2014年3月28日金曜日

自由への回帰:その序章

久々の機材ネタである。予告編だけど…。

SIGMA DP2 Merrill の追加導入以来、何かと撮影機会は増えているものの、なかなか質的な向上が伴わないのが実情である。

来月からの増税に伴う、駆け込みを当て込んだ年度末商戦の最中、写真機材の中にも以前と比べて、大きな価格変動があった製品も少なくない。

しかし、増税前に既に値上げをしている掟破りな製品もあったりするので、仕掛けられた罠に嵌まらないよう、購入前には最新の(細心の?)注意が必要になる。今さらながら、世知辛い世の中を垣間見る思いである。

たまにアクセス解析を眺めて見ると、物撮りの練習を兼ねて昨年10月頃に書いた「沼の楽しみ方」のページが、その他に比べて異様に多くカウントされている。

ま、だいたい本文中に特定の製品名を連呼しておけば、検索にも引掛りやすいというだけの結果に過ぎないんだが、ドマイナーなシグマのカメラや、サンウェイフォト(Sunwayfoto)製品に関する情報も、その絶対数が極めて少ないのが主な要因だろう。

でなけりゃ、こんな銀河辺境のサイトなどを訪れるような酔狂な者はいないはずだし、そう信じていないとあまり好き勝手ことも書けなくなる。

とはいえ、人道支援の一環と称して地雷のように仕掛けたアマゾンのアフィリエイトにも、思いの外多くの方々にご支援ご協力を賜り、たいへん恭悦至極に存ずる次第であります。

よって、危険ですから駆け込みはおやめください、とも言えない大人の事情もあるのが悩ましいかぎりだ。

で、今後ともヒトツよろしくと感謝の気持ちを込めて、昨年来少しづつ変遷を遂げてきた機材について総集編的なものを、また、新たに導入した自由雲台(Sunwayfoto FB-36)について、その使用感などを書いてみることにした。

自由への回帰などとカッコつけているが、その不自由度を嫌って避けてきた自由雲台(ボール雲台)に関して、ただ単に一周してムシロ便利?みたいなノリに過ぎない。だが、全く新たな発見が無かったわけでもない。

例によって、長文大作になりそうな予感がするので、取りあえず少なくとも、次回の一回目は総集編の予定である。

機材関係の話になれば、与太話のネタは尽きないものの、はたして完結に至るのかどうかさえ怪しい。

ただ、こうやって尻に火を点けときゃ、いくらなんでも後には引けまい、と大風呂敷を広げて自らを追い込むのが狙いだ。

晒し物にする写真の選択や現像など、いろいろと準備の都合などもあって、要するに序章と称した時間稼ぎである。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年03月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.03.28] 自由への回帰:その序章 〜より転載&加筆修正

2014年3月23日日曜日

鉄撮りの練習:其の五(サンライズエクスプレス、他)

まいど、お馴染の鉄撮りの練習イマイチシリーズ、である。

会社から実家へ向かう道程には、機関区や電車区など多くの鉄道車両を見ることができる場所があり、たまに珍しい釜でも入っていないかと寄り道することもある。

以前、勤務していた時はもちろん、その後も含めてそのような現場で写真撮影をしたことは滅多にない。

機関区時代も、レクの宴会で酔っ払いに囲まれた写真ばかりで、現場の機関車などが写っている写真は数える程しかないし、管理局に移ってからは鉄道関係の写真など、見事に一枚も無いのである。

鉄道車両にもその写真にも、別に興味がなかったわけではないが、何となく眺めていればそれで満足な気がしていた。

また、いつでも実車が目の前にある時は、取り立てて写真にしてまで見ようとは思わなかったのだろう。

今までは被写体として見ていなかったのだが、最近は少し見方が変わってきたようで、特に走っている姿に何となく惹かれることが多い。


ただ、構内で停まっている車両は、風景の一環として捉えるならアリだが、個々の車両に関して特別に撮りたいと思ったことはない。例外は、285系寝台特急ぐらいのものである。

それさえも、走行中の絵が満足に撮れないことが、ヤケクソ気味のストレス解消に転化していただけで、前回の笹ケ瀬側橋梁における撮影や今回の幾つかの写真を見ていると、そのような確信を得るのである。

ぶっちゃけ、アフリカのサバンナで撮るライオンと、動物園のそれみたいな違いがあると思うのだが、たぶんそれも個人的な勘違いかもしれない。

人の好みもその時々で変化するし、視点が変わればモノの見え方も変わるので、あまりあてにはならない。

かつてヒマな学生の頃、飛行機のプラモに入れあげていた時期がある。下宿人同士、何人か集まっては気に入ったモデルを購入し、ワイワイ言いながら作っていくのだ。プラカラーや接着剤の異臭を放ちながら、時には別の方向へ脱線することもあったりするが、これが結構楽しい。

製作対象は時期によって、または言い出しっぺの好みによっていろいろなジャンルに及ぶので、必ずしも飛行機ばかりとは限らない。また、全体に統一されたジャンルが定まらない場合は、各人が好き勝手なモノを作ることもある。

だが、ある程度方向性に共通点でも無いと、今一つ盛り上がりに欠ける場合が多く、協調性のない輩はハネにされる。

そのジャンルも、戦車だったりオートバイだったり、時にはゼンマイで自走する自動車だったりと非常にバラエティに富んでおり、まるで一貫性はない只の気紛れ、暇潰しの一環でしかない。

特に盛り上がるのは、ゼンマイ自走の車の場合である。完成後はお約束のように、下宿先の廊下の端から端までの行程でレース開催が必至となっており、完全に勝敗が決着するまで、必死で参加することが強要される。

何時の時代、何処の世界にもジャイアンやバーニー・エクレストンのような奴は居るもので、たいていの場合仕切り屋の出場車両が破損等により、走行不可能になることでイベントは終了する。したがって、完成したモデルの製品寿命は、極めて短い。

そんな、しょうもない行事をキッカケにして、イベントなどとは無関係に独自に作り始めたジャンルに飛行機があった。

ジェットありレシプロあり複葉機ありで、大は二式大艇やアブロランカスターから、小はソッピースキャメルやポリカルポフまで、時期によって多少偏りはあったものの、デフォルメされた漫画のようなヒコーキまで、ありとあらゆるモノに手を出していた。

ただ、幼少の頃より誰でも作ったことのある、ゼロ戦や隼などの直球では面白くないので、若干変化球に終始した傾向はあったかもしれない。

購入した製品にはたいてい、飛行状態と着陸時の引込脚を出した状態が選択出来るようになっている。作り始めた当初は、完成後には置物になるし、付属している部品を余らせるのも勿体無いと考え、着陸時の状態が多かった。

だが、次第に完成品の数も増えて、狭い下宿先の部屋に置き場がなくなってくると、苦肉の策で天井から釣り糸で吊り下げる方法になっていく。こうなると、絵的にどう見ても脚は邪魔にしかならず、以降は飛行状態がデフォルトになっていった。

また、レベルかモノグラムか記憶は定かでないが、このデフォルメシリーズが幾つかあった。スピッツファイヤとかメッサシュミッツェルなどというふざけたネーミングとともに、パイロットの頭のデカさもぱない爆笑モノである。

付属の撃墜マークのデカールには、敵機だけでなく味方の撃墜も含まれるという凝りようで、そのデフォルメの仕方も、ハセガワのたまごシリーズみたいな安易な丸め方ではなく、オリジナルの特徴を捉えながらも上手く漫画チックに変形されていた。

製作には至らなかったが、ジービーレーサー(Gee Bee)など、情報の少ない時代に最初に見た時は、てっきりこのデフォルメシリーズに違いないと思い込んでいた。前述のポリカルポフも似たようなモノであるが、まさかあんなものが実在し空を飛ぶなどとは、…余談である。

九七艦攻や九九艦爆の隣にトムキャットやプラウラーがぶら下がっている様は、さしずめ時空を超越したファイナルカウントダウンのようでもあり、時代考証やスケールの統一もあったもんではない混沌の空域だ。

就寝時に天井を見上げると、其処彼処に飛んでいる状態の飛行機が目に入るのだが、不思議とパイロットになる夢は見たことがない。操縦よりもメカ的なフォルムや設計思想などの方に興味があったからかもしれないが、高いところがあまり好きではないことも影響していたようにも思う。

ちなみに、佐貫亦男の「ヒコーキの心」シリーズは、その頃からの愛読書だったりする。

当時からの友人の一人は、パラグライダーかセイルかは知らないが、今でも老体にムチ打ちながら凧のようなモノにぶら下がって、実際に空を飛んでいるらしい。

ま、趣味趣向は人それぞれだが、ここで超々私的な意見を述べることが許されるなら「バカぢゃねえのか、落ちたら死ぬど!」と、云っておこう。

模型など、今では作る根気も時間もそれにかける情熱も無いので、遠ざかって随分久しいが、たいへん懐かしく思う。

しかし、今思うと特にスケールモデルという奴は、モノをあらゆる面から観察するにはお手軽で良い。身近に実物を拝める機会が少ないものは、シミュレーションの一手法としては、かなり有効だろうと思う。

鉄道車両でこそなかったが、自分で作るより遙かにマシでお手軽な完成品もあったりするので一時期手を出しかけたが、置き場も無い上に数がまとまればそれなりに高価にもなることで、主に経済的な面から挫折した。

最近では、コンピュータグラフィックスによる3D画像などが、それに相当するのだろう。しかし、未だ模型屋からそのようモノが製品化された話は、寡聞にして聞いたことがない。

いずれは、そのような製品も販売されるようになるのだろうが、一部に人気の高いフィギュアなどに比べたら、手触りの感触や質感のない画像では如何に立体を演出しても、今一つ満足できないかもしれない。

そういう意味では、撮影対象に直に接することができるなら、模型を作った時のようにあらゆる角度から眺めることで、より良い写し方なども分かってくるに違いない。

前回までは何度かに渡って、やれメリハリを付けろだの構図を工夫しろだの、撮り方に対していろいろと自分なりの反省点を述べてみたが、根本的な問題は、そこに到達する遙か以前の過程にあるような気がしている。

要するに、被写体に対する観察が足りないということであり、何も見えてねえ節穴をなんとかせよ、という問題というか課題である。

お粗末な液晶や、多少マシな光学ファインダがあったところで、構図を決定する最終的な段階ならまだしも、目の前に超高解像度な実物があるにも関わらず、最初からそんなモノを通して全てを写そうなどとするからイカンのだろう。

いうなれば、撮影以前の問題であり、カメラが無くてもフレーミングできるぐらいにその画角を自分自身の標準とする、という教えの中にもヒントがある。

ま、そんな入門書にでも書いてありそうな程度のことが分かったところで、ぢゃあ実際具体的にはどうするのとなると、どうしようか?となってしまうのだが、…。

そのための、一連の流れで行われるべき過程のひとつとして、被写体となる対象をあらゆる角度から観察するしかない。ある時は見渡し凝視し、そしてぼんやりと眺めるのである。

そのうちに、何かが見えてくる…、のかな?

いやまあ、ますますの精進と自己研鑽が必要ということだろう。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年03月某日 Hexagon/Okayama, Japan

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[2014.03.23] 鉄撮りの練習:其の五 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

2014年3月21日金曜日

3月の定点観測

撮り慣れた被写体なら、それほど絵的に悩むこともないのでキリンビール3月号である。

それでも春らしい絵を求めて、結局今月は都合5回も訪れるはめになってしまった。といっても、4回目までは例によって、仕事のついでに立ち寄ったに過ぎない。

だが、いずれも期待した絵にはならなかったので、5回目は少し気合いを入れて、天気予報なども考慮しながら狙いを定めてみたのである。

季節によっては、曇天や雲の多い日もそれなりに面白みもあるが、そればっかりでは撮る方も飽きてしまう。やはり、たまにはスカっと晴れた絵が撮れて初めて、比較対象となるべくそれらの存在価値も出てこようというものだ。

5回目となるこの日は、早朝から晴れ渡り午前中は雲ひとつない晴天に恵まれた。彼の国からの影響で、多少靄がかかったような青空でしかないが、警報が出るほどではないので、まあ良しとせねばなるまい。

工場手前の田んぼにはまだ何も植えられていないので、わずかな雑草が緑に色付く程度だが、真冬の寒々しい土一色よりはマシになった。

そのおかげで、思いっきり外した土砂降りの写真でさえも、晒す気になれたようなものである。

言うなれば、今回は不良在庫の一掃処分みたいなものだ。

この後、山陽本線沿いに東に向かって、鉄撮りの練習に良いポジションは無いものかと探してみたが、今一つ芳しい感触は得られなかった。

加えて、雑事に係わる連絡を受け、急遽自宅に戻らねばならぬ事態になってしまったので、その後の予定はまた日を改めることにした。

ちなみに、DP2 Merrill について、絵になりにくいという問題の原因らしきものが、少し分かってきた。

が、まだ確証があるわけではないし、もしそうなら撮影の基本姿勢というか、初心者レベルの根本的な問題な可能性もあって、口にするのも痴がましいことなので、あえて現時点では公言は差し控えることにする。

ま、朧げに原因が分かっただけで、解決策までが分かったわけではないので、あくまでも今後の課題であることは言うまでもない。

そのうちに公開する写真が、少しでも良い方に変わればおのずと分かるだろう…、おっと、あまり偉そうなことを書いて無駄にハードルを上げても、またもや前言撤回になる可能性もあるから、このへんで止めておこう。

いずれにしても、未だ精進が足りない。練習に次ぐ練習、である。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年03月某日 Hexagon/Okayama, Japan

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[2014.03.21] 3月の定点観測 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

2014年3月16日日曜日

標準

我メインシステムに DP2 Merrill が加わって、標準域の難しさを日々痛感している今日この頃。

撮影意欲こそ旺盛なれど、現像意欲、はたまた公開意欲がイマイチ盛り上がらない。

もちろん、勇んで撮ってみたものの、その結果を仕上げる段階でまことに残念な出来のモノが多く意気消沈というのが、一番の原因である。

必然的に、未現像ファイルばかりがどんどん溜まって収拾がつかなくなり、なかなか公開できないという悪循環に陥っている。

それにしても標準というのは、いったいなんなのだろう。

国語辞典に尋ねてみると、(いや、尋ねるところ違うだろ)
1.判断の拠り所や行動の目安となるもの。手本、模範、または目標。
2.平均的であること。普通。並み。
、だそうだ。

およそ手本や模範となるレベルのものは撮れていないが、まあ目標ではあるかもしれないな。しかし、大盛りや特盛りではなく、普通や並を目指している時点で、上限はたかが知れているんだけどね。

撮影意欲だけは旺盛なので、定点観測も含めてここ1週間で3台合わせて六百枚以上は撮った。一応、キリンビールは期待した天気と、思いっきり期待外れな天気の両方が撮れたので、3月の定点観測として月末までには、なんとかアップしようと思う。

未だ、三姉妹のカラーバランスの違いや、現像パラメータの最適値などを模索している状況であり、3台の完全な一致は無理としても、許容範囲に収まる落とし所を探っている。写真的な問題は、そのあたりが把握できれば、たぶんなんとかなるだろう。

しかし、絵的な問題はそう簡単に解決できないというか、自分で納得できるモノになるには、まだまだ時間がかかりそうな雰囲気である。

最初の DP3 Merrill とその後に導入した DP1 Merrill では、望遠と広角というその画角だけでなく、写し出す絵が全く異なるので、何の躊躇もなく選択できていた。

ところが、その中間的存在の DP2 Merrill が参入することで、図らずも混乱が生じている。

たしかに、画角や焦点距離では両者の中間に位置する標準域ではあるが、クロスレシオのトランスミッションのように、こちらの都合よく便利には働いてくれない。いわば全く別物、といっても過言ではないと感じているのだ。

ま、それでも今迄晒してきたモノでさえそれほど大した出来でもないんだから、いまさら何も構える必要はないし遠慮するほどのことでもない。だが、そんな写真でも出来不出来には無関係に、自分自身で納得していた結果なので、そこがクリアできないと踏ん切りがつかないのである。

初心にかえって、入門者向けな情報などをいろいろ探してみたりもする。

一般的に、広角はあたりを見渡す画角、標準はぼんやりと眺める画角、中望遠は凝視する画角などと、何となく解ったつもりにさせてくれる講釈を聞かされたこともある。

ただ、ぼんやりと眺めたようなものをそのまま写真にすれば、まるで面白くもないのは当然であり、たぶんそこからもう一捻りが必要なんだろう。

酔拳のように、飲んで酔っぱらって指南書を紐解くだけで高度な技がマスターできればよいが、当然その前提として血のにじむような鍛練が必修となるわけで、そんな根性があればもっと大成している。

いっそ、カンフーハッスルのようにボコボコに叩きのめされて、突然覚醒するような安易な展開を期待してしまうが、現実はそんなに甘くない。

高名な諸先生方によると、とにかく場数を踏んでカメラが無くてもフレーミングできるぐらいに、その画角を自分自身の標準とすることが肝要であり、それ以外には目もくれず精進するべし、ということらしい。

望遠・広角に係わらず、どんなレンズでもその画角や焦点距離に慣れるために撮りあえず最低でも千枚は撮れ、そうすれば何かが見えてくる。と、仰るのでそれに従ってみようと思う。

先週末で、DP2 Merrill のファイル番号は、やっと 500 番台に達したところである。オートブラケットによる3連写が多い DP3 Merrill は既に 7,000 番台に突入した。

単純なショット数では判断できないが、DP1 Merrill が最近 3,000 を少し越えたところなので、だいたいこのあたりを目処にしてみればよかろうと考えている。

そんなわけで、今暫く DP2 Merrill によるモノは、ファイル番号に比べて公開できる数はそう多くないかもしれないし、おそらく今回以上に悲惨な出来も含まれるに違いない。

毎度、言い分けがましいことこの上ないが、少なくとも本人はそんな駄作も含めて、楽しんでいることだけは確かである。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年03月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.03.16] 標準 〜より転載&加筆修正

2014年3月7日金曜日

鉄撮りの練習:其の四(サンライズ瀬戸&宇野線)

鉄撮りの練習と称した、DP2 Meriill に慣れる(馴染む?)プロセスの一環である。

いい加減、ヘタクソな鉄道写真を量産するのもどうかと思うが、近場の路線ではそれほど構えることなくお手軽に撮影できるので、結果はさておき本人としてはそれなりに楽しんでいる。

当日は、仕事上比較的早い時間に客先を訪問する必要があったので、行きがけの駄賃として早朝の宇野線/瀬戸大橋線を撮ってみることにした。

出掛ける前に、何気なく JR 西日本の列車運行状況を眺めていると、以下のような情報が目に留った。

[寝台列車運行情報:2014年03月06日 04時40分更新]
東海道線での強風の影響で、3月5日始発の寝台特急サンライズ瀬戸・出雲号(高松・出雲市行き)に約70分の遅れがでています。
※遅延時分が変わる場合がありますのでご注意ください。

なになに、それだけ遅れてくれりゃ明るさに不足はないぞ、と近所の笹ケ瀬川橋梁へと出向いたのである。

3月6日時点での、岡山地方の日の出時刻は午前6時28分である。天候にもよるが陽が差す前なら、f2.8 のDP Merrill シリーズでは開放でも 1/125 秒がやっとで、早朝の動体撮影ましてや近接での列車撮影には、いまだにちと無理がある時期だろう。

しかし、日の出から1時間以上も経過すれば、f4.0 でも 1/500秒ぐらいは楽に稼げる。サンライズエクスプレスが岡山駅に到着するまでの間に、どの程度遅れを取り戻すことが出来るのか全く知る由もないが、駄目元で挑戦してみることにした。

ま、もっと早くにその情報を掴んでいれば、尚且つ都合が許せば、先ず間違いなく伯備沿線に飛んでいったに違いないが、残念ながらそういうわけにもいかない。

前回までの反省から、日付時刻の設定確認はもとより、オートブラケットもやめて、絞り優先オートフォーカスで連写機能を使用することにした。

また今回は、同じ場所でも少し角度を変えてみようと、土手に沿って建てられている電柱に渡された、コンクリートブロックの支柱伝いに上がって、猿のように電柱にへばり付いて高さを稼いでみたのである。

場所的に、三脚を展開するのは無理なので、一脚(SIRUI P-326)に常設のティルトトップ(Manfrotto 234)から自由雲台(SIRUI K-20X)に変えて、電柱に設置されているアンカーに縛りつけてみたが、あまり自由にアングルの変更は出来ない。

あくまでも、 DP2 Meriill をメインにした練習の一環という前提なので、今回は DP3M の出番はない。 DP1M をサブとして一脚に据えて、メインの DP2M は手持ちで対応、運が良ければ後追いも撮れるだろう。

日も昇ってしまえば、当日の天候から高速シャッターが期待できるので、それでもまあよかろうと考えたのだが…。

ただ、その様相は、端から見れば決して尋常ではなく、通り過ぎる列車の乗務員からも、露骨に不審者を見るような冷たい視線を感じる。

線路からは十分離れているが、あまり奇異な行動で列車指令に通報されてもマズかろうと考え、通過する他のローカル列車で練習するのは、早々に止めておいた。

一応、主題であるサンライズ瀬戸がやってくるまで、あまり目立たぬように待つことにしたが、日の出後も陽は差しているものの、気温はそれほど上がらず少し風もあるので結構冷える。

震える手で、iPhone で例の運行状況のサイトを見ても、一向に情報が更新されている様子はない。毎度のことながら、いったいどのい程度遅れているのか、全く判らないのには困ったものだ。

近くに踏切もないので、鉄橋の対岸にある信号を確認しながら、何度か通り過ぎるローカル列車の接近の度に、次こそは本命かと待ちわびるが、なかなかやって来ない。

そういえば、四国方面に向かう特急は、南風もしおかぜも、その特徴である四つの前灯をなぜか二灯しか点灯していない。その理由は定かではないが、少なくとも岡山方面に向かう南風は、どれも四灯とも点灯していたと思うが、なにか法則みたいなものでもあるんだろうか。

で、そんなことを考えている内に、閉塞信号が赤になってその区間に列車が進入したことを示した。いくら何でももう来るだろうと、線路近くまで寄って確認すると遙か彼方に、かすかに四灯の光が見えたのである。

結果的には、遅れを取り戻すどころか、定刻なら 06時35分頃通過予定が、2時間以上遅れて 08時45分になってやっと姿を現したのである。サンライズエクスプレスを狙い始めてから、過去最高の遅延だ。

たしか、国鉄時代からのローカルルールでは、特急・急行列車が、到着時刻より2時間以上遅れた場合は、特急・急行料金の全額をお返しするという規定があったように思う。JR にとってはさぞや大変な事態だろうが、この時期の鉄撮りにはこの上ない好都合だ。

右手で、DP2Mに付けたグリップを持ち、左手の甲でそれを支えながら左手人さし指は、一脚に取付けた DP1M のシャッターを押すという、まるでウルトラマンがスペシウム光線を発射するときのような、いささか無理な態勢ではある。(ま、分かる人は少ないだろうけど…ジュワッチ!)

両方の画面を確認しながらタイミングを計るが、ピアノも弾けないような者が、両手の指をバラバラにコントロールするのは容易ではない。その上、DP2M の水準器も確認しなければならず、 両目にはカメレオン並の技も要求されるのだから、すべてが上手くいったら奇跡だろう。

ま、当然のことながら、結果はさほど芳しいモノでもない。

サブの DP1 Meriill は、途中バッテリー切れなどもあって、何度か電源が切れてしまう。 バッテリー交換の後に、絞り設定ボタンに当たってしまったのかもしれないが、本番ショットでは F11 になっていた。

そのせいで、シャッター速度は遅くブレており、散々な結果に終わったが、少なくともメインの DP2 Merrill は光量も十分なこともあって、f4.0 でも 1/1000 秒以上と、被写体ブレのない写真は撮れた。

日差しは強くなり、光量は十分なものの列車前面は影がきつく暗くなりがちで、かつての第7高梁川橋梁の再現になってしまった。が、絵的にもそれ以上のモノではない。

帰宅後、期待して現像してみた印象はイマイチ、イマニであり、周りの景観や、列車ごとのシチュエーションの重要性など、新たな反省材料もいくつか判明したことが、せめてもの収穫であったように思う。

よほどアレンジした写真ならまだしも、真っ当な鉄道写真の練習なら、やはり風景撮影と同様に、キッチリしたセッティングで撮らないと、結果としての写真もそれなりでしかない。

それ以上に、ローカル列車ではそれほど気にならなかったが、サンライズエクスプレスにとって、この場所はあまり相応しいとは思えないのだ。伯備線が無理なら、せめて熊山まで車を飛ばすべきだったかもしれない。

やっぱコイツは、緑の中を陽を浴びて駆け抜ける、というような情景で撮ってみたい。できれば、青空、山、川、鉄橋、曲線区間(カント)などの、基本要素の幾つかを含んだ絵を期待してしまう。

などと欲なことを考えているから、なかなかマトモな写真にならないのであるが、いつかはそんな絵にしてみたいものだ。

だからというわけでもないが、標題もあえてサンライズ:リベンジではなく、あくまでも鉄撮りの練習である。

その後、仕事を済ませて少し時間があったので3月の定点観測へ回ったのだが、青空も覗く早朝の天候から時間が経つにつれ、雲が増えてしまい揚げ句に小雪も舞い散る、冬の天気に変わってしまった。

定点観測といえども、できれば春らしい絵にしたかったのだが、まだ少し早いようで、好天に恵まれた後半の日にでもあらためて撮直そうと思う。よって、今回の撮影はオマケみたいなものでしかないので、いずれまたそのうちに。

いまだ、もう DP2 Meriill 慣れたとは言い難いが、何となく標準域の撮り方は判ったような気がしている。判ったとはいっても、広角、望遠とは違うのだという、あたりまえなことが判っただけであり、まだまだである。

ズームに慣れると楽チンで良いのだが、どうしても視点の移動を伴わない画角だけの変化で対応してしまう。結果、広角端と望遠端以外は面白くないので、あまり使わなくなって、それが苦手意識に繋がっていたのではあるまいか、と思う。

それだけに、固定焦点の三台を使い分けるには、それなりの苦労も伴うわけだが、それも楽しみに出来ればよかろうと考えている。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年03月某日 Hexagon/Okayama, Japan


http://www.hexagon-tech.com/
[2014.03.07] 鉄撮りの練習:其の四 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

2014年3月1日土曜日

Merrill vs Quattro(宇野線)

で、メリルかクアトロかの顛末である。

ネット上では、そのデザインや Quatto センサーに関して喧々諤々の論争が展開されている。単なる技術論争だけでなく、お約束ともいえる多分に宗教的な色合いを含んだモノにまで発展して、見ていて全く飽きない。

新しいセンサーで、トリッキーな画像処理を採用したシグマに対して、従来の垂直分離型を捨てて日和っただの、最後まで筋を通せだの、と観念論にもおよんだ否定意見や拒否反応も少なくない。

だが、まだサンプル画像も公開されていない段階で、いくら何でもそんな判断早過ぎるだろうと思う。所詮、技術資料をネタにした楽しい雑談に過ぎないのだが、未だ情報が少な過ぎて、いまひとつ不完全燃焼な感は否めない。

個人的にも、別にデザインや次々と明らかになる技術的な仕様が気に入らないとか、そんなイジけた理由では全く無いし、dp Quattro シリーズに見切りをつけたわけでは決して無い。

ま、そんな発売未定の製品をネタにした、鉄撮りの練習:其の参みたいなものである。

置物や飾り物ではない、手に取って使い倒すべき道具の外見については、現物に触れてもいない段階で、完全否定することはあまりない。

ただし、車は例外だ。とにかく見た目から入り、どんなに快適だろうと、外見が気に入らなければ全力で否定し拒絶する。逆に、外見さえ気に入れば、多少のアバタもエクボにしか見えない。が、ここでは余談である。

だいたい、あの手の奇抜なデザインは、本当に手に馴染むかどうかなど、かなり使い込んでから不満が出るものだ。使い込むことにより、新たな発見があるかもしれないし、ぜんぜん無いかもしれない。全ては、ある程度使ってからの判断が必要だろう。

DP Merrill のシンプルなデザインも、形としては気に入っているが、グリップ感やバッテリーの交換など、実際の操作上では多少不満もある。おかげで、自分なりに使いやすくするオプションパーツで、カスタマイズする楽しみは残されているが、それを製品のメリットとして受入れられるユーザは少ないだろう。

その点、dp Quattro シリーズは、意外と実用面ではいろいろと改善されていそうにも見えるし、写真で見る限りでは、外見も含めて結構気に入っている。気になるのは、ストラップリングとメーカロゴの位置ぐらいか。

メーカロゴだけでなく型番やオラが命名の技術名、はては撮像素子のサイズやピクセル数までを、これでもかとばかりにボディ全面に渡ってちりばめるセンスの無さにも寛容なユーザが多いカメラ業界にあって、希有な存在であるといえよう。

ここでついでだから、シグマに対しての要望も書いておこう。

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新しい dp Quattro シリーズに対する要望
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1.ストラップリングについて
相変わらず横方向へ唐突に飛びだしたストラップリングは、せっかくのデザインが台無しのような気がする。できれば上に向けてダイアル類のガードを兼ねるとかの工夫を盛り込むか、以前のようにボディ内部に埋め込んで突起物をなくして欲しい。

2.ロゴの位置について
dp を小文字にしたのは最近のデザイン上のトレンドでもあるので別に構わんと思うが、メーカロゴの位置と逆にして欲しい。

同一世代を使い分ける可能性が高いユーザのことを考えれば、自分が今どのメーカのカメラを使っているかを忘れるバカはあまりいない。

だが、バッグから取出すとき背面だけでは、機種まで区別できない可能性は高いし、メーカ名をアピールするべき相手は、被写体またはギャラリーであるはず。少なくともカメラの背後には誰もいないし、某社の様に彼方此方にしつこいぐらい配置する必要はないが、せめてグリップする手に隠れてしまわない位置を検討するべきだろう。

3.内蔵クロックについて
現在、DP Merrill 三兄弟を使用しているが、いずれの機種もいくら合わせても時計のズレが大きい。もう少し正確な時計を内蔵するなり、ネットや外部同期の機能も検討するべきである。

4.レンズフードについて
周辺機器が入手しやすいメーカではないとは、考えていないのだろうか。
ネックストラップより、ぜひともこちらを標準添付にして頂きたい。
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以上、dp Quattro シリーズ発売開始までに改善されると嬉しいな、という程度のあくまでも身勝手な要望に過ぎない、余談である。

現行デザインは、あくまでも展示会用であり、発売開始までに多少改善されるものと思いたいが、デザイナーが絡んでくるとなかなか難しい問題もあるだろう。

いずれにしても、是非購入したいという意思は既に決定済みであるものの、発売と同時にこちとらの懐具合との兼ね合いで、いきなり買える値段になっている可能性は限りなく低い。あくまでも願望に過ぎないので、価格によっては挫けてしまう可能性も否定できない。(シグマのことだから、いったい何時になるやら、わからんしね)

ただ、そんな遠い未来の話よりもっと現実的な、今そこに在る現行システムとの整合性という観点から考えねばならぬ、大人の事情もある。

iPhone シリーズも自身にとって最初の機種である、iPhone 3GS から現在の iPhone 5 まで、iPad は初代から iPad 3 まで、全ての機種を iOS  のアップデートとともに継続して使用してきた。

iPad mini を早々に処分したのも iPhone 5S をスルーしたのも、それ以前の機種と比較して、それほど大きなメリットがあるわけではなく、とりたてて必要と感じなかったからであり、あくまでも用途の問題からである。

現行メイン機となる iPhone 5 と iPad 3 は、不本意ながらも最新版の iOS へとアップデートしてしまったが、現役を退いた旧機種は使用していた最後の状態で、アップデートは止めてある。

また、Mac の方はサポート業務の兼ね合いでどうしても残さざるを得ない、山猫(10.8.5)やスノレパ(10.6.8)など、機種により様々なバージョンが現存する。

これら複数のディバイスを使い分けるにあたって、操作性の差違がここ最近は気になり始めている。

特に最新の OS X 10.9(マーヴェリックス)や iOS7 を使いだしてから、以前は慣れの問題で何とかなっていた事柄でさえ、なぜか引掛るのである。

仕事柄、日頃からカメラに比べりゃ、はるかに接する時間の長いコンピュータでは、新しいモノに慣れるための時間も多いが、いくら長時間使っていても疲労感ばかりが増すだけで、一向にしっくりこない。

要するに、そんな端から見れば、もっと言えば以前の自分から見ても、些細な問題でしかないようなものが、最近はとても邪魔臭いと感じるのだ。

Mac OS では、新しいバージョンが全般的に優れているなら、処理速度もそれなりである旧機種に対しては、それも仕方のないことと諦めもつく。だが、必ずしもそうなっていない(または、そう思えない)ことが神経を逆撫でし、よりいっそう腹立たしさを増長する。

自動車業界など、新たな規格の免許制度が必要ではないのかと思わせるほどに、最近の車の機構は複雑怪奇に成り果てているし、おそらく自動車からハンドルが無くなる日も、そう遠くないと思っている。

構造を全て理解した上で、乗りこなそうなどと欲なことを考えない限り、運転は楽過ぎるほどになっているのだから、実用性だけ考えれば良いことなのだろう。

それが嫌なら、そのような車種を選択肢から外せば済むことであり、実用性の最低ラインが確定している自動車にとって、さほど困難ではない。

左ハンドルを自家用に供し通勤している知り合いから、帰宅時に営業車から不用意に乗り込んだらハンドルが無かった、という笑い話も聞いたことがある。普段使い分けているミニとポロでは、どちらも右ハンドルでウィンカーとワイパーの位置関係は同一なので迷わないで済むが、たまに娘のジムニーを借りた時は一瞬躊躇することもある。

ただ、それさえも所詮右か左かの単純な問題であり、ウィンカーやワイパー程度なら走り出してしまえば、ものの5分もすれば慣れてしまう。

一般道では、移動の手段という実用性を重視した意味においては、車種ごとの差違などは殆どない。あるのは、価値観とそれに伴う趣味性のベクトルが異なるだけ、といっても過言ではない。あえて趣味を持込んだとしても、それなりの苦労は厭わないことで、ある程度は対応できる。

コンピュータのように、画面に配置するアイコンやメニューにより、マウスや指でコマンドとして操作するインターフェイスが大半を占める機器の場合、ソフトウェアのアップデートによって、操作性の統一もある程度は可能である。

だが、現実の物理的なボタンやスイッチの類いを多く持つ機器では、それさえ壗ならない。かといって、安易にタッチパネルなど導入しようものなら、操作性を根底から劣化させることは、最近のコンパクトカメラを見れば一目瞭然である。

また、そんな機種に限ってファームウェアアップなどで、ユーザの利便を計ろうというアプローチは少ない。(DP Merrill シリーズでは、実際に行っているが、シグマなどマシな例外だろう)

iPhone 登場時に、指で操作するタッチパネルに対して、至極真っ当と思える反対意見を表明した連中も、今では大半が沈黙した感もあるが、絶滅したわけでもあるまい。

こと電話の機能に限れば、現状のスマホ(←いかにもバカっぽい間抜けな呼び方である)一辺倒な製品展開に、不満を抱くユーザも少なからずいるはずだ。

だが、汎用性という点では電話以外の機能が多く盛り込まれた現在のディバイスにおいて、多くの専用ボタンを持つ機種は完全に絶滅したと考えても、たぶん例外は誤差の範囲でしかない。

ただ、そこには完全な統一ではないにしても、アップルがやったように、確立した操作性のルールを相当な覚悟で開発し布教するぐらいの気合いがないと、一般に広く受入れられることは難しい。

ましてや、携帯電話のカメラ機能の操作性など、今の電話屋にそんな要求をしても猿の耳に念仏である。(知能は馬より多少マシかもしれないが、素直に従わない分だけ、馬よりやっかいな連中だ)

ユーザインターフェイスの統一など、その機能が未だ進化の過程にある機器に求めるのは酷だし、下手な統一はイノベーションの妨げにしかならない。だいたい、シグマにそんな要求をするほど、了見は狭くない。

カメラ業界に、ユーザインターフェイス云々を説くには十年早いと感じているし、未だ進化の過程であって欲しいと考えるからこそ、百花繚乱のデザインや機能性に関しても、寛容に構えていられるのである。

しかし、自動車やコンピュータと違って、カメラや写真など自分にとっては百パー趣味の領域である。そこに、客観的な視点による意見や、評価など入り込む余地は殆どない。

人間誰しも、歳をとれば丸くなり我慢強くなって、あらゆる許容範囲が拡がるものであるはずだが、残念ながらどんどん頑固ジジイになっているようだ。

楽隠居も出来ない身にとって、毎日カメラや写真三昧というわけにもいかない。必然的に、カメラの操作性に関しては頭ではなく、体で覚える指が覚えるという、ある意味理想的な境遇に居るわけでもない。

何日かぶりに写真を撮ろうとした時、そうでなくとも劣化が進んだ順応性や記憶力で、やっと体が覚えた操作性を反故にしてまで新しい機能や操作を覚える気力が、果たしてこの先どれぐらい残されているのか、不安を感じる。

もちろんこれさえも、新しい機種を手に入れ、実際に使ってみた後で考えても遅くはないことであり、そんな不安も杞憂に終わる可能性だって皆無ではない。

だが、レンズ交換式ではないことのデメリットより、メリットの方が遙かに大きいことは DP Merrill シリーズで実感しており、ボディ交換の不利な点があるとすれば、操作性が統一されていないと、著しく使い勝手が悪くなることだ。

それは、オリンパス E-410/E-620 において経験済であるだけに、どうしても譲れない線である。世代こそ異なれど、同一メーカによる同一マウントであれば互換性はあって然るべきであるが、あくまでも機械的な互換性に過ぎず、使用者に対する配慮まで為されているわけではない。

カメラユーザの間では過去何年にもわたって、これらのことは至極当然のことと受け止められて来たことであり、何を今さらと思われるだろう。それは、ボディが世代交代してもレンズを資産として受け継ぐことを前提とした、フィルム時代からの旧い常識に基づいているからである。

いずれ、撮像素子はボディではなく、レンズ側に搭載される時代が来ると確信しているが、果たしてそれは、自動車からハンドルが無くなる日とどっちが早いか、…夢見がちな余談である。

それ故に、レンズ交換を否定し、複数のボディ交換を良しとした経緯を振り返ると、今さらながらにユーザインターフェイスの重要性を痛感するのである。

状況によっては、併用し頻繁に使い分ける場面も多々あるが、己の与り知らぬ機能が数多くあったり、現場で臨機応変な対応が即座に出来ないような機械では、使いこなしている(と感じる)実感がないし、第一そんなカメラには、愛着も湧かない。

残念ながら、現状で基本性能や機能より画質に拘る(フォビ厨)なら、選択肢はそれほど広くはない。

dp Quattro シリーズでも、自分にとってメインターゲットになるのは 75mm の dp3Q だろうと考えているが、新しい機種が入り込むことで、一部の機能や性能が上がったとしても、全体のバランスが崩れてしまうと、システム構成の平均レベル向上までは望めない。

それ以上に、どうも鉄撮りを始めてからというもの 19mm(換算:28mm)と 50mm(換算:75mm)のジレンマに陥ることが多くなってきたことも一因となって、30mm(換算:45mm)という標準域の画角に、がぜん興味が湧いてきたのである。

峠道における、二速三速のジレンマみたいなもので、ミニにもクロスレシオな五速があればと思うことも多々あるが、従来避けてきた標準と呼ばれる焦点距離も、できれば早い段階で確認しておきたいという欲求もある。

カメラとしての基本性能や機能はさておき、現行 DP Merrill シリーズの画質にはなんら不満はない。

となれば、道はひとつ。

現有機器とその操作性において、高い互換性を有する機種を選択すること自体、究極の選択といっても過言ではあるまい。

バッテリーキャンペーンにも、なんとか間に合ったので+4個で合計10個となった。充電器も共用できるから、この互換性も Merrill 世代ならではのメリットと言えるだろう。

実際、DP1 Merrill を追加した時点で、既に刷込み済みな予定調和であったようにも思う。DP2 Merrill が加わることで、体系的にひとつの完成形となることも、精神衛生上良いという効果も大きい。

またそれが、少々下がり気味な写真に対するモチべを引き上げてはくれまいか、という期待もないわけではない。

いつの日か dp Quattro を手に入れることが出来たとしても、その後に DP2 Merrill を導入する可能性(または、買える可能性)は、限りなくゼロに近い。

ぶっちゃけ、逆にサンプル画像も発売時期も、そして価格さえも発表されていない今だからこそ、全て納得の上で DP2 Merrill を手に入れる、最後のチャンスかもしれないのである。

そんなわけで一年越しの懸案事項、メリル三姉妹?の揃い踏みである。

ま、やっちまった感は拭えないけどね〜。


…ということで、今月もヒトツよろしく。
2014年03月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.03.01] Merrill vs Quattro 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく