2014年7月31日木曜日

更新

写真の見方というのも、ここ数年で大きく変わってきた。

最近では、その大小を問わず液晶画面などで見ることが多いと思う。

写真を撮る機会が増えると、またその画質が向上してくると、それをどうやって見るかも重要な要素となる。以前のように、プリント一択ではないし、そのサイズ的なバリエーションも様々である。

しかし、その見方もただ漠然と眺めるだけとは限らず、現像作業のように重箱の隅という隅を徹底的に突きたい場合は、どうしてもある程度以上のサイズが欲しくなる。

MacBook Pro も Retina モデルあたりならさぞや高精細な写真を表示できるのだろうが、現像や編集加工作業をノート型でやる気にはならない。写真の高画質化に伴い、そのデータ量もノート型でのキャパでは、とても賄いきれるものではない。

どうしても、デスクトップ型に興味が向くのだが、現状ではまともなディスプレイを期待すると、アップル製品では選択肢が無い。かといって、画質はさておき製品外観では、およそその価格に見合うとも思えない、サードパーティ製品を選択する気にもなれない。

一時は、Thunderbolt Display 27 にも食指を動かされたが、その縦横比と旧態依然とした USB インターフェイスの規格に今更感があり過ぎ、導入には至っていない。未だに、6年越しとなる LED Cinema Display 24 や、それ以前の Cinema Display 20 などを手放せないでいるのも、必ずしも経済的な問題だけが理由ではない。

どうも、こちらの要求に対して大きく外すことが多いアップル製品、その傾向はここ数年さらに酷くなっているように思う。

まもなく、Mac mini あたりも更新となるのだろうが、ことディスプレイに関しては、やる気のなさが見え過ぎる。Mac Pro など、個々のデザインには力を入れても、ユーザが使用する段階まで見通したトータルデザインに関してはまことにお粗末であり、トップに立つ連中、特にチーフデザイナーの資質を疑うところでもある。

ここ数年、Mac 関連では Mac Pro 以外に、これといった新しい提案はなされていないのが現状である。過去の勢いに頼って、やっと動いているようにしか見えない。いい加減には、周辺機器に対しても、何らかの解決策を用意して貰いたいものだ。

また、写真機材方面では、サンウェイフォト製品も主力のボール雲台(FB36 シリーズ)が、更新されたようだ。市場に出回るまでには、もう暫くかかるだろう。

オフィシャルサイトには、すでに製品画像とともにスペックも掲載されている。FB36IIDDHi の1〜2枚目の画像は、どうも FB-44IIDDHi の写真が使用されているように見えるが、このあたりのいい加減さも、相変わらずである。

今回の更新で、サイズのバリエーションである全てのファミリーの仕様が統一されたようだ。だが、オフィシャルの写真で見る限り、インデックスは以前のものより見にくくなっているような気がする。

従来は、ベース部分には指標のみで、回転するボディ側面の方に数値が刻印されていたものを、上下入れ変えたデザインになっている。三脚ヘッドに固定され、回転しない部分に角度を刻印する意味は、全く理解できない。

仮に、0度を基準に撮影者正面に固定したとしても、回転角度分だけ指標はズレていくのだから、角度を読み取るためには大きな視点の移動が伴う。指標の位置さえ自分の見やすいところで固定しておけば、一目瞭然であった従来型の仕様に比べると、いったい何のメリットがあるのだろうか。

ま、インデックスやスケールに関しては、従来より結構雑なメーカではある。だいたい、ボール雲台自体ヘッドの位置は自由に設定できるのだから、元々このインデックスにそれほど厳密なスケールとしての意味はないのだろう。

スケール以外で目立つのは、ノブのデザイン変更や製品型番の刻印省略などに限られる。製品仕様で確認できるのは、クランプが DDC-42 から DDC-42L とロングノブとなったことによる、わずかな重量増加程度で、これといった機構上の大きな改善点も見当たらない。

どう見ても、従来から行われていたバリエーションの追加程度でしかなく、新たな製品というより、単なる目先を変えるための、変更の為の変更にしか見えないのである。

以前、デザイナーが離脱したお家騒動の話もあったので、そのための意匠変更の可能性もある。将来的に、機能面も含むそのデザインの劣化が危惧される、という話も書いたように記憶しているが、そろそろその影響が出始めた可能性も否定できない。

製品名の付け方を見ても、いままでの法則とは多少異なり、そのあたりにもセンスの無さが窺える。(FB-36☞FB36II)

詳細については、そのうちに S.C.V. Photography Ideas あたりでも採上げられるだろう。現状では、その評価待ちというところだが、そういえば DDH-03i Panning Clamp の締付トルクが、以前のモデルより減少している問題も掲載されている。

新しけりゃ必ず良いとも限らないのは、サンウェイフォト製品だけでもないが、何かと購買欲を萎えさせモチベを下げる要因にもなり、まことに残念でならない。

今回の MBP Retina のアップデートを見ても、何か停滞を感じる所は多い。アップルが、一体いつまで惰行を続けるつもりか知らないが、少なくともコンピュータ関連では、停滞は則ち後退を表す。

したがって、余程の価格的なメリットでもない限り、旧製品を選択する意味はないが、ソフトウェアと同様にユーザの使い勝手に影響を及ぼす機材の場合は、そこに選択肢があるのなら積極的に選ぶのもひとつの方策であろう。

いずれ、現在販売されている旧製品も在庫が完売となれば、新しいバージョンに置き換えられるだろう。もし、以前の方が良いと感じるなら、早めに確保しておいた方が良いかもしれないな。


…ということで、来月もヒトツよろしく。
2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.07.31] 更新 〜より転載&加筆修正

2014年7月25日金曜日

スーパーいなばと因美線:其の参

さて、スーパーいなばと因美線のラストである。

大してネタもないのに、いったいいつまで引張るつもりなのか、正直自分でも良く分からないところはあったが、なんとか締めよう。

前回は、ロクな写真もないから動画をベタベタ貼ったおかげで、激重なページに成り果ててしまった。

だから、どうするというわけでもないのだが、通信環境によってはリンクをクリックする前に、覚悟が必要であることを警告しておこう。

智頭駅に降りて、津山行きの普通列車が発車するまでの、僅かな時間にスーパーいなば(キハ187)について振り返ってみた。親の仇とまで言ったわりには、けっこう楽しんでしまった感もあるが、その印象は必ずしも良いわけでもない。

たしかに、キハ187系のパワフルさには驚かされた。従来の気動車に対する、鈍重なイメージを覆すに充分過ぎる程の性能を持っている。

制御付自然振り子式車両ということもあって、曲線区間ではまるで単車でコーナーを攻めるような雰囲気もある。純粋な乗り物として捉えるなら、こんな面白いモノはないだろう。

しかし、どうもシックリ来ない。特別急行という名称から連想されるような華やかさはないし、それほど特別という感じもしないのだ。

ま、そのへんの結論めいたことは、最後にとっておこう。

そんなわけで、スーパーいなばと因美線の後半である。

津山行の普通列車(675D)に乗ると、これはその車両であるキハ120-339 に対するものだが、鉄道というよりバスのような雰囲気だ。

津山寄りの前半分はベンチシートで床のスペースが大きく取られ、後半分はボックスシートである。その詳細は未確認だが、一応トイレも完備しており、若干視界が遮られる代わりに、長時間におよぶ行程でも安心して乗れるメリットはあるだろう。

最も新しい、3次車であるこの300番台の車両には、コマツ製のそこそこに強力なエンジンが奢られている。キハ187系に搭載されている総排気量15.24リッターの小排気量版で、11.04リッターのSA6D125-H1 (330ps) が一基のみだが、27t 弱の軽量ボディに対しては充分な出力といえる。

走行中の印象も、旧式な変速機しか持たない以前のキハ40のような、頑張っている割に悲惨なほど遅い、という感じではない。満員の状態で確認したわけではないが、山岳部においてもそれなりにスムーズな加減速を実現していた。

ただ、いかんせんチャッチイのが頂けない。たしかに、これに比べりゃスーパーいなばは特急列車の風格はあるのだろうが、それは全体の評価基準を下げ過ぎである。少なくとも、当代の列車を語るのであれば、本来はもう少し高いハードルで評価するべきだろう。

というのも、以前上月駅で目撃した、キハ127系(キハ122)の印象が大きく影響している。こうなると、アイツにも乗ってみないことには断言できないが、同じ鉄道でも路面電車と一般的な電車(たとえばクハ115系)の違いは、さほど鉄でもない人でも認識できるのではあるまいか。

ま、そんなオタッキーな話はさておき、因美線である。

鳥取を起点とする因美線であるが、今回はその途中駅である智頭がスタートになる。

智頭を出ると、土師〜那岐〜美作河井〜知和〜美作加茂〜三浦〜美作滝尾〜高野〜東津山の各駅に停車する。終着津山までの営業距離は、たかだか 41.5km ほどの行程でしかないが、そこをたっぷり 70分もかけて念入りに走ってくれる。

山岳区間であることを考慮しなければ、原付だって頑張りゃ勝てる可能性だってあるぐらいだ。(やってみようとは思わないが)

ただ、これはある程度予想できたこととはいえ、車での移動と違って各駅の紹介が出来るほど、材料となるべく写真を撮る時間的な余裕がない。このあたりは、今回痛切に感じたことで、もう少し密度の高いダイヤであれば、途中下車を繰り返して撮影することも可能だろう。

しかし、そんなダイヤが組まれている路線に、果たして撮影意欲が湧くとも思えないので、これは絶対矛盾である。よほど厳密な計画か、または宿泊も辞さない覚悟と予算がなければ、実現不可能である。

そう考えて、もう乗り鉄に徹することにしたのである。そうなれば、運転士も含めて五人しか乗っていない車内は貸し切り同然で、調達しておいた弁当など食いながら、車窓の景色を楽しみ、時々気が向いたときだけ DP2 Merrill を構える、という完全に遠足気分である。

当然、このようなおちゃらけた姿勢でロクな写真など撮れるはずもない。一脚でさえ邪魔になるという、撮り鉄としては言語道断以ての外な姿勢に、不甲斐ない思いもしたのだが、まいっかである。

この路線、観光気分で乗るには長閑で良いのだが、公共交通機関としては機能しているとは言い難く、途中駅でも何人かの乗降客はあったが、その大半は津山が近くなってからである。

代わりの交通手段がある地域でしか利用客がいないのでは、存在する価値も意義も限りなく無に等しい。採算性を前面に出せば、いとも簡単に消え去ってしまいそうな危うさは、何もこの路線に限ったことではないが、やはり線路が無くなるのは寂しい。

その行程で、車窓からの景色は十分に堪能できたが、駅舎やかつての設備等にもなかなか興味深いものも多く、いずれ別の機会があれば訪れてみたいと思う。

津山駅 09:25 着の列車を降りてから、まあ予想通り閑散としているのをいいことに、構内で何枚かの写真を撮ることもできた。

ここから先の選択肢は、幾つかある。そのひとつは、津山線の 09:44 発岡山行快速ことぶき(3935D)である。これに乗れば、岡山駅到着10:52 なので、へたすりゃ午前中には帰宅できてしまうというお手軽さであり、一瞬迷ったのも確かである。

もうひとつは、姫新線の普通列車10:05 発の新見行に乗って、伯備線経由で帰るというもの。新見着は 11:44 だが乗換時間わずか10分ほどで、11:54 発の伯備線・山陽本線経由普通列車長船行きに乗れる。それでも、岡山到着は 13:19 なので、遅い昼食には間に合う。

ただ、そこまで慌ただしく走り回っても、大して写真も撮れそうにないし、結局最後が電車(たぶんクハ115系)では、フツー過ぎて面白くもない。いっそ岩山あたりで途中下車という手もあるが、今日のようなピーカンでは、前回の土砂降りに勝てる写真も撮れる気はしないし、もちろんその後路頭に迷いたくもない。

だいたい、前日の徹夜明けからの気紛れで出てきたので、さすがに少々眠たい。天気は快晴、日陰のホームでベンチに座っていると、そのまま寝てしまいそうになるほど、ここちよい風も吹いてくる。岡山駅と違って、朝っぱらから人も少なくて静かだし、…。

こんな状態では、新見に着くまで間違いなく爆睡してしまいそうなので、どうせなら気動車で帰れる津山線を選択することした。ただ、かつての急行と同じ所要時間、1時間少々で岡山に着いてしまう快速ことぶきでは、途中駅も通過中の車窓からわずかに見えるだけになりそうで、イマイチつまらない。

そんなわけで、この行程の最後(厳密には備前西市までの宇野線があるが、これには選択の余地がない)を飾るのは、快速ことぶきの一本後に発車する、津山線 10:23 発岡山行普通列車(951D)である。

定刻通りであれば、12:02 に岡山駅着の予定であり、岡山発 12:45 の普通列車児島行(537M)に充分間に合う。備前西市に 12:51 到着だから、津山線の気動車でのんびり1時間39分もかけて帰っても、新見を回るよりは早く帰れるのだ。

実際、そのまた後の津山線 11:30発の快速ことぶき(3937D)でも、岡山着が 12:39 だから、こっちでも間に合う。だが、津山駅周辺にさほど撮影意欲が湧くものもなさそうだし、駅構内でもあまり興味を惹くものは見つかりそうもない。

で、同じ運賃(1140円)で長く乗れる方を選択して、運良く眠気に勝つことができれば、車内で今回の行程を振り返ってみるのもよかろうと考えたのであるが、…。

特急スーパーいなばについて、シックリ来ない違和感の原因を考えてみた。

それは、初めて乗った新幹線(0系ひかり)と、ある時期以降の新幹線、たぶん300系のぞみあたりとの違いのような感覚に近い。新幹線は特急であるとは頭では理解していても、それはあくまでも分類上の話であって、特別の意味が少し違う。

ここ最近は、新幹線に乗る機会もめっきり減って、最近の事情には全く疎いのだが、その乗車券はたしか特急券とは別になっていたと思う。自由席か指定席かの2択しかないのだから、特急券が必修である新幹線の乗車券で、それを分けていること自体にあまり意味はない。

新幹線の線路を走るのは、少なくとも山陽地区では新幹線車両のみであろう。特別には、比較対象があるから特別なわけであって、鉄道を利用するにあたり他に選択肢が無い場合、それは普通になる。

山陽新幹線の岡山開業当時は、まだ在来線の特急もいくらか残っていた時代である。そのため遠方への交通手段として、鉄道を選択しても在来線の選択肢は今よりは多かった。その中でも新幹線は超特急 (^^) と呼ばれたぐらいで、如何にも特別な雰囲気が漂っていた。

しかし、2階建て車両(100系)など、サービス面を中心とした展開から、スピードをウリにした「のぞみ」が登場した90年代あたりから、特急は主に速度面だけのプレミアムとなってきたように思う。

車両の外形デザインでは、個人的にはなんといってもロケットみたいな 500系が別格であるが、それを除くと最も新幹線らしいと思えるのは、300系の初代「のぞみ」である。だが、実際に乗ってみると 100系までの「特別」という印象は薄れ、新築の安マンションかコーポに入居した時のような違和感を、その特別な料金とのギャップにも感じたものである。

それは、良くも悪くも正味を優先したあくまでも普通でしかないが、それこそが鉄道に対して、一般から求められていたものなのだろう。このあたりにも、時代の変化を感じないわけにはいかない。

ただ、帰りの津山線で乗ったキハ40 は、姫新線のキハ120 に比べりゃ、遙かに快適であったことも事実で、必要にして充分な乗り心地を提供しているように思う。

それは、以前の急行砂丘号などに感じた、当時の普通列車(キハ20系)などと比べてほんのわずかな高級感、といえば語弊もあるが、急行券として支払う料金には、速度面のメリットだけでは不十分だった時代もあった。

準急や急行が、追加料金を必要としない快速に置き換えられたのは、速さ以外のそのプラスアルファを取除くことで、帳尻を合わせた結果である。キハ40 とキハ120 に感じる差は、そのわずかな差以上のものがあるような気がしたのである。それは、高級感ではなく快適性といった方が良いだろう。

あえて難点を言えば、未だにボックスシートには、例の姿勢を正して座ることを強いられる、直立した背もたれの座席が設置されている。このおかげで、折角のマイルドな乗り心地もリラックスして享受できないところも、普通列車過ぎる点だろう。

見た目は旧態依然としたキハ40・47系も、サービス面によりコストをかければ、新しいだけで徹底的に安普請なキハ120などより、今以上に快適な環境を提供できる要素を多く残している。

だが、JR西日本が行っている、キハ40・47系の延命策には、ベンチシート化など効率ばかりが優先されいる。それで、効率が上がっても乗客が減っては本末転倒であろう。丈夫がなによりな、キハ40・47系にはもう少し頑張って貰い、できれば機関だけでなく内装面にもリニューアルとバージョンアップを期待したいものだ。

現代の車両やそれを取巻く環境、一般的な価値観の変化なども含めて考えれば、古い記憶も曖昧な、かつての特急と比べても仕方がないことは分かっている。

個人的にサンライズエクスプレスに惹かれるのは、285系特急形寝台電車こそが、このあたりでは唯一無二の存在で、おそらく最後の特別急行であろうことが影響していると思う。

そういう点において、キハ187系特急形気動車「スーパーいなば」の印象を一言で表現するなら、観光気分で浮かれていたら、宿泊は駅に近くて便利なビジネスホテルだった、みたいなものかもしれないな。

で、そんなことを考えながら、津山線も堪能しようと考えた普通列車である。亀甲駅の駅舎の屋根が亀甲になっているのを見た記憶も写真もある。

だが、それが最後でその後の記憶は、終着の岡山駅到着まで見事に欠落しているのであった。(なんのこっちゃ、意味ね〜)


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.07.25] スーパーいなばと因美線:其の参 〜より転載&加筆修正

2014年7月21日月曜日

スーパーいなばと因美線:其の弐

炎天下に降り立った、米子駅のホーム。

やくもの側を、改札口に向かって歩いている。真夏の照り返しの中、車掌の白い上下の制服と手袋がやたらに眩しい。

発電用のディーゼルエンジンが唸る。排気ガスに咽せながら空を見上げると、そのままフェードアウトしそうになって、発車のベルで我に返る。灼熱の太陽の下で、なにもかもが焼けて溶けてしまいそうだ。

かすかな記憶にあるのは、たったそれだけ。

キハ181系特急形気動車、何度か乗ったことはあるはずだが、ほとんど覚えていない。いや、覚えていないのではなく、思い出せないと言った方が正しい。

そんな季節、米子に何の用があったのか、帰りはいったいどうしたのかなども、まったく思い出せない。それが米子駅だったのか、もっと言えば、はたしてやくもだったのかさえ怪しい記憶だ。

ひょっとすると、すべて夢だっだかもしれない可能性だってある。

それ以前、非力なキハ82系は今でもハッキリ覚えているのだが、なぜかキハ181系に関しては、どうも記憶が曖昧なのである。

最後に乗ったやくもは、おそらく80年代初頭、伯備が電化されて以降は全く乗っていないから、間違いなくキハ181系のはずなんだが。

ま、山陰で目撃したにも関わらず、てっきり夢と思い込んでいた特急「いそかぜ」の例もある。いずれ、思い出す日がくるかもしれない。

キハ187系特急形気動車は、キハ181系の老朽化に伴いその置き換え用として、民営化以降にJR西日本が初めて新製投入した形式である。

個人的に最も好きな気動車、キハ181系を駆逐することが使命で、言ってみれば宿敵である。ローレル賞を受賞したとされるそのデザインも、ぶっちゃけどこがいいのかさっぱりわからない。

一度は、間近に合い見えてみねばなるまいと常々考えていたわけで、親の仇に出会ったような、今回の撮影行でもある。

そんな逆恨み的感情もある、キハ187系特急「スーパーいなば」だ。


上郡駅の入口は、JR線と智頭急行線がかなり離れた位置にある。

ホームに入ればつながっているのだが、駅前広場からは智頭急行線の方は分かりにくい。その上、外から見える駅舎もないので、跨線橋を渡らないと改札口にはたどり着けない。

JR線の改札で、全ての切符が買えるのかどうかは確認していないが、入口を2つ設けている時点で、どうもその可能性は低い。

特急スーパーいなばも、乗客用の出入口が各車両の京都寄りに一ヶ所づつで、2両編成の場合2箇所しかない。パッと見は、鉄板丸出しの近郊用電車のように見えるデザインだが、頻繁な乗降は考えられていない、特急ならではの設計なのだろう。

したがって、京都寄りは乗務員用の狭いドアと並んでいるが、岡山寄りの先頭車両前方には乗客用のドアはない。おかげで、前がよく見える席があるということだ。

上郡駅での見事な進入に気を取られて、交代の乗務員と並んで待っていたら、そこには客室への入口が無いことに気がついた。座席指定券への切替えは、車内でもできることをその乗務員にも確認した。

だが、コイツがまた無愛想な野郎で、こちらに入口がないことぐらい案内してもよさそうなものだが、それはまるで自分の仕事ではないかのような態度である。

おまけに、乗車と共に2号車先頭車両の最前列へ陣取った途端に、わざと視界を遮る場所に乗務員用のデカイ鞄をを2つも置きやがって、平気な顔をしているのだ。

所属は、JR西日本ではなく智頭急行らしいのだが、その鞄にも名前が書いてあるので、あえて無修正で掲載してやることにした。

途中で、検札に回ってきた車掌に指定席への変更を依頼した。その時によっぽど文句を言ってやろうかとも思ったが、ひょっとして何か規定があって、それに従っているだけの可能性も無いとは限らないのでやめておいた。

岡山駅での特急券の購入や乗客に対する案内、延いては顧客サービスに対する姿勢や、料金体系における会社の営業方針などにもおよぶ不満が一気に爆発しそうなほど、ムカついていたという経緯もある。

過去の苦い経験もあって、そんな状況では、自分の感情を抑えるのは困難であることが明白である。その車掌の返答次第によっては、より大きなトラブルに発展する可能性もあり、その経験則に従いこういう場合は黙って我慢することにしている。

もちろん、車掌の対応には全く問題はなく、指定席券への変更はスムーズに行われた。幸い自由席の乗車率も半分以下でしかない上に、指定席の方は、ほぼ皆無で貸し切り状態でもある。

差額の 100円を支払って、その席へそのまま居座ることに対しても、なんら咎められることもなかったが、もしこの状況で、杓子定規に別の席を指定されていたなら、そのまま大人しくしている自信も全くなかった。

何かと気分を害することが多いのも困ったものだが、いちいち腹を立てていても切りがないので、極力透明人間のように振る舞おう。

指定席車両の岡山からの乗客と思しき2名は、上郡駅の時点ですでに熟睡状態である。どうせ、ガラガラなのに岡山で座席指定特急券を購入したのなら、アイツに騙されたに違いない。

しかし、指定変更された特急券にも座席番号など、何処にも記されていない。追加料金さえ払えば、指定席車両の中では自由席、ってことなのか?座席指定の意味というのは、いったいなんなんだろうね。

ま、そんなこたあどうでも良いのだ。とりあえず、最前列に陣取ったらやることは決まっている。動画の撮影だ。

上郡まで、京都方面向きになっていた座席を回転させて、進行方向に向ける。iPhone をムービーモードにして、前面にある窓ガラスに押付け、横目で運転席を見ると、発車後間もなく速度計は100km/hを少し上回ったところを指している。

かつてのディーゼル特急、機関出力に限れば、DML30HSC (500PS) を搭載するキハ181が上回るが、各車両一基でしかなく総合的なパワーウェイトレシオという点では、付随車も足を引張る。

特に、自分自身の記憶にはそれ以前のキハ82系の印象が強く、食堂車などが連結されたいた時代もあって、走行性能としてはあまり良い印象はない。

だが、このキハ187-500/1500、91t 近い編成重量に対して、コマツの SA6D140H (450ps) を各車両に2基づつ積んでおり、トータルの編成出力は 1800ps のパワーである。加速性能も予想以上だが、登り勾配に達した後もさほどエンジン音が高まることなく、ぐいぐい引張って行くトルク感に溢れている。

あまりにも簡単に加速するので、速度計を見ない限りその速さも感じられない。曲線区間も同様で、全く減速なしに飛び込んで行く様は、地方ローカル線ではなかなか味わえない快感がある。

またこの路線、乗ってみると結構長いトンネルも多く、トンネル内でも勾配が相当変化する箇所も少なくない。山岳区間も曲線やトンネルを問わず、常に平均して 95〜105km/h を維持していた。細かいノッチ操作は暗くて確認できないが、相当急な登りに差しかかっても、我全く関知せずといった感じで、高い速度を維持したまま走り続ける。

iPhone で動画撮影しながら、そんな前景にワクワクして見入っていた。その結果、DP2 Merrill での撮影はおろか、車内の様子や車窓からの風景など全く目に入らないという、あっというまの44分間だったのである。

結局、座席に座ったのはトータルで3分もない。これなら座席指定もいらねえぢゃんとも思ったが、ま100円だし、税込だし、そういうわけにも行くまい。

だが、智頭駅に降り立って冷静になって考えれば、あれもこれも忘れており、何か損をしたような気になってしまったのも事実である。

とりえあえずで買った切符は、ここまでしかない。さて、ここからどうするか、である。

六分後の 08:15 には、向かいのホームに待っている津山行きの普通列車が発車する。だが、これを逃すと 12:51 まで、なんと四時間以上、津山方面へ行く列車はない!という、それはもう恐ろしいダイヤなんである。

というわけで、ほとんど選択の余地などあるはずもなく、すでに入線して待ちかまえていた、キハ120 津山行きの普通列車(675D)に、素直に乗ることにした。

ま、天気は良いし、津山にたどり着いてからその先を考えよう。


…つづく。


…ということで、ヒトツよろしく。

2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

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[2014.07.21] スーパーいなばと因美線:其の弐 〜より転載&加筆修正

2014年7月19日土曜日

スーパーいなばと因美線:其の壱

脱線復旧である。

なんとか、話を岡山駅まで戻そう。

まあ、脱線も転覆までしてしまうと、ナマコ程度では復旧も難しい。いったい、なんのことやらさっぱり分からんと思うが、ただの鉄オチなので気にしないで欲しい。

岡山駅といえば、機関区時代の脱線復旧を思い出す。

実家を追い出されて官舎住まいになった当時、官舎の家賃が半額になるという話を厚生課の連中から聞いた。

緊急呼出し要員に登録することがその条件だが、それが何を意味するのか考える間もなく、とにかく半額に惹かれて承諾した。

元が元なので、半額といってもわずかの差でしかないが、そうでなくとも清貧に追い討ちをかける、火事騒ぎの後始末に追われる日々だ。なんでも安くなるなら、魂を売ることさえ厭わない覚悟もあった。

その年の年末は、大晦日の一昼夜勤務を終えた後は非番と公休で、明けて3日まで勤務がない。久々に正月気分を味わっている真っ最中の、2日早朝に電話が鳴った。

岡山駅構内で脱線事故発生、直ちに現場へ急行せよという内容であり、はあ、なにそれ? …である。

現場へ到着すると、多くの同僚に混ざって、当日勤務だった仕業の連中の顔も見える。おいおい、まさか皆で機関車持ち上げるつもりぢゃねえよな、と思うほどの人数だ。

結局、現場責任者の指示に従い、鎖やジャッキ、ナマコやガス溶接のボンベを運んだことぐらいしか記憶になく、いったいどんな手順で復旧されたのかも分からないまま、夕方には作業も終了した。

翌月の給与明細には、ほんの僅かな特殊勤務手当てが付加されており、それが何よりも嬉しかったように記憶している。

で、こちらも復旧しよう。スーパーいなばと因美線:其の壱だ。

といっても、実はいつもの構成ができるほど材料はない。

本来、気分もキッチリ撮り鉄に切替えて行動するべきところであるが、不純物を多く含んだ非鉄金属の悲しさで、智頭駅到着まで写真を撮るのも忘れて遠足気分に終始してしまった、というお粗末である。

ま、iPhone による超適当ショットばかりでは、いつも以上にイマイチなので、そのへんは過去の却下写真でお茶を濁しておくことにする。だが、従来の外からの視点とは大きく異なる撮影環境、あらゆる意味で良い練習になったと思う。

最寄りの駅である備前西市から岡山へは、宇野線経由で 06:02 発の普通列車(518M)に乗れば、06:07 には岡山駅に到着する。だが、岡山発 06:14 普通列車(1300M)には、たった7分しか余裕がない。

備前西市の駅時刻表では、 瀬戸大橋線からの快速マリンライナー(3102M)が、それに先行して 05:39 に停車するようになっている。快速も、朝のダイヤでは妹尾以降の岡山寄りでは、各駅に停車するらしい。

岡山駅着が 05:45 なので、いくらなんでも 30分もあればなんとかなるべと考え、ついでに岡山駅構内がどうなっているのか、見聞もしてやろうという魂胆である。 

で、まあこれに乗って行くことにしたのだが、さすがに政令指定都市岡山 (^^) の表玄関である。朝っぱらから、人の多いこと多いこと。

案の定、岡山駅で智頭行きの乗車券を買う段になって、いきなり想定外のトラブルは発生するのである。

改札内にある乗車券売り場で、智頭までの乗車券と上郡から智頭までの特急券を所望したのであるが、その売場窓口の担当者(♀)が提示した金額は、4千円越えという途方もない料金である。

おいおい、智頭までの乗車券 2270円と智頭急行線の特急料金 420円の合計が、どういう計算で4千円台になるというのだ。仮に岡山から通しで特急に乗っても 3,870円にしかならないはずの料金である。

事前に調べてなけりゃ、そのままボッタクられていた可能性もある。知らずに払って鈍行に乗り、上郡で特急に乗り換えてから気付くという最悪のパターンだろう。

端末のタッチパネル液晶をしこたま叩いていたその担当者は、いかにも不貞腐れたような態度で、分厚い時刻表を取出し暫くにらめっこしていたかと思うと、何の説明もなく席を離れてしまう。

おいコラ、責任者を呼べ〜!と声を荒げて暴れてやろうかとも考えたが、ここはひとつ大人になって静観することにした。

後から調べると、どうやら全線通しでスーパーいなばの座席指定特急券を発行していたようだ。こちらがわざわざ、智・頭・ま・で・の・乗・車・券・と・上・郡・か・ら・智・頭・ま・で・の・特・急・券、と指定しているにも関わらず、である。

窓口をみれば、切符のやり取りの為の開口部はあるが、音声はダイレクトではなくマイクとスピーカに頼っているらしく、不明瞭な音質といくらかの雑音も聞き取れる。

距離にして、たった 50cm もないところでずいぶんと回りくどいシステムに見えるが、天井レベルまでガラスで仕切られたその形状から察するに、おそらく怒った客が暴れだした場合に備えてのことだろう。

ま、客が暴れだす原因を作らないよう、現場担当を教育する方が遙かに難易度が高いことは、その担当者の態度からも窺える。このあたりも、できれば外出を避けたくなる原因でもあり、公共の場というものは、かつての常識がだんだん通用しなくなっている気がする。

しばらくして、もちろん7分の余裕などでは到底足りない時間を経て出てきた男の担当者は、打って変わって平身低頭である。誠に申し訳ないが、上郡駅からの特急券は当駅では発券できないので、乗車後に搭乗している車掌に申し付けて欲しい、とのことである。

結局、智頭までの普通乗車券のみに切替えたのだが、その操作は代わった男の担当者が行い、本来の窓口担当(♀)は、その背後で如何にもわたしゃそんな例外処理は習ってないし、といわんばかりの態度で突っ立っているだけだ。

支払後も何の謝罪もなく、乗り場の案内すらしない。こちらも、そんな期待はしていないので、無言でその場を立ち去ったが、前途多難な行程の予感がする。

その値段に納得できるなら、本来は通しで素直にスーパーいなばに乗ることも吝かではない。だが、どうにも現行の料金体系には納得しかねる不条理な部分が多過ぎる上に、こんな顧客サービスでは、何が何でも余計な金は、ぜってえ払いたくない。

駅構内にコンビニが出来た話を聞いていたので、とりあえず珈琲とお茶に朝食を調達に向かう。たが、構内といってもあくまでも改札口の外であり、いちいち乗車券を見せながら、外へ出る必要がある。外の連中には、他にも多くの選択肢はあるだろうに、なんで中に作らないのだろうねえ。

早朝から利用客も多く、レジの前は長蛇の列だ。かつてホームにあった、まるで聖徳太子のようなマルチタスクをこなす、キヨスクのおばちゃんのような手際の良さはないが、これも時代の流れだろう。

ところで、思いつきとはいえ出掛ける前には、どういった機材を持ち出すかは考えていた。

今現在メインで使っているカメラバッグは、マンフロットのアミカ50型という、DP Merrill が2台プラスアルファの収納スペースを持つタイプと、ケースロジック(SLDC-203)の小型ビデオカメラ用のバッグで、こちらはDP Merrill が1台とビューファー程度なら入る。

鉄道を利用する時点で、時間を気にしながらの撮影になることは予想できる。3台全て持ち出しても意味はなさそうだし、ましてや三脚を展開できるパターンも限られるだろう。

そうなると、徹底的に身軽な方が良かろうと考え、今回は一脚(SIRUI P-326)のみ携行することにして、カメラもケースロジックに入れた1台に絞った。雲台も重たいシルイ(K-20X)から小型軽量のサンウェイフォト(FB-28i)に交換した。それでも、予備としての iPhone があれば、何とかなるはずだ。

2台なら、DP3M/DP1M の望遠広角のペアになるが、確認用のテストケースと割切って、DP2 Merrill の標準一本勝負に決めた。

スタートの岡山駅で、すでに件のドタバタだから、これは正解であったと思う。なんとか3番ホームへたどり着いた時には、もう姫路行普通列車(1300M)が入線してきたので、慌てて iPhone で撮った。

こちらも、コンビニ同様に利用客も予想以上に多く、いままで撮ってきた県北のローカル線とは全く趣が異なる慌ただしさである。

ま、あまりノンビリな行程は期待できそうにないことは、ほとんど空席もない、西市からのマリンライナーに乗った瞬間に分かった。

定刻通り、06:14 に岡山を発車した末期色クハ115系の先頭車両に陣取って、珈琲など啜りながら車窓を眺める。

各々のスマートフォンの画面を見せあいながら談笑する、遠方への通学と思しき高校生のグループ、ヘッドフォンを耳になにやら呟いている女子大生風の女の子など、この時間の列車の乗客は比較的平均年齢が若そうである。

そういえば定刻通りの運行なら、ぼちぼちサンライズエクスプレスが岡山に到着する時刻であり、高島を過ぎた辺りでそれを思い出した。

毎度お馴染の逆光であり、窓ガラス越しという悪条件も重なって大きな期待は出来まい。DP2M を取出すほどでもないので、ここは車窓から、カメラーモードにした iPhone を構えて待機する。

一本前を走る貨物列車があったはずなので、練習ショットのつもりで撮ってみたが、なかなかタイミングが難しい。いつもの、2倍の相対速度で通過するわけだから、無理もない。

それでも、なんとか早めのシャッタータイミングで先頭車両を捕まえることは出来たので、予告編として晒してみたわけである。

東方より朝日と共にやって来る、寝台特急サンライズエクスプレス。その名に違わず相変わらずの逆光だが、コイツの場合は、まあ致し方なしなんである。

上郡到着まで、山陽本線の撮影ポイントとして良い場所はないものかと車窓から見回してみる。だが、景観の良さそうな所は、たいていは道路よりかなり高いところを通っているので、登山を覚悟しなければどうも無理っぽい。

1時間近い行程も、あっという間に過ぎて上郡駅に到着した時には、天気も良くかなり暑くなりそうな空模様だ。ホームに下り立ってみると、智頭急行の建物が岡山寄りの遙か彼方にかすかに見える。

とりあえず、特急券を調達するべくとぼとぼ歩いていくのだが、その先には HOT3500 の姿もあり、その昔大元駅から乗換えの岡山臨港鉄道を思い出す。

前回、外から眺めた智頭駅でも感じたのだが、相互乗り入れとはいえ、首都圏のような利用客に対する利便性はあまり優先されていないようだ。JR西日本の邪魔にならぬよう、遠慮したかのように見えるその乗り場の配置からも、いまだ国鉄時代の不遜さが見え隠れする。

例の特急券のゴタゴタも考えると、国鉄分割民営化後の27年間にはいったい何が改善されたのか大いに疑問である。数ある私鉄会社の一員に過ぎない現在においても、まるで払拭されていないように感じる。

ま、そんなこたあどうでも良い。滅多に利用しない者がエラそうに説教めいたことを言っても、何も始まらない。

とりあえず、智頭急行線の特急料金 420円を払って、スーパーいなば1号の入線を待ったのである。自由席は、先頭車両一号車のはずだ。

ん、待てよ、上郡でスイッチバックするんぢゃなかったっけ?


あちゃ〜、…つづく。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.07.19] スーパーいなばと因美線:其の壱 〜より転載&加筆修正

2014年7月17日木曜日

写真の表現に関する戯言〜ちょっと寄り道

現代人は、情報化社会に生きる人種である。

とりあえず、出掛けちまえばなんとかなるだろうと、時刻表も持たない iPhone 頼りの、古来の乗り鉄から見たら言語道断な姿勢である。

日頃より公共交通機関に乗り慣れていない身で、迷子にでもなって乗り遅れたりでは格好がつかない。

いや、迷子の段階ですでに格好はついていないのだが、岡山駅周辺も昔と違って大きく変貌を遂げている。何かと道を迷わせ、人心を惑わせる要素も増えており、そんな怪異に出会わないとも限るまい。

ま、そのあたりの事情は次回以降に譲り、ここから大きく道に迷うわけだ。

もともと、スーパーいなばと因美線の本文として書き始めたのだが、ちょっと寄り道である。いや、これはもう脱線転覆といった方が相応しいかもしれない。

人心を惑わせる要素といえば、例の某変態カメラに関する情報もそれにあたるだろう。あまりサイト内で製品名を列挙しまくっていては、検索で訪れた方々に誤った情報を植え付けかねない。

したがって、自分自身が怪異とならぬよう、今後ぶっちゃけた話の場合は、極力製品名は伏せることにした。

で、例の新製品、そこに在るはずのモノが写っていない、無いはずのモノが写っているなどと、リアリティ重視の観点からどうよ的な発言をした。

ここでいうリアリティは、嘘偽りでないことを表すリアルとは、まったく別物であるという考え方に基づいている。

リアリティの対義語は、虚構または理想ということになっているが、まさに写真などは虚構そのものであり、写真に対して真実を写し出すことを期待するのは、あくまでも理想に過ぎない。

仮想現実という、まことに都合の良い矛盾した言葉もあるが、ようするに、なんちゃってリアル?みたいなものである。

このような曖昧な側面を受入れないと、写真に関する論議は成り立たない。

写真を見た時、リアリティの感じ方は各々の経験に基づく主観に依るところが大きい。だが、加工されたデジタル写真の罠に嵌まらないためにも、ある程度の共通認識が必要になる。

ぶっちゃけ、商品券と偽札の区別がつかないようでは、日常生活にも支障をきたすのだが、両者の間にある明確な違いは、それが合法か非合法か程度の差でしかない。

それを認識するのは、各々の経験に基づく主観だけでは到底成り立たず、そこには必ず共通認識が存在する。

もともと立体の動画であるはずの現実、それを瞬間的に切り撮ってあたかも現実性を持たせるものが写真であると仮定した場合、そこには少なからず虚構が生じる。

所詮、2次元平面に描写された写真などに、現実の空間を求めても不毛である。それが、自然に見えるかどうかは人それぞれだが、解像感や立体感、奥行き感などおよそ感などという文字が付くものに、絶対基準はない。

したがって、それが自然に見えた時点で、すでに不自然であることを忘れてはならない。

市街地の住宅などを作例とした写真の場合、肉眼で見えているものは、たとえ現実であっても人が短時間に認識できるものは意外と少ない。

しかし、写真に撮ることによって、その瞬間の膨大ともいえる情報量は後から見直すという行為においては、コンピュータの外部記憶装置のような役割も果たす。

撮影時にファインダから見える情報だけしか記録できなかったら、そのカメラは間違いなくドブに放り込まれるほど、デジタルカメラは進化している。

だが、仮に遠方にある住宅フェンス(よくある縦格子のアレね)などを例にとれば、距離が離れることによって一本一本は次第に解像されなくなる。

終いには、一枚の板状のものとしてぼんやりとした、まるで金網のような表現になることが多く、網戸との区別はつかない。

ここで、高画素&高解像度カメラの登場だ。高画素&高解像度が、必ずしも高画質につながらないのは、発展途上であるデジカメのジレンマである。

さすがに拡大すれば格子の数が数えられるほどに解像している点は、生真面目で理論通りである。だが、少し縮小すると、金網を経てどんどん網戸になって行く。これも杓子定規に捉えれば、間違っているわけではないし、そういうものだという共通認識もある。

だが、別々のコップに入った珈琲とミルク、いくら遠くてもカフェオレには見えないだろう、とは某掲示板で見かけた上手いたとえだが、ある意味どちらも正しく、どちらも間違いなのかもしれない。

今現在、気に入って使っている某社のカメラは、こいうった表現はしてくれない。あくまでも、格子状のフェンスに対しては、それが自体がフェンスであろうとするかのような表現をする。

そのためには、多少の嘘もつくし事実とは異なる表現も厭わず、まことに見事な虚像をデッチ上げてしまう。格子の本数など、どうせ見えないだろうと適当に端折ってしまうこともあるのだ。

それは、偽解像と呼ばれセンサ由来の問題点として、他の宗派からは忌み嫌われる要因にもなっている。ナイキスト周波数というらしいが、詳しいことが知りたければ、勝手にググって欲しい。要するに、標本化定理に基づく、再現の限界を越えると怪異が現われるのである。

この怪異、ゴーストとか幽霊とか偽物とか、言い回しはなんでも良いのだが、決して補間と呼んではならない。それは、フォビ厨の間では禁句となっている。もちろん、写真の正しさという点においては全くの問題児であり、客観的に見れば胡散臭さも満開だ。

ところが、明らかに見る者が認識できそうなところは、手を抜かないという真面目で勤勉な一面も持ち合わせる。

路面の状況や道端の雑草、鉄板の汚れや錆など、これでもかというぐらいに細かく描写する。嘘と本当を上手くミックスして、フェンスの虚像ばかりが目立たないようバランスを取るのだ。

それが、如何にもデッチ上げの塗り絵ではないところが厄介で、嘘と分かっていても信じたくなる。バイキュービック法とかニアレストネイバー法とか、そんな訳の分からない法律などに縛られることなく、心を無にすることも必要だ。

その写真を見たとき、経験に基づく主観を以て見たとき、それが多少縮小されようが、紛う事無き格子状のフェンスであることが認識できる。

そして、それを写真のリアリティと感じるのである。

それは建物だけでなく、道路、電柱、鉄塔、岸壁、海、波、岩、雲、山々、遠景の樹木など多岐にわたり、まるで上手い画家のようでもある。

このあたりは例の新製品、解像度は高いが、まことにヘタクソだ。

正しくあろうとして、見たままを再現しようとして、結果嘘っぽいという悲しい現実がそこにある。

同じメーカが同じポリシーで作り上げた結果だとすれば、以前のものは偶然の産物であった可能性もある。だが、問題の本質はそこではない。すでに販売されている製品なんだから、開発の背景に何があったかなど、後書きに過ぎない。

高画素&高解像度のカメラでは、格子の本数も正確に数えられるものさえある。だが、解像度チャートなどでは、ここまでしか評価できない。その写真を見た時に知りたかったのは、決して格子の数ではないはずだ。

もちろん主観が異なれば、重要なのはそれが何かではなく、格子の数であるという意見も少なからずある。他のメーカの方式の異なる機種には、リアリティなど多少犠牲にしても、正しくあろうとするカメラも当然存在する。

それも、選択肢のひとつになっていることは、たぶん喜ぶべきことだろう。

しかし、量産品であるかぎり、その選択肢のひとつが消えてしまう将来を危惧するからこそ、これほど批判的な意見も溢れているのだろうと思う。

中には、重箱の隅という隅を徹底的につついたようなものも存在する。それを大局的でないとして、逆に批判の対象となっているケースもある。

だが、毛髪の末端や服の繊維など、ある写真ではさほど重要には見えない重箱の隅も、風景写真の遠景にとっては、与える影響も決して少なくない。

その取るに足らない細かい情報こそが、微妙な隠し味になり、例の怪異現象の要素になっている可能性もあるからだ。

かつて、OS X が Mac OS と呼ばれていた時代には、アイコンも現在のように馬鹿デカくなかった。

せいぜい、32×32ドットで構成されたお粗末なもので、現在のデジカメの画素数とは比較にならないほどの、細やかな絵に過ぎない。

いや、一般人から見れば、そのドット数で絵を描くなどということさえ、思いつきもしないサイズである。だが、デスクトップに散らばるそのアイコン達は、それぞれに工夫が凝らされ、ひと目で分かる何かを表現していた。

もっと昔は、白黒2値でしかなかったが、それでもそれなりの区別はついていた。それがいつしか、サイズはそのままに色が付き始めた頃から、俄にアートの様相を呈してきたのである。まさにゲージツである。

ユーザレベルでも、ドットによる描画でアイコンを作ることもできたが、なかなかその筋の専門家(多くの個人も含む)が作るようなモノはできない。

その出来の良いアイコンから、少しでも参考にならぬかと、専用ツールまで購入して分析を試みたこともある。初めて拡大して驚いたのは、標準サイズで想像していたモノとは、ずいぶんとかけ離れたように見えるそのドット構成である。

なるほどなるほど、ここをこういうふうにすれば、こうみえるわけね〜、と感心するばかりで、結局自作で実用になるものはついぞ出来ていない。

一時は、写真や絵そのものを貼付ければ、適当にデッチ上げてはくれまいかと期待してやってみたが、どうもドット単位の手作り作品に比べて、数段落ちる出来にしかならない。

今ならアイコンサイズも大きくなって、それなりの表現も可能になったが、さすがに 32×32ドットの時代は、そんな手抜きを容認してくれるほどの情報量がないのである。

要は、いかに限られた範囲でそれらしく見えるようにドットを端折るかというテクニックが必要になる。

黎明期のマックでは、書体(フォント)にもそんな、悪く言えば妥協の産物が存在した。なにせ、9インチビットマップのモノクロディスプレイに漢字を表示しようというのだから、その苦労は並大抵ではなかったろう。

最初の日本語 OS である漢字 Talk では、メニューバーに表示された大阪フォントの「書体」メニューの書は、横線の数が足りていなかった。

しかし、作成者の気持ちを察することはできるし、人間には想像力という強力な、適応性に欠かせない能力も備わっている。

当時のマックユーザの間では、それを心の目で本来の漢字に置き換える特殊技能が求められた。第一水準でさえそうなのだから、第二水準など夢のまた夢の時代である。

お気に入りのカメラが写しだす、その写真を見るにつけ、この芸術的なアイコンやフォントのことを思い出さずにはいられないのだ。

次回こそは、「スーパーいなばと因美線」に戻れる、…と思いたい。



…ということで、ヒトツよろしく。
2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan


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[2014.07.17] 写真の表現に関する戯言〜ちょっと寄り道 〜より転載&加筆修正

2014年7月16日水曜日

スーパーいなばと因美線の前振り

ぶっちゃけ、予告するほどのモンでもないのだが、…。

もう、してしまったので後には引けない。

どうもこのところ、以前よりアクセス数が増えたことに調子こいて、ネタを探しまわっているような気がする。

これではイカン、あくまでも自然体であろうとするあまり、前回は少しでもバランスを取るために、端から見れば全く役に立たない個人的な設定などいついて、つい長文を書いてしまった。

ま、話題の新製品に言及すれば必然的にそうなることも、ある程度は予想していた。だが、サンウェイフォトなどと違って、他にも有益な(かどうかは知らないが)情報は溢れ返っているように見える、カメネタである。

所詮、思いつきで書いたごく私的な主観による決意表明など、本来は路傍の石以下の存在でしかない。間違っても参考になどしようものなら、後悔することは間違いないのだ。

で、今回も生粋の鉄から見れば、単なる思いつき、気紛れな撮影行の練習でしかない。

1月の定点観測のついでに行った、鉄撮りの練習で見かけたキハ187系ディーゼル特急「スーパーいなば」も、あれから何度となく撮ってきた。

その出来は、まあ悲惨なものが多いのだが、鉄撮りの練習:其の九で訪れた智頭急行線では、必ずしも期待通りではなかったものの、それ以前に比べりゃ、多少マシな絵が撮れたような気もしている。

岡山発のスーパーいなばと、京都発のスーパーはくとは、何れもJR線を経由している。だが、本来のメイン路線は上郡から智頭までの智頭急行線である。

ネットでぼんやりと時刻表を眺めていて思ったのだが、どうも乗車券の値段というものは、会社によって料金体系も大きく異なるらしい。

岡山発のスーパーいなばを例にとれば、岡山から智頭までの営業距離は 109.9km、山陽本線を経由する岡山~上郡は 53.8km、ほぼ同距離の上郡~智頭 56.1km は、智頭急行線区間である。

運賃は、智頭急行線の1,300円に対して山陽本線の 970円は、たった 2.3km の差でしかないことを考えると、たしかに割安感はある。

ところが、自由席特急料金は智頭急行の上郡~智頭間 420円(均一)に対して、山陽本線の岡山~上郡は、なんと 1,180円もするのだ。その上、座席指定などしようものなら、智頭急行がプラス100円なのにJR西日本だと、520円もの追加料金を請求される。

へ~そうなの、そんぢゃ上郡まで鈍行で行けば安くつくののね~、などと考えている内に、時刻表鉄の気分になって調べてみた。

岡山始発 06:47 の特急スーパーいなば1号(2072D)は、上郡着が 07:23 で発車はその2分後の 07:25 だ。それに先行して、岡山を 06:14 に発車する、糸崎から岡山経由の姫路行普通列車(1722M/1300M)は、上郡着が 07:07 なので、これに乗れば上郡駅でスイッチバックする特急スーパーいなば1号(71D)には、楽勝で間に合う。

たぶん、クハ115系電車と思しき普通列車では、各駅停車なので上郡まで 53分もかかる。その平均速度は60.9km/h であるが、同じ区間 53.8km をたった 36分で走りきる、特急の平均速度は89.6km/h にも相当する。(そりゃ飛ばすわけだわ)

一般的に考えれば、特急料金などというものは乗車時間の短さに対して支払うプレミアム料金である。

ここで、気分を時刻表鉄から乗り鉄に切替えて考えてみると、これはずいぶんと勿体無い話だ。同じ金を払ったら、少しでも長く乗っている方がコスパにも優れてお得なんぢゃね、と。(混じりっけ無しの純鉄ではないので、いつでも切替えができて、なにかと便利だ)

だいたい、環境問題やら効率重視で近代化の旗頭である電車に対して、同じ電化区間をディーゼルエンジンでブッ飛ばす気動車特急など時代錯誤も甚だしく、こんなに面白いモノはない。

これはもう、乗ってみるしかあるまい。ということで、思い立ったが吉日、前回の姫新線でのツケを精算するべく、出掛けてみたのだ。

だが、帰ってから気がついたのだが、あまりにも久しぶりに列車に乗ったため、その行程では写真を撮ることさえ忘れてしまうほどの、舞い上がりようだったのである。

ま、智頭から先はいったいどうするかなど、あんまり考えてはいなかったのだが、…つづく。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

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[2014.07.16] スーパーいなばと因美線の前振り 〜より転載&加筆修正

2014年7月13日日曜日

7月の定点観測

SIGMA Photo Pro 6 の新バージョン(6.0.3)が公開された。

今回の SIGMA Photo Pro 6、シグマからの案内メールが来て早々に、ダウンロード&インストールしてみた。

矢継ぎ早な更新で、ネタを提供してくれるのは有難いのだが、結論としての感想がいつもどおりなのが残念である。

今回も、初期バージョンより全く改善されていない点が、数多く見受けらる。先月の定点観測から漏れたファイルを生贄にして現像してみたが、大きく変わったところはなく、動作が多少安定したという程度の印象しかない。

少なくとも、メリル世代での使用においては、アプリが落ちなくなった(落ちにくくなった?)点は、大いに評価されるべきであろう。

だが、Exif から日付情報がが欠落したままだし、以前は当たり前にできていた保存ファイル名のコピペさえできないなど、旧来からのユーザの神経を逆撫でする点においては相変わらずであり、およそ改善されているとは言い難い。

古くからのシグマユーザにとっては、このようなことも毎度お馴染らしいが、どうも今回は今まで以上に準備が足りないように見える。

シグマによるクアトロのプロモーションも、サイトやカタログを見る限り、前回のメリルの時のような、これでもか!という圧倒的な魅力を前面に打ち出している感は全くない。

個人的には、DP3 Merrill のプロモーション、例の「プラハ」に崖から突き落とされて、現在に至るわけだが。そんな、感化されやすい性格の弱みをピンポイントで突いてくるような写真は、過去にもコンタックスのカタログなどに鉄板として存在した。

そのたんびに唆されては、たぶんありもしない将来を夢見て、いつかはこんな写真を撮ってみたいと、高価な買物にも無理やり自分を納得させる口実としていた。

で、その将来はまだ訪れていないのだが、その製品自体の寿命が尽きた後にも、次につながる希望として、後々の製品に託される形で受け継がれている。

クアトロがプロダクトとして成功するのかどうかはまだ分からないが、少なくともスタート地点の選択は、大きく間違っていると思う。

遅ればせながら、職業写真家よる作例もいくつか紹介され始めているが、四の五の言わせないパワーに欠けるだけでなく、逆にツッコミどころを与えている印象しかない。

ユーザが写真に期待するのは、チャートで表される解像度ではなく写真の中にある解像感であり、たしかに解像度は常に正義であるかもしれないが、それは手段であって最終目的ではない。

今回のバージョンアップが、新製品のユーザにとってどうかなど、知ったこっちゃないのであまり追求はしないことにしておく。

いまだに擁護派は、dp Quattro の解像感の無さについて、コントラストに対する味付けの違いだろうなどと、牧歌的な論議をしているようだ。必ずや、いつかは SPP がなんとかしてくれるはずだ、と。

味付けねえ…、刺し身にソースをかけて食えと言われても、フォビ厨、いやメリル派としては全く以て受入れ難い話だ。それを好みの違いで片づけられるなら、無国籍な創作料理も、弁当屋の新メニューだっていつかは伝統にはなるだろう。

刺し身にはマヨネーズと決まっているんだから、それを今更新しい味付けだからと言われても、納得できるユーザは少ないだろう。

なに、醤油だと? それぢゃあ、ベイヤになっちまうだろうが。

ま、今回の dp2 Quattro、延いてはその後予定されている dp1/dp3 Quattro についても、購入計画を断念して白紙に戻し、その上メリル万歳宣言までした身からすれば、どうでも良いことである。

ある意味、これで安心して現在のメリル三姉妹に集中できるのだから、精神的には却って落ち着いている。今の気分を語るなら、台風一家、もとい台風一過の晴天のようだ。(どんな家族だ?)

あ〜スッキリ。いやほんとマジで清々しい、さっぱりさっぱり、…。

そんなわけで、雲ひとつない青空が拡がる爽やかな風景を期待したのだが、こちらもまだ少し早かったようである。我心の内と同様に、いまだわずかに雨雲も残る、キリンビール7月号だ。

今月に入って、都合2度ほど訪れた定点観測の現場であるが、すでに田植えもほとんど完了している。地元の農家の方と見られる数人が、何やら作業をしているだけで、前回のような賑わいはない。

今月の二回は、何れも仕事を終えた帰り道に寄った、夕方バージョンである。そのせいか、不安定な露出と共に現像後もノイズが目立つものが多く、あまり満足できる結果ではない。

巷では、ゾンビ画質との悪評も耳にするメリルルックだが、商業カタログでありがちな、あり得ないほどのハイキーなトーンは個人的には好みではないので、少し暗めな写真に仕上げてしまうことが多い。

逆光写真が多いこともあって、明るい空を派手に飛ばすことなく、シャドウを持ち上げることができる X3Fill Light は日頃から重宝している。 だが、美味いモノには必ず毒があるのも事実で、主な原因はその使い過ぎにあると思う。

時として、ピクチャエフェクト感覚で、許容範囲を大きく越えて使うこともあるが、一応ローカルルールでは、±0.5 までに押えるようにしている。

いかにも、明るい(そして高価な)レンズで撮りました的にボケた背景で主題を浮き上がらせる効果は、たしかに認めないわけではない。

しかし、これといった明確な主題があるわけでもない己の写真には、いまだそのような手法もやってみただけに終わることも多く、モノクロームと同様、今後の課題であるとは考えている。

物撮りでは、開放でそのような手法も多用するが、風景写真の場合はフォーカスポイントが近くにあることは希で、よほどの理由がない限りは、開放から2〜3段(f5.6 - f8.0)絞ることが多い。

特に、DPM では最も解像する絞り(f4.0 -f5.6)付近を好んで使用しているので、被写体がスローシャッターを必要とする夜景や流れモノでもない限り、f9.0 以上を使用することは少ない。

それでも、現像のやり方によっては、メリルルックの解像感を維持しながら明るくスッキリした絵に出来ないこともないので、今回はなるべく条件の良いものから、普段より少し明るめに現像してみた。

ただ、Exif だけでは分からない現像パラメータも後からある程度分かるようにと、あえて長ったらしいファイル名を付けてきたのだが、そろそろそのフォーマットにも変更を加えた方が良さそうである。

以前から、テスト的にやっているコントラストを落として、フリンジをオフという設定も場合によりけりで、必ずしも全てに対する最適解ではないようだ。

並行してやってみた、適用量と適用範囲を 0.3 程度に抑えたグリーンフリンジ除去機能も、その方が自然に見える場合もある。また、逆にマゼンタフリンジに関しては、今のところ既定値である 0.5 のままオンにしておいても、さほど悪影響が感じられる写真は見当たらない。

困ったことに、同じ設定であっても SIGMA Photo Pro 5 と SIGMA Photo Pro 6 では、微妙に仕上がりが異なっており、できれば現像ソフトの世代交代を期にやりたかったのだが、現時点の SIGMA Photo Pro 6 の完成度では、完全移行する気にもなれない。

したがって、撮り合えずの暫定バージョンとして、以下のような設定を新しいデフォルトとして定義し、それ以外のオプション項目をファイル名に反映させることにしたのである。

[ファイル名の基本構成]
DPxM0000 RAW±L F5.6 [4M4Y EV-03FL-03 NDF]

ファイル名の前半は、写真番号・RAW現像±カラーモードおよびホワイトバランス・絞り値などの基本情報を表し、カラーモードは原則風景(Landscape)を使用する。ホワイトバランスはオートの場合は省略、それ以外はそれぞれの略号を追加するが、Exif でも確認できる撮影時のシャッター速度や露出補正値は省略。

ファイル名後半は [ ] で括り、カラーバランス補正値・露出補正値&X3FL値・既定値の種別などで、露出補正値とX3FL値の小数点を省略した表記を用いる。

例1.DP3M8283 RAW+LDY F5.6 [2M4Y EV-03FL+03 NDF]

上記例1では、 カラーモードは風景で、ホワイトバランスは「晴れ」を使用、絞り f5.6 カラーバランス 2M4Y、マイナス 0.3 の露出補正に加えて X3FillLight を+0.3 追加、既定値は新しいデフォルト値による、という構成になる。現像時の露出補正値については、それがよほどの意味を持つ場合を除いて省略。ページ内での表記は以下の通り。

DP3M8283:SIGMA DP3 Merrill 75mm F2.8
@ISO100 f5.6 1/250sec AAE WBDY Landscape


※露出モード:絞り優先(AAE)プログラムオート(PAE)マニュアル(ME)
※ホワイトバランス:オート(AWB)晴れ(WBDY)曇り(WBCD)

例2.DP2M1916 RAW-LCDDF F5.6 [00 GF0 NDF]

DP2M1916:SIGMA DP2 Merrill 45mm F2.8
@ISO100 f5.6 1/400sec AAE WBCD Landscape

例2では、カラーモードは同じく風景、ホワイトバランスは「くもり」を使用(または撮影時の設定から変更した)、露出と  X3FillLight は修正無し。ただし、フリンジ除去機能は、意図的にグリーンのみオフにした例である。(マゼンタはデフォルト値どおりの 0.5 でオン)

また、±は+(プラス)が X3FL を使用した場合で、未使用時は−(マイナス)にしている。これは、ファイル検索時の都合によるもので、大した意味はない。加えて、露出補正も無い場合は、オールデフォルトの意味で DF の文字を追加している。

また、ごく希にカラーバランスを修正しない場合もあり、この時はカッコ内は 00 で始まる。絞り値以外の[ ]内の数値は小数点を省略して表記するので、露出補正値が-10の場合は-1.0という意味である。

デフォルト(省略値)の異なる従来のファイルと区別するため、末尾には新しいデフォルト値であることを示す NDF を付加する。下は、新しいデフォルト値。ファイル名末尾に NDF (New Default) と表記されていれば、以下の項目が省略されている。 

・コントラスト(CN):-0.3
・彩    度(ST):-0.2
・シャープネス(SH):-0.5

フリンジ除去に関しては、以前使用していた GMF0305 則ちグリーンを色相範囲と適用量を既定値の 0.5 から 0.3 に減じてオンとする。例外的にグリーンのみオフにした場合が、GF0 と表記するが、マゼンタは既定値の 0.5 のまま、常時オンである。

ノイズリダクションに関しては、既定値の真ん中。変更する場合は大抵完全オフなので NR0 と表記(モノクロームの場合は常時 NR0 を使用)。倍率色収差補正は、お呪いみたいなモノなので既定値のまま常時オンである。

とまあ、自分以外には全く役に立たないことをグダグダと書き連ねてみたわけだが、このサイト自体が個人専用のアルバムみたいなものである。

かつての、ブックタイプのアルバムで行ってきた、写真を貼付けてはその情景にコメントを書込んだり、現地を思いだしながらその印象を書き連ねるといった作業を、自宅サーバの大容量にかこつけてネット上に公開しているに過ぎない、あくまでも個人の趣味である。

本来、人様に見て頂くモノのなら、ファイルサイズもネット環境に配慮して、圧縮率を高めるなどの工夫をするべきなのだろう。だが、できれば画質を落とさず残したいという、ごく私的な望みを叶えるためにやっているようなものなので、フルサイズは譲れない線なのだ。

環境が許せば、JPG などではなく可逆圧縮の PNG あたりで上げたいところだが、それやるとアップロードにも死ぬほど時間がかかってしまい、やる気も失せるので、まあそのへんは妥協なんである。

…ということで、ヒトツよろしく。

2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.07.13] 7月の定点観測 〜より転載&加筆修正

2014年7月7日月曜日

メリル万歳

今日はタナボタ、もとい七夕(たなばた)である。

これといって、期せずして得するようなこともないし、季節の行事にも全く縁はないので、ただの月曜日だ。

そんなわけで、前回は SIGMA と心中改め、Merrill と心中宣言をやっちまったわけである。いつも公開してから後悔するのだが、いまさら更改するわけにもいかないので、少し言い訳をしておこう。

ネットで良く訪れるシグマ関連のサイトでも dp2 Quattro に関しては、熱烈歓迎派(まいっか派も含む)と完全失望派に別れている。

商売が絡んでいるサイトは、とりあえずどんな製品でも歓迎するのでこの限りでないが、中には早々に決別宣言までブチ上げた潔い御仁も居られるようだ。

また多くはないが、暖かい目で気長に待ちましょう派も存在する。

いずれにしても、当方のように買えもしないのにウダウダ抜かす戯言などは、無視されてしかるべき雑音でしかないが、発売開始とともにいち早く製品を購入した方達には、その発言も当然の権利である。

ただひとつ不安なのは、シグマ自体がこの現状をどのように捉えているのか、である。
(踏み絵?…とか、ぢゃねえよな)

それが見えてこないことには、潜在的購入希望者(そんなモノが認知されているかどうかは知らないが)として、身の振り方にも苦慮するのである。

営利企業である限りは、売上げたが勝ちであり、それが価値である。製品の多少の問題点も収支決算で帳尻が合うなら良しとされるのはいずこも同じで、アップルなどはこの典型だろう。

もちろん、アンケート調査でもあればボロクソに言ってやるところだが、まだ買ってもいないユーザに対して、そんな手間をかけるほど馬鹿でもあるまい。

技術的な問題に関しては、理解できる知識も論評する見識もないので、あくまでも外から見える商品としての売上動向から判断するしかないのであるが、現状では不買によってメッセージを伝えるしかないと考えている。

一応、メリル三姉妹はシグマに対してユーザ登録も行っているので、いずれそのうち「既存ユーザの裏切者リスト」みたいなモノでも作成された暁には、その統計資料の片隅にでも名を連ねることで問題提起をしようという、ささやかな抵抗である。

アップル製品に対しては、すでに不機嫌な沈黙に突入して久しいという経緯もあって、なかなか天岩戸から出るキッカケも掴めないでいるのだが、この上カメラ関係においても、不貞腐れて過ごすのも面白くはない。

できれば、なんらかの公式見解でも発表されれば、前途に光明も見いだせるのだが、シグマに何の問題意識さえも無いなら絶望である。


メリル万歳!



…ということで、ヒトツよろしく。
2014年07月某日 Hexagon/Okayama, Japan