2013年3月30日土曜日

更新のモチベーション 〜完結編

気がつけば、とんでもない大作になってしまったが、乗りかかったタイタニック、航海先にたたず、更改役に立たず、後悔後を絶たず。

ということで、かまわず続けることにする。

SIGMA DP2 Merrill、めりるすげえ、と思うが、個人的にはひとつふたつ問題があった。

ひとつは、発売開始時の10万円近い価格に加えて、例の苦手な標準域レンズ固定という(あくまでも個人的な)問題。ま、価格は中判の画質(に近いもの)が10万なら、文句もいえないが、果たして使いこなせる(使い倒せる)のか、という不安。

聞けば、少し遅れて広角(換算 28mm)の SIGMA DP1 Merrill も f2.8 で出るらしいので、少し様子を見ることにした。(大人になったなあ)

しかし毎度、毎度、換算何ミリというのは面倒な言い方だ。みんながフルサイズのカメラになっちまえば、こんな面倒な言い回しはなくなるんだろうが、…。

で、ふと思ったのだが、苦手な標準域とは言いながら、換算2倍のフォーサーズなら標準域、仮に50mm付近とするなら(実際の焦点距離は25mm)、換算1.5倍の APS-C サイズである SIGMA DP2 Merrill (30mm) は、それに近い 45mm 相当になる。

だが、SIGMA DP2 Merrill の作例を見るかぎり、さほど違和感は感じないし、なにか懐かしささえ感じる。

同じレンズの画像をフルサイズセンサーで受ければ、まんま 30mm の画角が得られるはずだし、フォーサーズや APS-C サイズのセンサーは、その真ん中辺りをクロップしているだけで、写る絵自体は 45mm ではなく、30mm で撮影された写真を単にハサミで切っただけの結果ではあるまいか。

光学の理論はよく判らんが、フルサイズデジカメは持っていないんで、確認のしようがない。

ま、そのために D800E でも一個買ってみるか、というわけにもいかんだろう。そんな理由づけが無理無理すぎであることは、さすがに自分でも判る。

ただ、何となく換算何ミリを基準に苦手な標準域というのは、なにか違うような気がしてきた。フォーサーズで 80-100mm 辺りの方が、自分的にはシックリくるというのは、逆に標準域だからであって、本当に苦手なのはそこからもう少し外れた領域(38mm 付近)にあるのではないだろうか、という疑問が湧いてくる。

以前使っていた、フルサイズ機(一般的なフィルムカメラなら、6×7判やハーフでない限り全部フルサイズだろう)CONTAX T2 も、それ以前のキヤノンオートボーイ2も焦点距離は同じ 38mm 固定、明るさも同じ f2.8 だ。この両機種は、過去に結構な枚数を量産しており、ひょっとすると苦手なのではなく、単に見飽きた画角だから避けてきただけなのかもしれない。

ただ、人の撮影した作例(結果)だけ見ても、実際に自分がシャッターを切る瞬間までは想像できないので、実験してみるまでは明確な答えは出てこないだろうなあ。いやいや、またもや SIGMA DP2 Merrill に向かって、好材料をねつ造しているだけのような気がする。(あぶねえ、あぶねえ)

当然のように、件のサイトでは DP1 Merrill も発売開始と同時に作例がアップされ、期待通りの画質が披露された。以前であればこの時点でもうすでに、物欲に抗うことは不可能な精神状態に陥るところなんだが、先立つものに先立たれて久しい状況を鑑みて、断腸の思いで保留とせざるを得なかった。

ここはひとつ、大人になって冷静になろう。買わない理由を探してみるも良しということで、たいして探さなくとも幾らでも出てくる、DPシリーズのデメリット。

●データサイズがデカイよな

(4,600万画素ですから)
●したがって、書込みも遅いしシャッターチャンスは期待できんぞ

(どうせ、風景写真がメインだろ人物苦手だし)
●バッテリーも持たないし、使い勝手悪そう

(標準で2個同梱、その上追加で買っても安い価格設定。)
●手振れ補正も無いから、遠景は三脚必修
だな
(そういえば、久しく使っていない三脚があったぞ)
●光学ファインダがないぞ

(三脚に載せたら、結局ライブビューを使うだろう)
●いまさら、VGA 動画はないよな

(HD Movie なら iPhone 5 で撮れる)
●なんか、Foveon って宗教っぽくね

(信じればあ、救われるう、それより画質を思い出せ)
●ズームないよね

(横着をしてはいけない、自らが動く)
●レンズ交換もできないのに、異なる画角をどう選択するんだ

(広角 DP1 と標準 DP2 の2台買っても、高価な交換レンズより安いかも♪←おっと、危険な考え)

いちいち言い訳というか、心の声で逃げが用意されているのも問題だが…。

とりあえず以上をまとめると、
レンズ交換無し、光学ズーム無し、手振れ補正無し、内蔵フラッシュ無し、HD 動画無し。
あれ?どこかで…

パワステ無し、パワウィンドウ無し、オートマ無し、カーナビ無し、ABS 無し、エアバッグ無し。なんだ、ミニとおんなじかあ。う〜む、いっそ清々しくも潔いではないか。

いかんいかん、付和雷同は禁物である。とりあえず、中望遠マクロ版でも出たら再度検討しよう。てなことを妄想しながら、半年ぐらいは作例サイトを眺めて遊んだものだ。

そうこうしているうちに年が明けて早々に、SIGMA DP3 Merrill 発表である。な、なんと、まさかの 50mm (換算75mm) 単焦点、中望遠マクロだあ。

これは、もうダメでしょう。たぶんダメだわな。退路は完全に断たれた。勝負あった、参りました。(ポチッ ←買い物カゴに入れた音)
いや〜実際、我ながら半年も良く我慢したよなあ。(しみじみ、ズズゥ〜 ←茶をすする音)

で、現在に至る…、である。

一応コンパクトデジカメに分類されている DP シリーズではあるが、撮影自由度はデジタル一眼レフとなんら変わらない。

というか、一般的なコンデジのお手軽な撮影方法では、まず良い結果が出ない。それほど酷くない、失敗写真とも言えない程度のモノなら、撮って出しのJPG では無理な調整もRAW からの現像では何とかなる場合もある。したがって、基本は RAW+JPG という点も一眼レフと同様である。

ただ、カメラ内で生成される JPG は、確認用と考えている。なにせ、マイナーなことでは人後に落ちないメーカであり、その点では肩身の狭かったオリンパスでさえ、SIGMA に比べりゃメジャーな存在である。

なんと、現状では OS X 上で SIGMA の RAW Data (.X3F) は、サポートされていない。アップルだけでなく、アドビもサポートしていないんで、iPhoto はもちろん、Aperture も Lightroom もペケである。RAW ファイルの現像は SIGMA Photo Pro が絶対必修であり、他の選択肢は少なくとも現時点で、皆無である。

あろうことか、アップルなどは宿敵 SAMSUNG の RAW をサポートしているにもかかわらず、SIGMA のシの字もない。ほんまに、アップルはアホである。

ま、有る程度覚悟はしていたが、マイナーもここまでくると見事であり、いっそ清々しい。

ここ、2週間ほどいろいろ設定を変えて、自分の使い方になじむように調整をしているが、コンデジで露出補正やホワイトバランスにまで気を使わなければならない機種がこの時代にあったとは、なかなか楽しいカメラである。

しかし、撮影された画像には、毎度驚かされる。ここまで、写っていいの? というのが、正直な感想。

その昔トリミングは、主に撮影時のフレーミングを尊重するため、また画質の低下の要因となる、戒められるべき行為として忌むべき悪行のように教えられた気がする。

しかし、その十分な画像サイズと等倍でちゃんと解像している写真を見ていると、何処でも必要な部分を切出して使用することが、忌むべき悪行どころか最大の恩恵のような気がしてならない。縦長横長、正方形はおろか、たとえパノラマでも、自由自在なんだから。

自分で撮影してみて分かったことは、メーカサンプルの解像感はけっして誇張などではなかった、ということ。もちろん絵画的な意味では到底およびもつかないが、あんなものは画家か詩人でなければ撮影できるものか、と思っている。

撮影時にはおよそ肉眼では確認できていないモノまで、シッカリと写し出されており、マクロ領域ではまるで電子顕微鏡のようだ。おのずと、そのような(どのような?)被写体を選びがちで、ピクセル等倍で見るのが楽しみになってしまう、あぶないカメラでもある。

デジカメ写真のピクセル等倍の鑑賞については、数多意見がある。明確に表明はしていないが、ベイヤー型センサー陣営(SIGMA 以外のすべて)は、ピクセル等倍では見て欲しくないと考えているらしい。

デジタル化されてずいぶん時間が経つカメラ業界は、いまだに写真はプリントして見てもらうことを、前提にしているように見える。Flickr や Picasa なども、あくまでも写真をストックしているだけのサービスだと思っているのだろうか。6〜8インチ程度のフォトフレームで見るなら、iPhone でも十分すぎるぐらいである。

また、業界のプロは看板やらポスター、雑誌(もう見ることも無くなったが)を媒体とした出力も考慮する必要はあるのだろうが、アマチュアにはあまり関係がない。実際デジカメ黎明期以来、もう久しく手札サイズの写真を見ることはない。例外は iPhone だが、コンデジの背面液晶と同じで、これは観賞ではなく確認作業でしかない。

鑑賞と呼べる行為には、最低でも高解像度 9.7インチ(2,048×1,536 いわゆる Retina)、今現在は24〜27インチモニタ(1,920×1,200 or 2,560×1,440)で見るのが当たり前になっており、いずれもかつての写真の見方とは大きく異なる。

液晶モニタも長期間使用すれば劣化するはずだが、手元にあるもっとも古い Cinema Display で見ても、Foveon X3 センサーで撮影された写真の素晴らしさは十分に認識できる。当然観賞用のモニタも質が高いことは理想ではあるが、多少条件が悪くとも十分にわかるほどに、その差が大きいことを確認できたこと自体が収穫である。

デジカメ黎明期より、様々な機種を使用してきたが、画質という点では未だに満足できたものはない。さほど不満が無いというのは、満足とは言えずただの妥協に過ぎない。

凝りがない、こんなもんだろう、というレベルなら、今まで使った中で iPhone 5 が満足度ではベストであり、その点においては、オリンパスの一眼レフでさえ iPhone 5 ひょっとすると iPhone 4S 以下である。

誤解の無いように断っておくが、携帯電話のオマケカメラとデジタル一眼レフでは、ユーザの期待度(期待の絶対値)が異なる、という意味である。iPhone のカメラは電話を買ったら勝手に付いてきたものであり、デジタル一眼レフは写真を撮るために購入したものである。

あまり同じ土俵で評価されるべきではないと思うが、そんな戯言はポケットに入ってからほざけと、iPhone が言うならつい同意してしまうような気がするのである。

満足できなかった原因は、主に解像感(≠解像度)とリアリティである。たぶん、その両者は実態として同じだろうと思うのだが、少しニュアンスが異なるような気もする。もちろん、この辺りになると、携帯のオマケの出る幕はなくなる。

被写体にもよるが、風景写真の遠景、とくに森林や樹木の枝葉、草木のディティール、近いところでは、堅さが感じられない金属や岩肌の質感などの描写に、違和感を抱き続けてきた。

ビデオ画像から切りだしたような、初期のデジカメ画質に比べたら格段の進歩ではあるが、それは単にビデオの静止画を極端に高解像度化したモノでしかない。かつての写真(といっても、既に記憶の彼方なんだが)とは、すこし違うように思っていた。

まあ、どこの製品もランクにより程度の差こそあれ、その点では同じだから、あえて公に口にしたことはなかったんだが、最初に見た DP1の作例により Foveon X3 センサーの写真を見た時、すでに時限爆弾はセットされていたのかもしれない。ただ、生で見ていない被写体を、写真だけで判断できるほどは、自分の目に自身はなかった。

SIGMA DP3 Merrill で自分自身が撮影し、その結果である写真を見て、それが個人的な錯覚ではないことがはっきりした今はもう、ローパス外した程度のベイヤーセンサー機の画質云々に対しては、どんな高級機が写す作例を見ても(作品ではなく、あくまでも作例ね)、なにも興味はわかない。

ただ、カメラとしての完成度は、他社が一歩も二歩も先を行っているのは事実で、前述の D800E などにも高級ハードウェアとしての魅力を否定する訳ではない。単に財布が否定しているに過ぎないのだが、買えもしない高級機でなく、現実的になんとか手の届くエリアで製品化している SIGMA が偉い、と思っているだけだ。

事実、SD1 より DP Merrill の方が結果としての画質は上だと思うが、撮影からのすべてのプロセスで上かどうかは、また別の話だ。SD1 の作例「自衛隊観艦式事前公開」などのリアリティは圧巻であり、こんなものを見ると DP シリーズではどうにもならない部分は確かにあると思う。あえてリンクは張らないが、↓で画像をググれば、一発で出てくるゾ。( º-º)>
(SD1+SIGMA APO MACRO 180mm F2.8 EX DG OS HSM)

当初 4,600万画素がハッタリだと思っていたが、逆に従来のベイヤー型センサーの画素表示の方が、誇張のように思えてくる。というか、センサーの総画素数と同等の画像出力を期待すること自体に、ムリがあるように思う。

解像度オタクの戯言と聞き流してもらっても結構だが、補完で作り出すなら、現在の1/3か、せめて50%程度にリサイズと最適化をしなければ、期待する解像度は得られていないように見える。

その点においては、画素ピッチを狭めてまで、さほど高画質に貢献するとも思えない高画素化になぜ業界が邁進するのか、何となく分かったような気がする。

一般ユーザからは「デジカメに一千万画素もいらない」などという声をたまに耳にするが(自分もそう感じていた)、作る側にしてみれば、まず極端に狭められたピッチでもそれなりに使えるようにする技術を培い、時期がきたらそのノウハウで大型化するというプロセスの一環である。

昨今の大型撮像素子採用のコンデジやミラーレスが多く製品化されるのも、画素ピッチはもちろんのこと、まだまだ画素そのものが足りないことを、結局はメーカ側ではちゃんと分かっているんだろう。

現在のセンサー方式では、まともな一千万画素を作り出すためには、三千万画素は最低必要だ、ということを。


…ということで、今月はもう後がないので来月もヒトツよろしく。

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[2013.03.30] 更新のモチベーション〜完結編 〜より転載&加筆修正

2013年3月29日金曜日

更新のモチベーション 〜つづき

前回につづいて、デジカメネタ。

一枚の写真が何かを大きく変えてしまうことは、我が半生を振り返ってみると、結構よくあることなんで自分にとっては大して珍しくもないんだが、その何度か目の覚醒である。

だいたい何かに対して物欲が湧きだすと、最終的に崖から突き落としてくれるパワーのあるものを探しだす。それは、たいていチラシやパンフ、カタログに掲載された写真などであることが多く、割と簡単に触発されたりする。

ただ、写真には侮れない力があると思う。

端から見れば何ということもない写真から、イマジネーションの拡がりというか、上手く表現できないが、想像力をかき立てる何かを感じることがある。それは目から入った情報が、人それぞれの体験や趣味指向の違いによってさまざまに変化しながら脳に到達し、または到達後に脳内で化学変化を起こす。人によってはそのまま消え去ってしまう場合もあるが、衝撃として感じたり、爆発することだってある。

その衝撃や爆発(暴発?)は、かならずしも即時性があるとは限らない。時限装置のようなものを持って、何日も何ヶ月も何年も脳の奥深くに潜んでいて、ある日突然何かがトリガーになる、というパターンもあるから恐ろしい。

最初のデジイチ購入当時、コンデジに比較して多少マシな画質に、そこそこ満足していた。機種選定の段階でも、ある程度その業界の状況なども一応調べてみたわけだが、それまで使っていたコンパクトカメラに対してあまり大きく重たいものは敬遠しよう、という決め事が自分の中には既にでき上がっていた。

したがって、軽量コンパクトが信条の Olympus E-410 の選択も、ある意味必然の帰結であったわけで、画質の優先順位は必ずしも高かったワケではない。

その後、デジカメ関連のサイトを訪れることも多くなったが、目に触れる「毒」の数々の誘惑に誑かされるほど、経済的に恵まれていなかったことが幸いして、大事には至っていない。

たが、その頃に見た中判デジカメの画質には、正直かなりの衝撃を受けた。広大な風景の隅から隅までことごとくピントの合った写真は、お勤め品などの写し出すそれとは全く別次元のモノである。当然、下世話な庶民としては、すぐさま価格にも調査は及ぶ。

いちじゅうひゃくせんまん…、え゛〜デジタルパックだけで六百万!? あ〜、カメラは別売りなんですね、ハイ了解です、失礼します。(←Phase One)

門前払いである。いや、門の前にも行ってない。ま、関係ないしな。ただ、その画質だけは脳裏に焼き付いてしまったようだ。

で、一枚の写真なんだが、(いつにも増して長い前フリである)

昨年の夏ごろのこと、常設デスクトップピクチャにも飽きてきたんで、ネットで風景写真を探していた。いかにもプロが撮影しました〜と言わんばかりの写真に混じって、住宅の屋根ばかりが写された写真を目にすることが多々あり、これはいったいなんぢゃと思って、そのサイトを訪れてみた。

どうやら、SIGMA というメーカのカメラ(+レンズ)で撮影した作例を公開することに、只ならぬ熱意と愛情を持って運営されておるらしい。後から知ったことなんだが、その筋には「西船橋の屋根おじさん」として有名を馳せている御仁のサイトである。

SIGMA(シグマ)については、レンズメーカとしてかなり前から(まだあったのか、という印象で)知っていたし、50mm F1.4 EX DG HSM のフォーサーズマウントも発売していた。

明るいレンズに対する漠然とした興味から E-620 との組合わせによる作例も何度か見て、値段がこなれた頃を見計らっていってみるかな、と考えていた。しっかし、ボディのみなら 375g の E-410に 500g のレンズはねえよなあ、やっぱ35マクロかなあ、てなことを妄想してるうちに、その製品は市場から消えてしまった。(マイナーな4/3マウントには、中古市場も純正以外はほぼ皆無)

2008年頃に発売された、初代 DP1 も作例も含めて目にしていたが、その広角 28mm は F4 と暗く、1400万画素とハッタリをかましている割には実質460万画素程度の写真にしかならない。

画質には興味を持ったが、レンズ交換もできないコンデジのくせにズームもないことなどから、あまり本気では見ていなかった。その後、レンズを F2.8 と他社並になった DP2 を発売したが、今度は焦点距離が 41mm とまことに的を外すのが上手いメーカだなあ、と感心したものだ。

変わった撮像素子も使っているし、どうせ的を外すなら、絶対売れない 90mm 単焦点でも出してみやがれ、とその時には笑って済ましたんだか…。

毎度あくまでも個人的見解だが、50mm 前後の所謂標準レンズというのは苦手だ。ヘタクソが撮ると、まことに面白みのない写真にしかならない。ようするに、ナチュラルな描写は難易度が高すぎて、今一つ楽しめないような気がする。人間の目で見たままの絵より、多少歪もうが広角の方が、不自然な遠近感が得られる望遠の方が、撮っていて面白いんである。せっかく大枚はたいて買うものに、楽しめないようなモノを選択するのは、やはりツライ。

E-410 のキットレンズ(ZUIKO Digital 14-54mm/f3.5-5.6&40-150mm/f4.0-5.6)で撮影した過去のライブラリを見ると、望遠ズームは、広角端の 40mm(35mm 換算では2倍の 80mm)と望遠端の 150mm(同 300mm)で4割、残りは結構さまざまな画角が散見されるが、広角ズームに至っては3割程度の望遠端 42mm(同 84mm)以外、大半が広角端の 14mm(同 28mm)という有り様。

絶対枚数では、広角ズームの方が7割を占めることから、あまりレンズ交換(面倒くさいもんね)もせず、よほど望遠が必要な場合を除いて、たいていは広角ズーム付けっぱなし。望遠付けたら付けたで中望遠域を多用するという、まことに横着かつ野放図な使用状況が伺える。中望遠域の多用には、80mm 付近では広角ズームの望遠端 42mm/f5.6 より望遠ズームの広角端 40mm/f4.0 と、多少明るさで有利という事情もないとはいえないが…、余談ばっかりである。

で、あらためて一枚の写真なんだが、いや、一枚や二枚ではない大量な作例写真集である。

当時、またもや SIGMA が新しい DP シリーズの販売を開始したという話は聞いたが、それ以前に発表された SD1 の高価格にも驚かされたし、その後の大幅な値下げ(SD1 Merrill)には、もっと驚かされた。

いったい、このメーカは何を考えているんだろう、こんなの買ったヤツは気の毒に、いや、こんな価格帯のカメラを買えるヤツには屁でもないのかも。いずれにしても、もさぞかし怒りを爆発させているに違いない、と思っていた。

が、そのサイトを見るかぎり、俄に信じがたいが SIGMA が発売するほぼ全製品の作例を、ただ淡々とアップし続けている。中の人、というわけでもないのに、である。

なにこれ? あぶないサイト?

呆れるやら感心するやらで眺めていたのだが、その作例(ほとんどがオリジナルサイズでアップされている)には、Exif だけでは判らない、細かい撮影データが紹介されており、さぞや(数少ない) SIGMA ユーザには重宝されていることが伺える。

発売されて間もない、SIGMA DP2 Merrill。そのオリジナルサイズの作例を画面上に拡大表示(ピクセル等倍)にして見た時、まさかと思った。まるで、以前見た中判デジタルパックのそれではないか。

マミヤやハッセルのデジタルパック、ペンタックス 645D などの作例は、余興でたまに眺めてため息をついていたのだが、見方によってはそれよりも生々しい。被写体がメーカサンプルで見受けられる諸外国の景色ではなく、見慣れたそれも現在の日本家屋がならぶ町並みであることも起因しているだろう。

その後に見た、DP3 Merrill のメーカサンプル、プラハの作例にも十分に感動したが、50mm(35mm 換算 75mm)の単焦点コンデジを発売した、SIGMA の度胸と根性の方に感動した。我が身を振り返って、たぶんプラハに立ち寄ることは金輪際ないと思われるが、西船橋なら可能性はなくもない、と思うしね。

もう、この時点ですでに、やれバッテリーがもたないとか、レンズ交換できないとか、高感度に弱い(にも程がある)とか、さまざまなマイナス要因に対する雑音が、ス〜ッと消えうせてゆくのをハッキリと感じた。(←しまった、やっぱあぶないサイトだった)

…つづく。

…ということで、ヒトツよろしく。
2013年03月某日 Hexagon/Okayama, Japan
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[2013.03.29] 更新のモチベーション〜つづき 〜より転載&加筆修正

2013年3月27日水曜日

更新のモチベーション

前回、サーバトラブルの状況報告のみで、2月分の更新ということにしてしまったのだが、なんと気がつけばもう3月も終わりが近い。

年度末だから忙しいというわけでもなく、いや実際この時期ヒマだったら飯の食い上げなんだが、単にアップル関係のネタにモチベーションが上がらなかっただけで、結局は我が身の怠慢がおもな理由だ。

アップルだって、もう3月が終わろうという時期に至ってさえ、年明けから新製品は出ていない。円安に便乗した値上げを一発かましただけであり怠慢といえば相当に怠慢であるから、みんなアップルが悪い、アップルのせいである。


ま、言い訳にもならないが、だいたい iWeb での更新なんざ「顔本」や「さえずり」のように、思いつきだけで「今何してる〜」ってなノリでチョコチョコッ、というわけにはいかないんである。おのずと長文・大作になるようなネタでも無いかぎり、筆が、もといキーボーが遠のくのは私のせいではない。(と、思うな)


で、そんなアップルのことは放っておいて、全く関係(無くもないが)ないデジカメネタで、書いてみる。


小学校もまだ低学年の時代に、カメラと写真を数多い趣味の一つとしていた父親より半ばムリヤリ買い与えられたフジペットEE (ネオパンSS、70mm/F11という暗いにもほどがある、壮絶な機種である)から現在に至るまで、ブランクはあるにせよ、何らかの形でカメラには親しんできた。


自ら積極的にカメラにに興味を覚え、そのついでに(ついでかよ)写真にも目を向けたのは中学生になってからのことだ。中学、高校当時 PENTAX SP で相当数撮りまくったはずなんだが、その写真はなぜか現存するものは皆無である。ハードとしての PENTAX SP は未だに棚の中に鎮座するのだが、それで撮った中高時代の写真は見事に一枚も残っていない。


成人したのちに撮影したものは、父親の葬儀の後遺品をかたづけている最中に何枚か発見された。が、大半は父親の撮影したものであり、自分で撮ったものはほんの数枚程度しか発掘されていない。


昭和40年代、一眼レフは相当な高級品であり一般庶民はよほどの趣味人(かつ道楽者)でない限り、そう頻繁には買い変えない。そのせいか、PENTAX SP はその後父親が買い足したボディ SL と広角・望遠レンズとともに十年以上の長きにわたって、我が家の(主に親父の)メインカメラとして君臨してきた。


学生時代、親元を離れての生活が始まった頃は、口には出さないものの、そこはかとなく漂う父親の拒否反応に配慮して、PENTAX を持って実家を出ることはしなかった。別に凝りはなかったので、新たに購入したキャノンオートボーイでお茶を濁した。


ただ、こいつは、一眼レフに比べると十分に軽く手軽に写真を撮ることができたので、さほどカメラに対して思い入れはないにもかかわらず、相当な枚数の写真を残してくれた。既に大半は、ネガからフィルムスキャナによりデジタル化したので、現在も iPhoto で見ることはできる。


そういえば最近、紛失していた中学の卒業アルバムを友人に借りて、スキャンしやっと iPhoto のライブラリに追加することができた。いや、なつかしや。


我が家では、夫婦揃って同じ中学の、同じ年度の、しかも同じクラスの卒業生でありながら、二人とも紛失しておるのだからいい加減にも程がある、のである。


80年代には、Olympus OM-2 を使っていた記憶もあるが、当時はビデオカメラ(撮像管の時代)の方に興味が移っていた頃でもあり、あまり印象には残っていない。(VHS-C やベータ、8mm など、テープメディアだけは大量に屋根裏に眠っているが、もう見ることもないだろう。その再生手段さえもう手元には無いしな)


最後のフイルムカメラは、無謀にも90年代初頭に購入した CONTAX T2 である。当時ベルビアの発色の良さに惹かれて撮った子供の写真が、何枚か iPhoto アルバムに現存する。バブリーな時代の余韻が感じられるが、長くは続いていない。なにせ、昔の写真機および写真趣味というのは、あとから結構金がかかるので、庶民が下手にハードに全力投球すると、先細りになってしまうのは致し方あるまい。


90年代も半ばを過ぎると、デジカメの時代がやって来る。が、やってきたのは今ではお笑い草の、せいぜい切手サイズ程度の写真がやっとな、オモチャの大群である。(アップルも参加したな)


ハッキリ言って、当時入れあげていたビデオカメラのキャプチャ画像と大して変わらない画質であり(三管ならビデオの圧勝だ)、まだ町の写真屋連中がデジカメを鼻で笑っていた時代だ。


マビカにはさすがに手を出さなかったが、それでも初代の Cybershot DSC-F1 から F3 まで、その後の DSC-F55K から F77、F707 までの全ての機種を買い漁ったものだ。コンピュータとの親和性から、面白がって購入していたのだが、当時はカメラ屋(光学屋)が作るカメラより、電気屋の手による製品の方がマシだったように記憶している。


あくまでも写真?みたいなもので、プリントして見ることは滅多に無い。プリンタもまだまだで、お勤め品のインクジェットでは到底ムリ、せいぜい高価な昇華型プリンタがそこそこマシな出力を見せていたが、写真印刷のために個人が購入するシロモノではなかったように思う。


とりあえず、パソコンモニタで見る分には費用もかからず、お手軽な趣味のひとつとして結構楽しめたものだ。


フィルム時代には写りも含めて、写真の画質そのものに対して気にしていなかった。モノクロ時代と違い、カラー写真になってからは現像からプリントまでのプロセスを人任せにせざるを得ない事情も、多少は影響していたように思う。


ただ、その頃は業務用の高価なフィルムスキャナも扱っていたので、あのお粗末な、ビデオの延長にしかない画質には正直腹が立った。それほど高級なカメラでなくとも、その写真の画質は、デジタル写真にとって画質の到達点の指標とすべき存在であったろう。


しかし、その後の APS から現在に至るフィルムカメラの凋落は、抗うことのできないデジタルの波に押されてご存知の通りであり、デジカメの進歩には目を見張るものがあることも事実だ。


黎明期のデジカメに対して幻滅するのは、その画質も然る事ながら、使っていて最も腹立たしいのはシャッターに対する反応速度だ。


そうでなくとも、ヘタクソが撮る写真である。当時の書き込み速度の遅さから、セカンドチャンスは絶望的な上に、ファーストチャンスまで逃していては、まともな写真になるわけがない。(もちろん、数多い言い訳のひとつである)


デジイチに興味を持ち始めたきっかけは、そんなシャッターの反応速度に不満が募っていた2005年頃に、たまたま店頭で見かけた Olympus E-300 に触れる機会があったことだ。


売れ筋のニコ・キャに比べると、そこそここなれた価格で並んでいるオリンパスとたまたま目が合ったのである。その時まで、デジイチの背面液晶が被写体を表示することもままならぬなどとは知る由もなく、シャッターの反応速度には感心したものの、「まだまだやのう」としたり顔でその場は立ち去った。


その後、後継の E-330 でやっとライブビューが実現されたのだが、今度は逆にあのサイズのカメラをファインダーを覗かないスタイルで撮影するマヌケぶりが気になりだしたりして、皮肉にもまたまた購入には至らずという、世の中なかなか上手くいかないモノである。やっぱ、何事もタイミングというのは重要な要素を持っていると思うな。


で、結局またまたその後の2007年の E-410 までデジイチ購入のタイミングは訪れることはなかった。E-410 もたまたまホームページ掲載の写真を埼玉まで撮影に行く、という仕事上の都合があったおかげで購入に至ったわけで、純粋な趣味としてという観点からすれば、結構邪な理由でしかない。


キットレンズとしては、そこそこの写りと評判な ZUIKO Digital 14-54mm/f3.5-5.6 という広角ズームに加えて、ZUIKO Digital 40-150mm/f4.0-5.6 の望遠ズームとのセットである。


その価格帯からして、あくまでも入門機であるが、ハナクソ程度の撮像素子にムリヤリ高画素を詰め込んだ凡百のコンデジに比べりゃ、そこそこマシな絵が撮れる。


購入前、ネット上に披露されている作例の数々を見る内に気になりだしたのが、木の葉などの暗部に乗るノイズも然る事ながら、トッピンカンに晴れた空にさえも、盛大にノイズが表出した写真の多いことだ。


なんで、こんな何にもないところにノイズがでるのか、明確な理由は理解できなかったのだが、どうも高画素の影響で撮像面のピッチが小さくなりすぎて、感度が落ちた分を電気的に持ち上げる時の影響らしい。


それ以外にも、構造上必要不可欠な各種フィルタの影響もあって、一筋縄ではいかないそうだ。それならせめて撮像素子をデカくするなり、画素を減らすなりで対応すりゃあいいだろうが、と思うが…。ま、商売上の海より深い事情もあるんで、とりあえず画素が多いほうが営業上有利なんだろう、画質なんかよりもね。


その後、調子に乗って激安中古で手に入れた E-620 の画質を見るにつけ、たった2割程度でも画素が増えたことによる悪影響を感じざるを得ない。デジカメサイトなどでは、旧機種からわずかながら画質が向上したような評価で一致しているようだが、どうも眉唾な気がしてならない。


白飛びを恐れて露出アンダーな写真を量産するばかりで、RAW データから現像する程でもない写真に対して、採用枠が極端に狭まってしまった。少なくとも個人的なライブラリを見るかぎり、E-410 の方が撮って出しの JPG でも十分に使える、明快な写真が多いのである。


最近ネットで見かけたハッとするほど奇麗な写真の Exif データを見ると、2004年発売のニコン製のブサイクなコンデジだった。その画素数は、たった200万画素にすぎないのだが、それでもハイビジョンモニタの画面を一杯にする程度のサイズはあり、画面上で見る写真としては十分成り立っている。


それどころか、(それは、小高い丘をバックにした庭の写真なんだが)草木の結構細かいところまで解像しており、最近の高級コンデジの写しだす遠景の樹木が綿菓子のようにボケた、巨大な汚物写真より遥かに美しいのだ。


以前、携帯電話の高画素カメラがお笑い草であったことは書いたが、最近の iPhone が写しだす写真は、バカにできないレベルにあることは確かである。用途によっては、即使い物になる写真をお手軽に量産できる点において、これはこれでリッパなもんである。ハードだけでなく、ソフトウェアとの総合技術の賜物、といっても過言ではあるまい。


しかし所詮携帯、カメラとして遊べる要素が少ないのが残念であり、絞りはムリでもせめてシャッター速度だけでもコントロールできれば、その世界はもっと広がるハズなだけに惜しい。その点玩具レベルでもデジイチは撮る者の意思が(たとえそれが、間違っていても)反映されるのは、面白いと思う。


最近流行りのミラーレス一眼(レフは無しね)も、以前から気になっていたどうみても不安定極まりない、ファインダを覗かないその撮影スタイルから敬遠していた。買えもしないが、各メーカのフルサイズ機に搭載されたペンタプリズムの、広く明るいファインダ像を見てしまうと、撮像素子の小さいフォーサーズ機のファインダは情けない。そういう意味では、ミラーレス一眼はフォーサーズにとって、生き残りを賭けた最後の砦なのかもしれない。


ま、今のデジカメ業界は二強のやることが全て正しく、その他のメーカはその後追いをやるしか生残る(生存える)道はないのだろうが、業界の心配などいちユーザがしてやることでもあるまい。


せめて、手元にあるオリ機に中古の35マクロでも奢ってやるか、てなことを考えていた矢先に、とある作例写真に遭遇したのである。といっても、もうずいぶん前の話で、たぶん半年ぐらいになるだろうか。


もちろん、二強でもなく、フルサイズソニーやパナライカでもない。当然、ペンでもオリであるはずもなく、マイナー度ではズバ抜けたメーカのそれは、デジイチでもない地味なコンデジに過ぎない。


しかし、その写真が…。

つづく。

…ということで、ヒトツよろしく。
2013年03月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2013.03.27] 更新のモチベーション 〜より転載&加筆修正