2012年12月15日土曜日

ユーザ・インターフェイス

前回の iTunes 11 に対する不満は、ユーザ・インターフェイスに関する考え方の違いが根底にあるように思う。

一つには機能と、もう一方にはデザインがあるように思われがちだが、この両者には密接な関連があり、実は同じものであることが多い。


OS X のウィンドウ左上にある信号のような三つのボタン、ファインダを筆頭に各アプリケーションのウィンドウにも必ず存在する。タイトルバーに相当する位置に横並びがお約束だが、唯一の例外が iTunes の前バージョンでミニプレーヤを選択した時に限り、縦並びになる。アップル自ら犯した掟破りであり、後にも先にも例がない。


で、今回はミニプレーヤにおいてはウィンドウにあらずと勝手なルールをでっち上げたのだろう。縦にも横にも、三つのボタンを配置すること自体を止めてしまった。


ま、それさえアップルの勝手なんだから別に論うつもりも無いのだが、タイトルバーまで無くしたのなら、いっそ iTunes は特別なウィンドウということで、旧来のアクアインターフェイスを止めて、専用のデザインを興せば良いと思う。どうせ、ファインダ上でのファイルの並び方も異なることに対して問題がないと考えているのなら、似て非なるものより混乱は少ないだろう。


仕事柄、いろいろなタイプのユーザをサポートすることが多いが、Macintosh を業務で使用しているユーザには、新しいことを好まない人々も少なくない。


古くからの友人である某商店主などは、頑なに一度覚えた操作法を変えようとはしない。基本的に、ショートカットは使わない。コマンドは、メニューからの選択一辺倒であり、メニューにない機能は無いモノとして片づけられる。目に見えるものが全てであり、見えないものは信用しない、使わない、という点においては徹底している。

新しい機能など迷惑だと言わんばかりで、自分の用途にとって不必要なバージョンアップは、とことん毛嫌いされる。安定こそが命であり、リスクを伴うような多機能化などもっての外である。

業務使用であるからといって、作業効率などは優先順位として必ずしも高いわけではない。たいていは、自身の理解の範囲を超えたモノに関して興味を示すことはなく、言い換えれば身の丈に合った使用法を好み、多少の不便は気合いと根性で乗り切ってしまう強者である。

さしずめ回転寿司なら回っていないモノは食わない、特別な注文などしない。と、まるでレストランの優良顧客のように聞こえるかもしれないが、細かいことには結構注文も多い割に、経営者としては当然のことながら経費に関しては渋チンで、ここだけの話サポート業務にとっては、必ずしも上客とは言いがたい。

かれこれ、十年以上も Macintosh を使用しているわけだから決して初心者ではないが、かといってオッタッキーなパワーユーザでもない。ただ、同じ傾向のユーザでも細かい部分では多少異なり、独自の使用法を編出して(というほど凝ったものでもないのだが)自分なりの効率を保っている。

極論すれば、ユーザの数だけ使用法はあり、同じ機能でも複数のアプローチが可能な柔軟なコマンド体系こそが Mac OS の美点でもあった。ユーザが一度習得した経験から類推して操作をするという、ある意味手探りの操作でさえそれなりに使えることが、日本語で書かれた参考書も少ない黎明期のマックユーザにとって、一助になっていたことは間違いない。

そのような意味では、直感的に把握できるインターフェイスを実現することは、容易ではないが重要である。彼らにとって、シンプルであることは歓迎されて然るべきモノであるが、それは決して存在する機能を隠されることではない。

前述の機能とデザイン、ただシンプルを以て良しとするなら、多機能はその対局にあるものかもしれない。が、実際そう単純なモノでも無い。機能美という言葉があるように、要するに見せ方次第で意外と両立するのである。

卑近な例を挙げれば、オーディオアンプや自動車のデザインに見受けられる。

アンプの場合は、使用頻度の高いヴォリュームコントロールを大きめにして、その他の機能はフタをして隠してしまうというもの。一歩間違うと、大変チープなモノに成り下がってしまう恐れもあり、あまり高級品では採用されないことが多い。

逆に機能を隠すことなく全面に並べても、良いデザイン(個人的に気に入っているだけだが)も存在する。一例を挙げるなら、もう一方のマッキン、McIntosh のコントロールアンプに見られるような、機能美である。

もちろん好き嫌いはあるだろうが、コントロールするという本来の機能に対して真っ向からアプローチした結果、数多くのスイッチ類をシンメトリーに配置することにより、機能を隠すことなくかつ美しさを損なわず、といった難題をクリアしていると思う。また、対照的にパワーアンプでは、メータを前面に大きく配置し、最小限のスイッチ類でデザインされたそれは、(当たり前だが)並べても全く違和感のない整合性を実現している。

別の例では、Mark Levinson のプリに見られるような、シンプルな美しさである。必ずしもボタンやスイッチ類が少ないわけでもないのだが、全くごちゃごちゃした感じはなくシンプルに見えるのはなぜだろう。

往年の LNP-2L、最近の(でもないけど) No.26L などにも共通しているのは、安物にありがちな回転するツマミ、縦横のスライドスイッチ、上下動のタンブラースイッチなど操作の異なる種類のスイッチ類を混在させない、というポリシーにあると思う。ま、ここのパワーアンプはブラックパネル一色のプリに比べると結構ケバかったりするんだが、少なくともかつてのプリのデザインは良かったと思うな。

McIntosh と Mark Levinson、 デザインポリシーの全く異なる両者に共通したものといえば、シンメトリーなデザインと最少限の種類で構成されたスイッチ類、統一された表面材質も含めたカラーあたりではあるまいか。(と、おいそれとは手を出しにくい価格、という点でも共通するな。かつては、一台でこいつらを軽く上回る価格の Quadra 950 を販売したこともあるが、ある意味良い時代ではあった。余談である。)

単に数を減らせば、シンプルなデザインになるのは当たり前で、機能上必要な数を網羅してもなおシンプル(に見える)なデザインは存在する。ただ、隠せばいいってもんぢゃないという例でもある。

一方、スマートに隠す方の例として、かつてブラウン管時代のソニープロフィールモニタがある。初代の KX-27HF1 は、オーディオアンプにありがちなフタで隠すというある意味安易な方法であった。しかし、二代目以降の KX-27HV1/KX-29HV3 などでは、ボタン自体を自照式にして、普段はほぼ全ての機能を見えなくし、必要な時だけ表示するというもの。既にリモコン操作が当たり前の、その時代のテクノロジーがあってこそ実現できたデザインである。

そのおかげで、高機能でありながら非常にシンプルでなかなかカッコいいデザインに仕上げられており、我が家のテレビは一時こればっかりだった時期もあるぐらいだ。スピーカはおろかチューナさえも内蔵しておらず、たしか別売りで10万円近い値段だったように記憶している。もちろん本体はその三倍ぐらいだったような、…やれ恐ろしや。これも余談である。

ま、なんでも隠しゃいいってもんでもない例は、最近のキヤノンの複合機を見ればわかる。当然あって然るべき機能まで隠してしまうと却って分かりにくく、使い難いだけのデザイン倒れの好例といえよう。(フタで隠すより、自照式にした方がコスト削減になることが主たる理由である、というところまで見え見えなのも、時代のテクノロジーに依るものである)

自動車の場合は、最近めっきりお目にかからなくなってしまったが、リトラクタブルヘッドライトのような、本来有るべきものがその場所に無いことを逆手にとった、隠すデザインの一手法である。

その歴史は古く、1930年代後半まで遡ることができるが、同年代のご同輩にはやはりコルヴェットを筆頭に60年代アメ車だろう。幼少時には強く憧れたもので、しばらくは川津祐介の乗るあの車はマジで空も飛べると信じていたぐらいだ。(コルヴェット自体、当時の国産車のデザインと比べらたら自動車というより、宇宙船に近かったように思う)

ただ、このあたりになると、その機能自体は既に単なる機能では無くデザインその物になっていたし、リトラクタブルにする理由などどうでも良かったので、あまり良い例とは言えないかもしれない。空力の観点から、全面投影面積を少なくするとか、保安基準の制限からなんとかボンネットをより低くするためなど、御託を並べればは数あれど、要するにカッコイイからであり、ある意味デザインの目指す究極の到達地点と言えなくもない。(ガキの頃には、リンカーン・コンチネンタルや、オールズモービル・トロネードでさえ憧れの対象であった)

が、その後国産車に不便を承知で同形式のヘッドライト装備したモノは、概ねライトをアップした状態のマヌケ面ばかりが目立ち、あまりトキメクものは無かったことから、リトラクタブルヘッドライトなら何でも良いというワケでも無い。2灯式の場合はだいたいカエル顔になるのだが、911 のようなカッコ良さは皆無である。

したがって、機能を犠牲にしたデザインなどさほど価値は無く、その上に格好が良くないとなれば本末転倒も甚だしい、というものだ。

iTunes に話を戻せば、ミニプレーヤにおけるボタンの表示/非表示は、より小さな面積で機能を犠牲にしないという点では、それなりに評価できるものである。というか、ポインタを持っていった時のみ再生ボタン等を表示し、通常は再生中のアルバム情報を表示するというアプローチは、優れたもので理にかなっていると言える。

しかし、対するフルサイズウィンドウ時の iTunes のデザインはイマイチ・イマニ・イマサンである。

ミニプレーヤ同様、検索ウィンドウなど虫眼鏡アイコンで十分だと思うし、フルサイズへ復帰するボタン(小さ過ぎて、これまた押し辛い)は左端にあるにもかかわらず、ミニプレーヤへの切替えボタンは真逆に最右端に配置される。

フルスクリーンへの切替えボタンと同様に、なぜあのような半端な位置に並べる意味はあるのか不明だが、双方とも使い難いだけでなく矛盾に満ちたデザインと言わざるを得ない。(タイトルバーを無くしたいのなら、そこにあったものの移転先ぐらい考えとけよな)

中央上部のさほど広くも無い領域に、無理やりアルバムアートワークを表示する(で、サイドバーから削除する)やり方にも疑問が残る。もちろん、そのアイコンサイズのアートワークをクリックすればフルサイズで表示されるのだが、再生中の楽曲に限られる。再生だけでは無く編集機能も使用している iTunes としては、選択中のアルバムアートの確認ができないという点で、使い勝手が大きく犠牲になっている。

また、最近の OS X のバージョンで推奨されるフルスクリーン表示機能との関連性から、マルチウィンドウ化を避けてきた経緯があるにもかかわらず、前述のアルバムアートワークのフルサイズ表示では、フルスクリーンモード時でさえオーバーラップで表示されてしまう。ビデオ再生時のウィンドウも同様で、フルスクリーンモードで不用意に iTunes の背景をクリックしてしまうと、再生画面は臆面も無くバックグラウンドへ隠れてしまう。

追記:ビデオ再生時のウィンドウは、従来のバージョンでも環境設定内の詳細にある「〜常に手前に表示」を選択することで、バックグラウンドへ隠れてしまうことは回避できた。が、本来常に手前に表示がデフォルトであるべきだし、そのような設定項目自体が必要ないはずだ。iTunes ウィンドウ内での表示などの選択は、メニュー項目から無くなり、再生中に右クリしないとできない。

以前は、表示形式にウィンドウ内も選択できたのだが、新しいバージョンでは別ウィンドウのみの一択しかない。フルスクリーンモードとの兼ね合いを考慮すれば、ウィンドウ内表示の方が妥当だと思うが、あらゆる点においてインターフェイスの基本方針がブレまくりなのも気になる。

いったいアップルとしては、何をどうしたいんだと…。

今回のバージョンアップにより、カラムブラウザの表示機能に掛けられていた制限は、ある程度緩和されたようだが、そもそもなんでそんな意味のない制限を掛ける必要があったのか、理解に苦しむ。

リリースが一ヶ月近く遅れたのも、実装機能の整合性を調整することが理由として考えられるが、基本的なデザインを見るにつけ過渡期の製品にありがちなやっつけ仕事の匂いがあちこちに漂う、今回の iTunes 11。


ちなみに、アクアインターフェイスこそ、スコット・フォーストールの置き土産であり、この呪縛から逃れようとするなら、根底からの改革が必要になるだろう。


まさか、この矛盾に満ちたデザインが、サー・ジョニーのなせる技などと思いたくもないが、デザイン面で腕を振るうなら今こそ、その時であると言いたい。


わお〜、またもや連チャンだぜい。



…ということで、今年いっぱいヒトツよろしく。
2012年12月某日 Hexagon/Okayama, Japan 


http://www.hexagon-tech.com/
[2012.12.14] ユーザ・インターフェイス 〜より転載&加筆修正

不機嫌な沈黙

iTunes 11 アップデート ver. 11.01 (12)
標題は、TidBITS 日本語版最新号からのパチリであるが、最近のアップル製品にユーザが感じている鬱屈感を上手く表している言葉だと思う。

ユーザインターフェイスに関して、ウェブブラウザなどの場合は、主たるは表示されるコンテンツでありその機能は脇役であるので、Safari などのボタンなどがモノクロなのは当然であるとしても、ジュークボックスたる iTunes では主役の音楽自体、主にユーザの聴覚に訴えるのだから、視覚を担当するプレーヤがあまり地味では、面白味がない。

したがって、かつての MP3 黎明期に多数存在したミュージックプレーヤソフトにありがちな、安物のカーステレオのようなケバくチャラい外観はご免被りたいが、今回のような作品としてのアルバムを見せる(魅せる)アップデートに関しては、個人的には許容範囲でありなにも問題はないと思う。

が、細かく見ればそう単純に喜んでもいられない事実に気がつく。

一見シンプルな外観を保っていながら、実際に使用してみると、これだけ雑然とした印象を与えるインターフェイスも珍しい。

山猫では、iTunes 11 のサイドバーアイコンではカラーで、Finder のサイドバーアイコンはモノクロという、スノレパ上で iTunes 10 を使用していた時と、全く逆になっている。標準書体も、またもや Lucida Grande から文字間ピッチの狭い Helvetica と思しきものに変更されたようで、せっかく前回見やすくなったのに後退である。

あまり意味のない変更を繰り返すぐらいなら、表示書体ぐらいユーザの選択に任せりゃいいだろうが、と思う。相変わらず迷走を続ける、OS X のユーザインターフェイスを象徴するかのようである。

サイドバーのカラーアイコンや、今回のアップデートにより復活した「重複する項目の表示」なども歓迎すべきことではあるが、元々あったものなんだから、さほど褒められたものでもない。

しかし、外観上未だに明るい背景以外の選択肢は無く、今一つ二つ、不満も残る。加えて、iTunes のミュージック(およびビデオ)プレーヤと並ぶもう一つの側面である、音楽管理ソフトとしての機能についての不満が多い。

サイドバーの表示/非表示はユーザの任意であるので、必要に応じて切替えれば良いのだが、従来サイドバーに表示できていたアルバムアートの表示機能を廃止している。

おかげで、アルバムアートの登録手順が煩雑になってしまった。特に、新たに取り込んだアルバムへ既存のアルバムからアートワークを流用しようとすると、かなりトリッキーな技が必要になる。

本来、ダイアログ内などで表示されるテキストに対しては、右クリが無効な上にメニューにはコピー機能が表示されていなくても、コマンド+Cが有効であることはたまにある。が、まさか iTunes で割と頻繁に使用されるアルバムアートワークの編集機能に関して、制限を掛ける必要があるとも思えない。それに気付くまでに少し時間がかかっただけなんだが、これってストアから音楽を購入しない者に対する嫌がらせなんだろうか?

従来より、サイドバーではアートワークの表示/非表示機能を持っていたのだから、さほど邪魔になるモノでもないし、サイドバーそのものを非表示にできるのだから、余計なことをする必要はあるまい。同一アルバム内でも、楽曲単位で異なるアートワークを設定することもあるので、選択した曲のアートワークを確認するだけでも余計な手間がかかるような変更は頂けない。

元からある機能を犠牲にすることなく、新しい機能を追加することは十分に可能であり、それを如何にシンプルに見せるかがデザイナーとして腕の見せ所であるはずだ。機能を削ることがシンプルへの近道だと考えているなら、それは単なる手抜きでしかない。

少なくとも、かつてのアップル製品の伝統であった、直感的な操作とは程遠いシロモノであることは間違いない。

なぜアップルがこうも毎回毎回、従来からのユーザの神経を逆撫でし、わざわざ反感を買うことが明らかなことを好んでするのか、その明確な理由は分からないが、このあたりが毎度メジャーアップデートの度に戦々恐々とさせられる所以である。

また、ミニプレーヤへの切替えボタンも、従来ズームボタン(緑)を流用するという、掟破りな設定を長年ゴリ押ししておきながら、iTunes 9 で様子見のつもりか、一時的に変更したことがある。

個人的には、ズームボタン本来の姿なのだから、タイトルバーのダブルクリックや、それなりの代替機能やボタンなどを用意すればそれで良いと思っていた。だが、あまりに反感が多かったのかその後元に戻されたという経緯がある、アップルにとっては鬼門でもある。

今回、ほとぼりが覚めたとみて、またもやの変更である。それもタイトルバーを無くした上で、半端な位置に半端なデザインで、当然思いっきり使い難い。ショートカットなどは、ご丁寧にオプコマ+Mとオプコマ+3の二本立てである。オプコマ+Mはミニプレーヤへの切替えだからまだ理解できるが、フルサイズウィンドウを表示した上にまだミニプレーヤを表示するなどという呆れた機能など、いったい何処のバカが考え出したのだろう。

デバイスおよび楽曲の管理という点においても、インターフェイスがイマイチな点は多い。

まずは、iOS 機器を有線/無線に限らず接続した時、使用状況を表す棒グラフに詳細情報が表示されない。いちいち該当の場所にポインタを持っていかないと表示されないというお粗末なものであり、一瞥で概略を把握できていた従来の表示機能に遥かに劣るものである。

本来ヘルプ的な要素には用いられる手法であるが、情報を表示するべき画面で情報を隠すことに、いったい何の意味があるのだろうか。

アプリにデータを登録する画面でも、未だにファイル単位のみでフォルダ単位では選択できない。複数ファイルの選択は、シフトまたはコマンド+クリックが必要になる。また、iPhoto から写真を登録する場合も、アルバムは何度閉めても選択の度に全開であり、アルバム数が多いと選択に苦労させられるところもなども、相変わらずだ。

ただ一つ、何も変更していないにもかかわらず、App タブを選択しただけで「変更を反映させるか」などと聞かれなくなった点のみは、改善されたようだ。

デフォルトのサイドバー非表示状態では、音楽や動画は完全に分離され、新たに増えたホームビデオなどの分類など詳細なタグを管理していないと、不慣れな者は目的のものを探し出すのに苦労するだろうな、ということが容易に想像できる。(たぶん、iTunes Store での購入者に、焦点を絞ったに過ぎない変更なんだろうけどね)

iOS 版のミュージックアプリでも指摘したことであるが、リスト上部に並ぶボタンは、プレイリスト以外では表示形式も変更できない、ただの並べ替え機能に過ぎない。そんなモノは、一覧表示で項目名をクリックすれば出来ることであり、わざわざボタンを設置する程のものでもない。どうせ、単にリスト上部に隙間が出来たから、並べてみただけだろう。

また、ステータスバーに表示される項目数などの表示も、以前はクリックすることで表示方法を変更できていたが、これも機能しない。ただ、不思議なのは iTunes 10 からアップデートした時に、最後に表示されていた状態で、固定されているように見える。

別のMacをアップデートする時、試しにあえて別の表示を選択したものとは異なる表記になっていることから、単に機能を実装し忘れた可能性もある。が、残念ながら今回のアップデートでは復活しなかった。


ま、最近のアップルを見ていると、そのこと自体に気付いているかどうかも、かなりあやしい気もするが、…。


一見新しく見える iTunes 11 のインターフェイスも、事細かに使用してみるにつれ、今迄あった機能にわざわざ制限をかけて、別の分かりにくい機能を追加することで、構成されていることが分かる。

要するに、何をするにもことごとく遠回りを強いられ、およそシンプルとは対局にあるインターフェイスと言わざるを得ない。この点においても、直感的な操作からどんどん遠ざかっており、ユーザが従来の経験から得たものを全く無駄にしている。

よもや、今後 OS X 全般にわたって、このような無意味で無駄な変更が行われることが無いよう、ただただ祈るばかりである。

アップルが行うイベントで、発表される売上げなどの業績と異なり、ネガティブな印象というものは、単純な数値の多寡では計れないモノが存在する。朝令暮改で安易な仕様変更、いつまでたっても修正されないバグや意味のない機能制限など、あまり既存のユーザを舐めていると、いずれ有用なフィードバックさえ得られなくなる。

念のために言っておくと、ドザな連中は無償でダウンロードできることで iTunes が只だと思っているかもしれないが、iTunes は OS X の基本機能であり Mac を購入するに当たってその料金に含まれているソフトウェアである。バンドルされているからといって、マックユーザとっては決して無料ソフトなどではない。

したがって、iTunes Store を利用しないマックユーザでも遠慮は要らない(と、思う)。文句があったら、ハッキリと言ってやろう。

そしてアップルには、文句を言うヤツが減ったことや、だれも何も言わなくなったことを、単純に受け入れられたとか賛同を得られたと勘違いしていると、いつかしっぺ返しを喰らうことになるぞ、とエラそうに上から目線で言っておこう。

新たな製品、新たなバージョンが発表される度に、各方面で賛否両論、話題には事欠かないアップル製品ではあるが、称賛も非難も騒がれているうちが華である。

アップルは、たかが地図ごときで大騒ぎしている、声だけは大きな連中よりも、もう少し不機嫌な沈黙にも注意を払うべきだと思うな。


…ということで、ヒトツよろしく。
2012年12月某日 Hexagon/Okayama, Japan

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[2012.12.14] 不機嫌な沈黙 〜より転載&加筆修正

2012年12月7日金曜日

やっぱ、時計はスイスだ!

アップルがパチリ切れていなかった、SBB の公式時計について、その動作を見事なまでに再現した、iOS アプリがある。

SwissRailwayClock 2.0.1(無料)というものだが、このグラフィックスには感激する。

起動時には、必ず全ての針が重なった位置から現在時刻に配置されたり、縦横を切り替える時にインデックスはそのまんまで、針のみが回転するギミックも面白い。また、ハンズの微妙なテーパ形状やインデックスにちゃんと届いている秒針、夜の時間帯になると変わる照明の色合いなども、なかなか味わい深い。

極め付けは、オリジナルと同様に秒針が毎分12時の位置にきた時には一秒少々止り、分針がおもむろに一分進んでから再度秒を刻み始めるのだが、その時の止まり方が堂に入っている。それこそ、カクンと音が聞こえてきそうなほど、秒針も長針も震えるのである。

もちろん、その分遅れが発生するので、再び動き出してから都合約58秒程度で一周するという、まったく細かいことは気にしない大らかな仕様である。

で、いろいろ調べてみると、この掟破りな仕様にはそれなりの深〜いワケがあるらしい。

スイス国鉄のステーションクロックが誕生した1940年代には、その当時の機械的な精度から、各駅に設置している時計に微妙なズレが発生することが避けられなかった。

そのズレを修正するために、親時計を設置して各駅の子時計を制御し、一元管理する方法が採られた。各駅の子時計は秒針が約58.5秒かけて1周し、0秒の位置で一端停止。その後、親時計からの制御信号を受けて各駅の時計が一斉にまた時を刻み始めるという、全ての時計を正確に合わそうとした、聞くも語るも涙の苦労話があるらしい。


ま、何処の国の列車も発車時刻が、×時×分59秒なんてのはないだろうし(1.5秒ほど早く発車することになるけどね)、だれも正確な時計など持ち合わせていない時代だから、これはこれで正解なんだろう、と納得させられてしまう。かつては、銀行強盗だって犯行前には「時計を合わせよう」が合言葉になっていたのだが、最近はあまり聞かれなくなった。


Stop to Go と呼ばれるトリッキーな動作にも、そんな背景があったことを知れば、あまり好みのデザインではないと思っていたモノにさえ、何となく愛着を感じるから不思議なものだ。(欲を言えば、中心軸の描写が欲しい)

アップルも、どうせパチるならここまでやればリスペクトと言えただろうに…。と、最近のアップルに感じる残念感ばかりが気になる、今日この頃。

表面だけを真似た純正クロックと比較すれば、機能上必要ないからといって余計なものを取払ってしまうと、いかにつまらないモノになってしまうかを示す好例といえる。

おおっと、今月も初っぱなから二本立てだぜい。
2012年12月某日 Hexagon/Okayama, Japan

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[2012.12.07] やっぱ、時計はスイスだ! 〜より転載&加筆修正

iTunes 11

まいど、恒例になっている iTunes の目が点になる仕様変更、今回も各所で悲鳴が上がっているようだ。

例によって、またもや背景色は白に戻され、暗い色の選択肢は無くなった。あとから苦情が出ることが分かっていながら、なんでアップルは懲りもせずおんなじことばかり繰り返すんだろう。

デフォルトでサイドバーを隠してみたり、プレイリストを選択した場合にはカラムブラウザを編集できないなど、多くの矛盾点が存在する。また、アルバムアートの表示サイズやソート順序ぐらい、ユーザに選ばせてもバチはあたるまい。

iTunes 9 当時に物議を醸した、ミニプレーヤへの切替え機能もいかにも使いにくそうな右上の隅っこに、フルスクリーンモードとならべて不細工に設置したボタンでお茶を濁す始末である。最近の大型画面のマックにおいては、もともと表示モード切替えボタンがあった検索窓の周りにはスペースが十分にあるんだから、もっと分かりやすく使いやすいボタンを配置すりゃあいいだろうが、と思う。

いったい、何を考えてユーザインターフェイスをデザインしているのか、全く理解できない。

ちなみに、サイドバーはファインダと同様にオプコマ+Sで表示/非表示できるのでさほど困るわけでもないが、新しい機能を見せびらかしたいがために、ユーザの選択肢を奪ってまで、押しつけがましくも使用法を制限するやりかたには、まいど腹が立つ。

ま、メジャーアップデートの最初のバージョンだから、ユーザの苦情の多い順に改善されるものと考えているが、開発陣にはもう少し学習機能を働かせてもらいたいものだ。少なくとも現バージョン(11.0 163)では、本来できるはずのことができないことが多い。

ただ、最近のワイド画面に則したエリアの有効利用という点においては、多少改善された部分も有り、いずれ各方面から裏技的なモノも含めて善後策が披露されるものと予想されるので、気長に構えるしかないのだろう。


…ということで、今月もヒトツよろしく。
2012年12月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2012.12.07] iTunes 11 〜より転載&加筆修正