがない iPhone 6 Plus も、いつ iPhone 5s に戻そうかと、頃合いを見計らっているぐらいだ。

だが、複数ディバイスとの連携を声高に謳う割に、未だに天気予報や電卓さえもプリインストールされていない iPad との併用を考えると、いくら薄く軽くなったとはいえ iPad 3 から更新する気にもなれずにいる。

また、懸案の動画を掲載したページの表示に関する問題も、期待した iOS ver. 8.1 (12B411) になっても、未だ解決に至っていない。

アップルからもすでに見放され、旧態依然とした iWeb などを使っていることが一番の問題なのだろうが、こうなったら意地でも iWeb を使い続けてやろうと考えている。

従来よりメインシステムとなっている Mac mini (Late 2012) は、MD388J/A をベースに CTO によって 2.6GHz Quad-Core i7 にカスタマイズしたものだが、Fusion Drive のおかげで2年以上経過した現在でも、そこそこに快適な環境を維持している。

だが、SSD の高速アクセスが、功を奏するのは起動システムが存在するドライブに限られ、データストックにはやはり速度より容量が優先される。

こんなことは、少し使っていれば誰でもわかりそうなことだが、どうもアップルにはそのようなユーザサイドの事情を考慮する頭がないようだ。

内蔵 2.5インチ 1.25TB の容量では、さすがに増え続けるデータに対応できないので、バックアップも含めた外部 USB 3.0 や Fire-Wire 800 の HDD が 16TB ばかりぶら下がっている。

一時は、RAID システムも組込んでいたが、低価格が進んだ外部ハードを定期的に交換していく方が、コスト的にも容量的にも有利であると考えて、あえて単品製品をずらずら並べるという、あまり見た目は良くない構成である。

買いそびれたモニタは、未だに LED 島根 24 のままだし、縦1600ピクセル以上のまともな製品は当分出そうにない。せめて、周辺機器の方でその辺りをカバーできる製品ラインナップでもあればと思うが、そのような気配は全く感じられない。

それは、ハードウェアだけでなく、ソフトウェアにも言える。最新のヨセミテや iTunes 12 のインターフェイスにも、勘違いとしか思えない改悪を繰返している。

またそれ以上に、まともに動作しない機能や互換性を蔑ろにしたまま、ロクでもないサービスを提供したがる傾向が、ここ最近多くなっている。

iCloud Drive など、Safari のチェックを入れると、履歴が消えてしまう致命的な欠陥を持ったままリリースされているし、iTunes と同様に背景は白々しいだけの全く選択肢のないお粗末な仕様である。

件の問題が果たして iCloud Drive にあるのか、Safari 8 の問題なのかは不明だ。しかし、デザインとは問題を提起するアートではなく、問題解決の機能であることを完全に忘れているのではあるまいか。 

ヨセミテのアイコンなどに見受けられる、幼稚なデザインと下品な色使いはまだ我慢の範囲だが、基本的なウィンドウ操作にさえ互換性を無視した改変をする無神経さには憤りを覚える。

このような、ユーザの神経を逆撫でする改変は、いまやアップルのお家芸とも言える悪癖となっている。

一例を挙げれば、各ウィンドウの左上にある赤黄緑ボタンの動作である。

今回、フルスクリーンモードへの切替えを緑のボタンに割当て、従来のリサイズ機能はオプション扱いとなっている。

しかし、この操作もファインダを始め一部のアプリだけにしか通用しないのであれば、使用頻度の少ないフルスクリーンの方をオプションとし、従来の使用法に慣れたユーザに配慮して然るべきであるはずだ。

ましてや、iTunes の情報を編集することが主目的であるはずのインターフェイスにまで、情報欄の隠蔽をやって平気な神経には、呆れ返るばかりである。

おかげで、シリーズモノのアルバムや映像と音楽が一体になっている作品に関して、また複数の楽曲に跨がるコンピレーションアルバムの情報入力に関して、従来にはなかった余計な操作を必要とする。

シンプルに見えるのはあくまでも外見だけで、実際にその機能を使うものにとっては、極めて複雑怪奇な操作を強いられるのだ。

本来の機能より、全く意味のない見掛け倒しのシンプルさを優先することに、どれほどの価値があるのだろうか。これなど表示モードと編集モードという、機能の違いを全く理解していないド素人の為せる技としか言い様がないのである。

開発者の方でも、昨今のあまりにも曖昧過ぎるユーザインターフェイスガイドラインについて、今一度再考するべきであると常々思う。

いい加減に、目先のくだらない格好ばかりを取繕うのでなく、もっと根本的な機能の問題に目を向ける必要があるだろう。

だが、こんな現状にさえ文句も言わずに使い続けているユーザが増えていることが、一番の問題なのかもしれない。数ばかりが増えても、あまり深く使わないユーザが大半を占めるような現状では、そんな不満の声もなかなか届くまい。

そんな問題意識さえなさそうな、今のお目出度いデザインチームの連中には、念仏にしか聞こえないのだろう。

かつて、ヘタクソなデザイナーがソフトウェアの領域に踏み込んでくることに対する不安材料について言及したことがあるが、これほどまでに悪影響を及ぼすとは、正直あの時点では予想していなかった。

アイコンやメニューを始め、各種ダイアログやボタンなど、マニュアルや解説書に頼らずとも直感的な操作が可能であったマックのユーザインターフェイスが、いつのまにかこれほどにも使いづらくなってしまうとは、…。

80年代初頭、最初の Macintosh に触れてから現在まで、少なくともコンピュータに関しては、アップル製品一択で慣れ親しんできた者さえ戸惑わせるインターフェイスというのは、いったい何処のバカが考えつくのか教えて欲しいものだ。

そんなデザインの筆頭責任者は明らかであるが、巷では評価も高い人物(個人的には決してそうは思えないが)であるだけに、それをコントロールする立場の者の無能さが諸悪の根源と言えなくも無い。

いずれにしても、これを時代の変化として片づけるにはあまりにも酷い、と思うのである。

ちなみに、シグマの現像アプリである SIGMA Photo Pro もやっと Ver. 6.1.0 (2272) が公開されたが、こちらもいったい何処が良くなったのか全く分からない。

少なくとも、マック版では暫く使っているとキーボードからのコントロールを受け付けなくなるバグはそのまま残っているし、ファイル名のコピペがショートカットで出来ないあたりも未だに改善されていない。

相変わらず動作は緩慢で、およそ快適とは言えずメリルユーザが積極的に乗り換える必要性は全く感じないし、それどころかあの出来の悪い Ver.5.5.3 (15281) が愛おしく思えるぐらいである。

デジタルカメラを使う以上、コンピュータやそのソフトウェアに対してある程度満足できないと、それを公開する作業や、延いては写真を撮るという行為にさえ悪影響を及ぼす。

ま、何もかもが、まことにもって情けないことばかりであり、そのあたりも更新頻度を下げる要因となっていることを言い訳にしておこう。

願わくば、そんなアップルやシグマに、天誅が下らんことだけを期待し楽しみにしている、今日この頃である。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.10.28] ヨセミテは見て止せ、かな? 〜より転載&加筆修正

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