2014年1月25日土曜日

Macintosh 30th

30年前の昨日、現地時間では本日(1月24日)は初代 Macintosh が発表された、いわゆる記念日であり、30歳の誕生日である。

アップルも本国のサイト(www.apple.com)では、特設ページみたいなモノを開設しているが、アップルジャパンでは全く無かったことにされている。

一般的にはあまり盛り上がっていないようだし、個人的にも初代にはさほど思い入れもないので、よっぽどスルーしようかとも思ったが、一応ネタにしておこうと思う。(たしか、5年前にもネタにした記憶がある)

1984年のアップルといえば、国内ではまだ Apple II が全盛の時代だ。

ま、全盛というほど多かったわけでもないが、ロクに日本語も扱えないような高価なガラクタに血道を上げる輩は、当時主流になりつつあった PC-9801 ユーザから遠慮のない冷たい視線を、一身に浴びていた時代でもある。

個人的には、Macintosh から少し遅れて発表された Apple IIc の方に、主にそのデザインに強く惹かれた。

こちらも、Macintosh ほどではないにしても高価であり、発表当初の国内価格では、安月給の鉄チンがそう簡単に購入できるものではない。

お買い得になった店頭処分品を実際に手に入れることが出来たのは、国内でも Mac 128 から Mac 512 になろうとしていた 1985年になってからだったと思う。

またそれ以前には、気紛れから入手した SHARP MZ80K や MZ80B、仕事上の都合で日和見的に、つい出来心で購入した PC9801U など、ありとあらゆる紆余曲折を経ての購入である。

インターネットもまだ無く、音響カプラや 300bps のモデムと共に、簡易BBS を開設してみたりという長閑な時代だ。

もちろん、自宅の電話に着信なので先着一名様のみだし、駅前でビラでも配らないかぎり、誰も電話番号を知らないので自分専用でしかない。

せいぜい草の根 BBS の知人に、実験アクセスを依頼するぐらいしかできない。モバイルコンピュータなどほぼ皆無なので、カプラを持込んで職場の PC-9801E から、無理やり繋いで遊んでみる程度である。

一応、職場では将来のネットワーク実証実験という口実だったが、単独使用が当たり前のパソコンをネットに繋ぐ意味は、あまり理解されていたとは言い難い。

周囲からお約束のように浴びせられる、で、何が出来るの?という疑問に対する明快な答えは、やっている本人でさえ持ち合わせてはいないのだから、それも致し方なしである。

だいたい、マジでビラやパンフを配ったところで、モデムはおろかパソコンを持っている人口が絶対的に少ない地方都市では、あまり意味はない。

それよりも、個人情報流出に対する警戒心など全くない、そんな発想自体に隔世の感を覚えるぐらいだ。

考えようによっては、我自宅サーバの歴史も結構古いもんであるが、当時は、パーソナルコンピュータというものがいったい何なのか、使っている者でさえ、あまり判っていたとも思えない。

現実に、その輪郭みたいなモノがハッキリしてきたのは、その後に長期分割も厭わず決死の覚悟で購入した Macintosh Plus で、いろんなソフトウェアに触れてからである。

そして、OS やユーザインターフェイスの重要性を認識したのは、Apple IIc だけでなく、併用していた PC-9801 と MS-DOS という比較対象があってのことである。

個人的な趣味では、外見から入ることも多い。だが、およそコンピュータらしくない Macintosh には、同時代の Apple IIc や Apple III、もっといえば、いかにもな外観の IBM PC-XT と比べても、それほど魅力を感じたわけではない。

実際に操作するまでは、どちらかといえば懐疑的であったし、見た目だけではとても買う気になる値札はぶら下がっていなかった。裏を返せば、あの外見に対してさえ大枚つぎ込もうという気にさせるほど、その操作感は衝撃的であったともいえる。

Macintosh よりも Apple IIc のデザインに強く惹かれたのは、おそらくハードウェアそのものではなく、コンピュータが生活の一部として溶け込んでいる、その風景だったと思う。

部屋の片隅にさりげなく置かれた、Apple IIc が写っている一枚の写真。それが、現実から大きくかけ離れた妄想を抱かせる、コンピュータがそんなパワーさえ持っていた時代である。

ぶっちゃけ、今となっては単なる勘違いに過ぎないのは明白であり、正味だけの話に限れば虚像でしかないのだが、自分の中では巨像よりも遙かに大きい存在だった。

アップルのトップページに掲載された写真では、今の Mac はこんなにも進歩しましたと言わんばかりに、初代が晒し物のような扱いを受けている。だが、モノクロ9インチのビットマップディスプレイに過ぎない初代の画面でも、あんなジャギーだらけの風船しか表示できなかったわけではない。(冒頭の写真を参照)

ディザ(誤差拡散法)などの色々な工夫によって、白黒2値で表現できる限界を高める努力は行われていたし、パーソナルでカラー印刷もハードルが高かった時代に、個人が手軽にプリントアウトできる物との整合性を採ることは重要な課題であったはずだ。

当時のペイントやドローを知るものからすれば、いささか不本意な扱いに見えてしまうところも、最近のアップルがバカに見える所以である。


マックのモノクログラフィックスの素晴らしさに感動したことも、ソフトウェアの力を知るきっかけとなったし、それが Macintosh 購入動機になったぐらいだ。

あの頃想像したコンピュータの未来像とは、いささかかけ離れてしまった気がしないでもない最近のコンピュータ事情であるが、たぶんその大半は既に実現されているのだろう。

今も歴代の Macintosh と並んで、自宅の棚の上でモノクロモニタと共に鎮座している Apple IIc を見ると、そんな時代がずいぶんと大昔のように思えてしまう。


とりあえず、30年生存えたマックに乾杯。
 Happy Birthday Macintosh♪


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年01月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.01.25] Macintosh 30th 〜より転載&加筆修正

2014年1月23日木曜日

1月の定点観測

何かにつけ、タイミングは重要である。

何か事を始めるにしても、タイミングを外すとだいたいロクなことにならない。その後の流れを上手くコントロールするためにも、最初の頃合いを計る必要がある。

しかし、好機を逃さないようにするには、普段からアンテナの感度は高く維持していないと、何時までたっても始まらないし、現状を変えたくても出来ない。

最近思うのは、歳とともにこのアンテナの感度が相当鈍ってしまったのではあるまいか、ということである。

今月の前半には、写真を撮りに行くには好都合な日が何度かあったにもかかわらず、全てを逃してしまった。

その理由は様々で、さほど重要でもない雑用を優先させた結果であったり、単に気乗りしないとなどという、およそ怠慢に過ぎないことばかりだ。

弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったり、転べば糞の上と、負のスパイラルを意味する諺は古来より数多くあり、抜け出すためには何かきっかけが必要となる。

現実にはそれほど大きな不幸が重なったわけでも、日常生活に支障が出たわけでもなく、とりたてて精神的に落ち込んでいるわけでもない。多少の不幸もより大きな不幸から見れば、それさえ幸福でしかない。考え方や視点の変更でどうとでもなる類いの、些細な問題だろう。

常々、人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如しと考えているものの、その突破口となるモノがいったい何なのか、またその時期は何時なのかを判断しかねている。

ま、あまり焦ってもストレスが溜まるばかりで体に悪いし、泣き言ばかりを並べていては面白くないので、鈍りきったアンテナでもハッキリ判るきっかけが見つかるまでは、怠慢を決め込むことにした。

で、あえて流れに逆らわず、なし崩し的に今月の定点観測である。

ま、結果から言えば案の定であり、天気は悪いわ水平レベルは怪しいわで、よっぽど無かったことにしようかとも思ったが、これも何かのきっかけや判断材料になればと考え、晒してみることにした。

写真が中心のブログなら、まず載せることはないと思われるレベルのものだが、ここでは雑談のネタとして恥を晒すことは厭わないので、お構いなしである。

また、ついでに吉井川橋梁で山陽本線を通るローカル列車も撮ってみたが、まるで芳しいものはない。

従来、結果的に却下写真となったものでも、撮影時にはそれなりの期待を込めてシャッターを切っていた。

しかし、今回のものはいずれもファインダを覗いた時点で、あ〜これはロクな絵にはならんだろうな、ということが判りきっており、ある意味予想通りである。

もちろん、そんな予想に反した拾い物的な一枚を期待しなかったわけではないが、その結果もまんま予想通りという、まことに残念な写真ばかりだ。

その原因は、自分でもある程度はわかっている。大半は、注意不足であり緊張感の欠如が招いた結果だが、わからないのは、なぜそうなってしまうのか、である。

毎度、反省材料などと称しているものの、全くその効果が後々に反映されていないことも薄々感じている。

その点においても従来通りであり、それだけに何か脱却の糸口でも掴むことができたら写真を見ればわかる、ということにでもなったら嬉しいな、と思う。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年01月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.01.23] 1月の定点観測 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

2014年1月13日月曜日

重症

年頭に、少しペースを落としてでも質の向上に努めたい、などと余計なことを書いたばかりに苦悩している、今日この頃。

キリンビール12月号臨時増刊を撮った後にも、年末に何枚か撮ったのだが、そのあまりにも酷い出来に我ながら呆れている。

もちろん、今迄に晒した中にも相当酷い出来なモノも、無かったわけではない。だが、それも結果論みたいなもので、撮影時点ではそれなりの期待を持って撮っていたつもりである。

ここ何日かは、気軽に撮れるように三脚さえも持たず、DP1M か DP3M かのいずれか一台だけは必ず持って出掛けるのだが、結局カメラを出すこともなく帰宅する、という繰り返しである。

年が明けて今日まで DP Merrill では双方とも、一枚もシャッターさえ切れていない。撮影意欲が湧かないなどと、格好をつけるレベルにはないが、撮り合えず何か撮らないことには判断も難しい症状である。

前回のオリンパス版も、そんな泥沼からの脱出を期待した、いわば苦し紛れだったのだが、改善の兆しは一向に見えてこない。

ま、いずれ今月の定点観測の撮影にでも出かけて、様子を見てみようと思っている。それならいくらなんでも、一枚も撮れないなんてえことにはならんだろう。(たぶん)

ちなみに、先日点検から帰ってきたミニは、ブレーキシリンダとヒータバルブ交換に加えて、消耗していた前後のブレーキパッドおよびシューの交換となった。ついでに少し早かったが、オイル交換も依頼した。

そのため総費用は、価格も下がってきた DP2 Merrill が Sunwayfoto PML-DP 付きで買えてしまう金額を軽く越えていたことも、精神的に追い討ちをかけているような気もする。

しかし、こればかりはどんな車でも、長く乗っていれば避けられない必要経費みたいなものなので、全くカネにならない写真と違い、文句を言っても仕方がないことだ。

ネタとなる写真も無いのに、こんな雑談でお茶を濁すものどうかと思ったが、アップルネタも期待できそうにないので、一層落ち込まないためにもここらで安全弁を噴かしておくことにした。

で、やっぱ質の向上は難しいので、アレも無かったことに…。



…ということで、ヒトツよろしく。
2014年01月某日 Hexagon/Okayama, Japan

2014年1月8日水曜日

たまには、オリンパス

今年も、シグマ一辺倒で行くという決意表明をしておきながら、その舌の根も乾かぬうちにオリンパスである。

ま、今そこに在る機器は有効に使わないと勿体無いし、iPhone と DP Merrill の間にある、未だとてつもなく大きな隙間を埋めるべく、完全引退には至っていない。

iPhone に対するそれは、画質だけでなくあらゆる面においてのギャップであり、必ずしも DP Merrill の全勝とは限らない。

ビデオ機能やメモとしての手軽さ、通信機能との連携によるデータとしての即時性、そして何よりいつでも携帯していることのメリットは、計り知れなく大きい。

そんな大きなメリットを犠牲にしてまで、写真としての表現力に関してはアップルが考えているほどには、誰も望んでいないことは明白である。願わくば、これ以上無駄に画素数を、延いては画像サイズを増やさないで貰いたいものだ。

個人的には、iPhone が写し出すものが写真だとは思っていないし、またその必要さえも感じていない。それはある意味、今手元にあるオリンパス機も含む話になる。

将来、iPhone がマイクロフォビオン?みたいなモノでも搭載しない限り、その考えは変わることはない。(わ〜、フォビ厨全開発言!)

また現状では画質よりも、レンズの焦点距離や撮影技法による、多彩な表現力を重視した用途も皆無ではない。ただ、それによって得られるものだけなら、最近の高級コンパクト程度で十分間に合う。

しかし、必ずしも結果が全てではない個人の趣味の領域では、仮にそれが旧態依然としたデジイチだったとしても、未だにそれなりの用途はある。

もちろん、さすがにそんな言い訳も、だんだん苦しくなりつつあるオリンパス(E-410 & E-620)ではあるが、基本贅沢は敵である。完全に使い物にならなくなって引導を渡すまでは、もう暫くは頑張ってもらおう。

で、物撮り猫撮り以外では久々の出番を得た E-620 である。

実は、会社のある場所から徒歩5分ほどで行ける距離に、宇野線/瀬戸大橋線がある。

したがって、単に列車撮影だけが目的であれば、サンライズエクスプレス(瀬戸)は毎朝ここを走っているわけで、撮ろうと思えば大した苦労もなく何時でも撮れるのだ。

しかし、岡山駅を発車してからわずか6〜7分で到達できる距離にある笹ケ瀬川橋梁あたりでは、あまり撮影意欲も湧かない景観でしかない。

県南の瀬戸内海近くまで捜索エリアを広げれば、少しは景観も良い場所だってあるだろう。だが、基本的に高架線区間の多い瀬戸大橋線では、まともな絵にしようと思えばそう簡単ではない。

わざわざサンライズ瀬戸ではなく、サンライズ出雲を狙って伯備沿線まで足を延ばしていたのは、そんな理由からである。

冒頭の写真は、これでも一応サンライズ瀬戸であり、南区の瀬戸大橋線笹ケ瀬川橋梁において、今朝の撮影である。

その状況から、予想通りの夜景然とした想定内の写真なので失敗作とまでは言えないが、残念ながらほとんど絵にはなっていない。日の出三十分前は、肉眼ではほぼ真っ暗であり、ISO400 で6秒露光してやっとこの明るさだ。

露光開始点あたりではカメラブレも顕著で、ミラーアップはおろか遅延シャッターも使わず如何にいい加減に撮ったか、が如実に見て取れる。せめて、リモコンぐらいは使うべきだったかな、とは思う。

暫くピクセルマッピングもしていなかったので、画面中がまるで星空のような状態だったこともあって、滅多にやらない PSE8 によるレタッチもやってみた。

この鉄橋、たとえば午前中に順光で捉えようとした場合、都合よく鉄柱が反対側にあるので一見良さげに見えたのだが、手前の半端な高さに電線がぶら下がっていて、列車側面に被ってしまうのがイマイチだ。

市街地に近いこともあって、午前6時半頃でも周辺地域の交通量は結構多い。裏道でしかない鉄橋付近でさえ、少なくとも十秒に一台はすぐ側を通過するので、ヘッドライトの明かりがそこら中に反射して、およそ露出は安定しない。

また、以前の第7高梁川橋梁と違って、近くに踏切もないので事前に列車の接近を知る手立てがない。まだあたりが暗いことで、列車のヘッドライトの明かりがわずかな助けにはなるが、日中の明るさではそれも期待できないことも、撮影条件としてはマイナスだろう。

キッチリとダイヤ通りに走ってくれりゃまだしも、一時間以上遅れることもあるような特定の列車を狙うには、あまり向いていない。

当日は小雨模様で、お世辞にも楽しい撮影とは言えない状況である。たまたまこの時間に通りがかって、偶然にも E-620 を持ち合わせていたので、やってみました的なモノに過ぎない。(ということにしておく)

一応三脚も立てたが、ヒワヒワな SLIK 500G-7 しか手元に無かったので、細かいアングル調整などは望めない。今から考えると、以前はよくこんなものをよく使っていたものだと感心するが、それでも手持ちよりはなんぼかマシだ。

SIGMA DPM に比べりゃ、高感度には多少耐性のあるオリンパスだからという期待もあったが、慌ただしさからあまりにも雑な撮影になってしまい、当然結果もそれなりでしかない。

事前のテストで撮った一枚では、なるべくシャッター速度が稼げるように絞り開放で撮る設定にしていたはずなんだが、なぜか絞り優先モードにもかかわらず、本番ショットは f5.0 に絞られてしまった。

当初は、望遠ズームの広角端あたりでどうかと思っていたが、あまり画角を絞ってしまうと、いったい何が写っているのか判らなくなりそうな状況である。少し寄って、明るさの点でも有利なワイドズームの広角端 14mm(換算 28mm)を使ったのだが、あまり意味はなかった。

やはり、こういった状況ではマニュアルモードを選択するべきなのだろうが、久しくオリンパスの出番がなかったので、使い方を忘れてしまったようだ。

同世代の DP1M/DP3M では、あまり操作や設定で迷ったこともない。しかし、メーカや世代の異なる複数台のカメラを使う場合、カメラ毎の設定をうまく使いこなすためには、日頃から使っていないと現場で慌てることになる。

世代が異なれば、オリンパス同士でも E-410 と E-620 の間では、かなり戸惑うことになるのが現状であり、全く同じ操作で使用できる DP Merrill 兄弟を使うことのメリットは、その点においても大きい。

特に、動きの速い被写体撮影には事前の設定が重要である。状況に応じた判断により変更を加えていく過程で、操作を誤らないようにするには体で覚えるしかない。

ぶっちゃけ、サンライズエクスプレスに拘り過ぎるのもどうかと思うが、あくまでも練習台みたいなものである。

鉄道のある風景なら、もっと視点を変えた撮影にも挑戦したいところだが、自分にとってはまだまだそれは先の課題であり、せめて納得のできる一枚が撮れるまでは続けてみようと思う。

いずれそのうち、もっと明るい日中にマリンライナーあたりで、今少し練習してみようかと考えている。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年01月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.01.08] たまには、オリンパス 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

2014年1月6日月曜日

雑記

今日あたりから、どこも仕事始めで新しい年が動き始めたようだ。

これといったネタもないのだが、そろそろ正月飾りを下ろさないと仕事に対して気合いが入りにくいので、更新のついでに書いているだけである。

先月頃から、ミニの駐車スペースにオイル漏れと思しきシミが拡がっているのに気がついた。レンジの末期には、それはもうあちこちに点在していたので、それほど気にしてもいなかった。

だが、ミニになって以来、割とマメに整備しているという自負もあって、オイル染みには結構注意を払っていた。なにせ年式だけでなく、元々の作りがいろいろとアレな車である。

場所的には右後輪付近なんで、ブレーキオイルの可能性が高い。漏れている量はさほどでもないが、そうでなくとも強力とは言えないミニのブレーキである。一応、ボンネットを開けてリザーブタンクを確認してみると、若干減りぎみのように見える。

ま、いきなりスカを喰らうような事態にはならないと思うが、明日から点検整備に出すことにした。ついでに暖房の効きも芳しくなかったので、一年越しの懸案であったヒータバルブも交換する予定である。

人間同様、さすがに十九年目にもなると、いろいろとガタというか不具合も出てくるようだ。こんな時ばかりは、あちこちボロボロではあるにせよ五十九年目となる我が身のように、自己再生能力でもあればいいのにと思う。

新年早々まったくもってセコい話だが、虎徹と生一も元気で部屋中を走り回っているし、今のところ唯一の懸念材料は、修理費用がいったい幾らかかるのかということだけであったりするので、概ね平穏なスタートである。


…ということで、今月もヒトツよろしく。
2014年01月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.01.06] 雑記 〜より転載&加筆修正

2014年1月1日水曜日

謹賀新年♪

昨年は、九月の方針変更以来というかそれ以前から、従来のアップルネタ中心から、カメネタ中心延いては好き勝手中心へと、掲載内容に変更を加えてきた。

おかげで更新頻度は増したものの、八月九月はちょっと飛ばし過ぎな感があったことは否めない。元々、気紛れで書いている与太話など、興が乗ればいくらでも書けるわけで、内容など殆どない雑談と余談しかないのである。

それでも興も乗らないにもかかわらず、無理して書いたことも全く無かったとも言えない。せめて、後になってからやるんぢゃなかったと思えるようなものを極力減らそうという、努力目標みたいなものは漠然とでも据えてみようと思う。

ま、今年は少しペースを落として、質の向上に努めたい。

カメネタ関係では、今年もシグマ一辺倒で行く(逝く)ことに大きな変化はないが、DP Merrill シリーズにも新製品が期待される。

基本性能には不満はないものの、もう少しムリが効くカメラへと進化してくれると有難いのだが、このあたりはアップルにも共通した不満でもある。

願わくば、アップルネタでもう少し楽しく苦言を呈することができれば良いのだが、憤りを通り越した脱力感ばかりがモチベを妨げる、悲しい現状である。

モバイルディバイス企業としては絶好調なのかもしれないが、そろそろその内容というか Mac との連携を含めた質の向上に努めないと、市場規模がぱない大きさに拡大していることで、割と簡単に減速、最悪ひっくり返ってしまうこともある。

2007年に、アップルコンピュータという社名から、コンピュータを外したことは、たとえそれがスティーブの意向であったとしても大きな間違いであった、と個人的には感じている。

あれから、既に六年以上も経過しているが、少なくともハードウェアメーカとしては、基本的にやっていることに大きな変化があったとは思えない。いくら社名からコンピュータの文字を外そうが、過去も現在も、そしておそらく未来も、アップルが作るのは紛れもなくコンピュータである。

にもかかわらず、アップル自身ががそれを忘れているかのように見える現状は本末転倒であり、せっかく苦労して培った資源や資産(遺産)の無駄遣いに思える。

その出来不出来はさておき、OS X を(実質)無料化した時点で、ハードウェアメーカであることを明確に提示したのだから、総合的なハードの魅力を引上げる、要するに磨きをかけることに注力すべきである。

総合的なハードの魅力を引上げるのは、見かけのデザインなどではなく、ソフトウェアであることは、今さら外野から言われるまでもないことだろう。

もちろん、ユーザの立場からはアップルに対して、多少見かけは悪くてもなどという甘えを許すつもりは毛頭ない。

本来アップルが為すべきことは、社名からコンピュータを消し去ることによる安易なイメージ操作などではなく、コンピュータそのもののイメージを根底から変えてしまうことであるはずだ。

とまあ、今年もこんな調子で続けるつもりなんで、やっぱ従来通りになるような気もする。



…ということで、今年もヒトツよろしく。
2014年01月吉日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.01.01] 謹賀新年 〜より転載&加筆修正