2012年10月30日火曜日

人事異動

今月は、前回のスティーブネタで締めにしようと思ったら、またもや大きな人事異動の発表である。なんと月末のクソ忙しい土壇場にきて、今月二度目の二本立てだ。

人事のことなど、外野席からでは全く分からないので野次馬なコメントしかできないが、個人的な感想を言えば(それしか言ってないけど)、ブロウェットに関しては遅すぎるぐらいだし、当初から何でこんなヤツがアップルに来たのか不思議だった。

会社としての発展には大きく貢献していることもあり、世間的な評判は良いキャプテン・クックだが、スティーブとは別の、悪い意味での朝令暮改を繰り返しているようにも見える。対応が早いことは評価するべき点であるが、それ以前にもっと良く考えてから実行しろと言いたくなることが多い。

トップのそのような対応は、少なからず今後の製品や運営に悪影響が出るものだ。(後先考えず、あまりにも簡単に判子をつくのは止めて欲しいな。←ボブの退職、EPEAT、etc.)

スコットについては、ジョニーとの確執やマップ問題の詰め腹を切らされたという噂だが、少なくともマップに関して責任の大半はクック船長にあると思う。確かにマップの完成度が低いままリリースしたのは、iOS 担当責任者として責められて当然としても、Google Map の継続使用期間を設けるなど、その善後策を含めた全般の運用に関しては、CEO の責任を追及されて然るべきであろう。

ましてや、謝罪文などの署名拒否が問題視されるような話にいたっては、高校の生徒会レベルの話ぢゃあるまいし、そんなモノにおよそ最高経営責任者以外の署名が必要とも思えない。

プレゼンターとしてのスコットは、他のメンバーに比べて何となく信頼に値するような自信に満ちたところがあり、好感が持てていただけに惜しい。もちろん、更迭の原因はそんな些細なことではない、と思うが…。

巷の評判はさておき、スティーブがそう簡単に謝罪しなかったのは、全責任を負っていた彼の確固たる信念(と、それに伴う往生際の悪さ)によるもので、熟考の末決定したことをそう簡単に変えるようなことはしない。その点においては、朝令暮改は彼の方が遥に少なかった。

そうでなければ、命がけでトップの至上命令に従ったスタッフはやってられねえだろうし、スコットがそのような謝罪文に署名することを拒否したり、謝罪文の公表自体に反対するのは至極当たり前の様な気もする。それとも、アップルの各担当上級副社長というのは、CEO をもすっ飛ばして製品をリリースできる絶対権限でも持っているんだろうか?

ま、アップルの親分子分の力関係については良く知らないんだが、いずれにしても、スティーブの時代には考えられないことだ。

以前のアップルであれば、すべての責任(と手柄)はスティーブが担い、それがアップルの顔であった所以である。今のアップルには、ハッキリ言って顔がない。どうして分かる、首無し美女殺人事件状態である。(なんのこっちゃ?)

それにつけても、リマインダ、連絡先、メモが使いにくい。

iCloud 連携の代表的な御三家アプリであるが、早急に何とかして欲しい。

リマインダでは、業務用と個人用を分けるためにリストを作ったら、全てを一覧できない。備忘録というのは、須く全体を見通してその後に細かい分類をすべし、というのが本来のアプローチだと思うのだが。(OS X & iOS)

そうかと思えば、連絡先では反対に分類済みのグループだけを表示しようとすると、やたらに余計なステップを踏まないとできない。そもそも分類に関する基本機能自体が、後述のメモとも大きく異なっており、まるで別会社のアプリケーションを使用しているような気になる。また、グループ作成や既存のグループへの分類など、編集機能に多くの制限があり、これまた Mac 版の連絡先(旧姓アドレスブック)とは外観が似ているだけの全く別アプリである。(iOS)

以前は問題なかったところまでわざわざ改悪するとは、一体何を考えてインターフェイスを作っているのだろうか?(もし、これがスコットのせいなら辞めてもらって一向に構わんと思うな)

メモに関しては、基本コンセプトに根本的な問題がある。長年 Mac を使ってきた者からすれば、コピペでこんなに苦労させられるクソアプリも珍しい。問題は、リッチテキストを優先するあまり、使いやすさが大きく犠牲になっていることだ。フォントの概念が全く異なるモノにリッチテキストは不要だろう。どうしても体裁にこだわるなら、せめてプレーンテキストオンリーの選択肢を設けるべきだ。(ワープロぢゃねえんだ、メモだよメモ、わかってる?)

加えて、相変わらずバグだらけの編集機能は、いつまでたっても修正されない。おまえら、リリース前にほんとに使ったことはあるのか、と言いたくなる。(OS X)
[以上:フィードバック済]
iOS 担当上級副社長が替われば、ただちに改善されるモノでもないだろうが、せめて以前から気になっていた Mac と iPad の統一性の無さが少しでも良い方向に向かえば、と思う。

製品について変化があれば人事も多少の影響はあったのだろうと、結果から類推するしかないのだが、何も改善されなければその責任者は何もしていなかったか、諸悪の根源はまだ別のところにあるという、より厄介な問題が表面化する。

上記課題に加えて、iPad 版のミュージックアプリの問題(アルバムを跨いだ連続再生機能など)は、iOS 6 になってから少しづつ改善されてきているようだが、今必要なのはもっと全般に渡って根本的な改革なのではあるまいかという懸念であり、あらたな人事によって任された担当者の手腕が問われる。

しかし、NeXT 時代からのメンバーがまた一人去ることによって、スティーブのカラーが一段と薄められていくのはちょっと寂しい。

てなこと言って、小綺麗にまとめてみてもしょうがない。

どうせ、スコットはハメられたんだろう。無責任な言い方かもしれないが(だって責任なんて全く無いもんな)、アップルのお家騒動なんてどうでもいい。アップルがさっさとバグを直して、新製品をとっとと出荷して、新たなワクワクさせてくれる何かを提供してくれりゃ、ぶっちゃけトップは猿でもいいと思っている。(なんなら、オレがやってあげてもいいよ〜)


…ということで、来月もヒトツよろしく。
2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.10.30] 人事異動 〜より転載&加筆修正

朝令暮改

今月は、スティーブの命日(の月)である。よって、最後までスティーブネタで押し通すことにする。

彼については、すでにあちこちで語り尽くされており、一年もたっていまさらな感はあるが、昨年、突然の訃報に接したおりには、書きたいことは山ほどあったにもかかわらず、何も書けなかったことが悔しい。

この一年、スティーブに関する書物は新たに出版された物、過去に出版されたものも含めて一切読んでいないし、資料もたいして読み返した訳でもない。あくまでも、自分の記憶の中にある彼をもとに書いているので、けっこういい加減であやしい内容にはなると思うが、もともと言いたい放題の雑記/雑想がこのサイトの基本方針なので、問題はあるまい。

前回、iPad mini の設定価格について、適当な私見を述べてみたのだが、iTunes、App Store 等で、アップルが作り上げてきたインフラについては、あえて言及しなかった。iPad の成功の影(でもないけど)には、iOS 機器を取巻く環境が大きく影響していることは、世間一般にも認識されていることであり、いまさらな話になるのもアレなので、アップルが作り上げた購買層という表現でお茶を濁したのである。

なぜ、濁す必要があったかといえば、個人的にはあまりそのインフラのお陰は被っていないことと、逆に売上げにもほとんど貢献していないからだ。

もちろん、iTunes はその前身であるところの Sound Jam MP (Casady & Greene) を購入して以来、歴代 iPod 以前の Rio 800 (Sonic Blue) の時代からずっと使い続けているし、iPhone や iPad を使用するようになってからも、App Store は利用している。

しかし、未だに音楽や映画は専らアマゾンなどで購入した CD や DVD からリッピングしたものばかりで、ただの一曲、一本でさえ iTunes で購入したことはない。App Store を利用するのもせいぜい無料版のソフトぐらいであり、iOS 版の iWork を始めアップル謹製アプリや Mac OS のアップデータ以外で購入した物は、大辞林、AirVideo、などその数はさほど多くない。大半は、標準添付されたソフトの機能で事足りている。

このような状況で、あたかも一般的な iPad ユーザ視点で持論を展開するのも如何なモノかという気もするし、アップルが長年の紆余に曲折を経て作り上げてきたインフラ、特に有料のデジタルコンテンツについては、一定の距離をおいた客観論にとどめておきたいという考えが働いたからである。

ソフトウェアに関しては、バージョンアップがある程度保証されているので、購入に対してさほど抵抗はないのだが、音楽や映画を筆頭にほぼ買い切りになる現状の著作物に関しては、現物支給に対してのみ対価を支払う価値がある、と考えているためなかなか手を出しにくい。

LP 時代に購入したアルバムの大半は、CD になってから再度購入し直したが、DVD で購入した映画などをいまさら BD でもう一度購入する気にもなれない。だからといって、かつてのテープメディア(カセットテープ、VHS、ベータ、8mm、等)に至っては、数千本にもおよぶ散財をやらかしてきた年代の者にとって、中身だけに金を払う習慣は根付いていない。せめて現物でもあれば諦めもつきやすい、という程度の細やかな抵抗である。その点では、国内では未だ未対応の iTunes Match には期待していたのだが、…余談である。

要するに、日々デジタルの恩恵に預かりながら、一方ではアナログの呪縛からも逃げ切れずといった呈で、あまり昨今の時流には乗りきれてはいない。

長年使用してきた Mac は、すでにビジネスツールを通り越してライフツールと化しているので、もはや他の選択肢などあり得ないのだが、iPhone を筆頭に iPod や iOS 機器を使用するのは、Macintosh の周辺機器としてという側面が強い。未来のパーソナルコンピューティングに思いを馳せて…、といえば聞こえは良いが、実際はただ使っていて面白いからであり、それ以上でもそれ以下でもない。

で、本題の朝令暮改である。

朝令夕改、朝改暮変ともいわれるらしいが、この熟語自体、法令などがすぐに変更されて一定せず、あてにならぬことを意味する、あまり有り難くないことに使用されることが多い。

ぶっちゃけ、朝余計なことを言わなけりゃ夕方に訂正する必要もないだろう、という戒めの言葉であると個人的には考えている。

アップルのやり方の基本にあるものを理解するためには、この「余計なこと」の本質と背景を見極めることが必要である。

アップルも企業である限り、利潤を追求するのは当然のことであり、それ自体が悪いことではない。本来の目的は、そちらであることが社会通念上一般的であるが、ただもう一方で利潤の追求の仕方にはさまざまなスタイルがある。コンシューマ製品の場合は企業イメージというモノが、重要な要素となり製品の売上げに大きく影響する。

スティーブ・ジョブズは、かつてのアップルの顔であり、見方によっては彼そのものがアップルであり、アップルとは実はスティーブ・ジョブズのことなのである。

スティーブの復帰後、アップルの最も顕著な変化は「自分たちが本当に欲しいと思うものを作るんだ、という思想を全社的に浸透させている企業」というイメージである。あくまでも、アップルが顧客に見せたいイメージであり、実際がどうなのかはこの際あまり関係がない。ユーザがそう思ってくれたら、ラッキーという程度のものだ。

それまでアップルは、市場占有率におけるビハインドをいかに挽回するかが、企業としての最大目標であったように見える。(実際90年代末期のアップルは、その存続が危ぶまれていたんだから、当たり前な姿勢ではあるが、…)

請われて復帰したスティーブは、ある意味気楽なもんだったろう。仮に潰れて無くなったとしても、責任の大半はそれまでの経営陣にあったわけだし、それならということで、思い切った大鉈が揮えて好都合だったに違いない。外から見ても感じたのは、市場占有率なんぞとっとと諦めて、やりたいようにやろうぜ、という良い意味での開き直りである。

ただ、そこにはアップルに対する、ただならぬ愛情があった。

ポリタンクや初代の iMac などのふざけたデザインで会社を建て直そうという奇策を、真当な会社の役員連中が素直に認めるとも思えないし、藁にも縋るせっぱつまった感が功を奏したことは、間違いあるまい。結果、それなりに Mac の販売量も増えたが、その程度では大きく傾いたアップルにはまだ足りなかったのだろう。Mac をあらゆる、コンテンツの中心とするべくデジタルハブ構想をぶち上げた。(当初は、まだ iPod もなく Rio や Palm が登場する)

その次に目をつけたのが、当時は異業種であった音楽業界であり、「Rip-Mix-Burn」の旗印のもとにメディアの呪縛から開放しようという試みも行われた。音楽業界としてはあまり面白くはなかったが、そこは商売人としてうまく立ち回ったスティーブのおかげもあって、iPod へ向かって階段を上り始めた。

そのころから俄に、コンピュータ会社でありながら一般的にもファッショナブルであるとか、所有することで自己満足を得られる的な、勝手なイメージが生まれ、一時はそれを利用した広告展開もあったようだ。が、基本的にはありがちなイメージ戦略とは少し異なり、ユーザ体験(User Experience)を重視するという方向で、当時の業界では暴挙と言われたリテールストアに注力するなど、言うなればスティーブのやりたい放題である。

最高経営責任者としての露出度はピークに達し、一言一句、一挙手一投足が暴露され、編集され、報道され、出版され、あらゆる解釈があらゆる解説者によって披露され、 カリスマ経営者の発言としてことあるごとに引用され、一人歩きをするようになる。

○現実歪曲空間。
○闘争本能の固まりのような独裁者。
○1000マイル先は見えているが、足下は見えていない。
○刺激的で、放漫で、暴虐で、激しく、無い物ねだりの完全主義者。
などなど、スティーブを揶揄する言葉には、罵詈雑言を含めて枚挙に暇がないが、朝令暮改もそんな中のひとつである。

「市場調査などしない、まだ存在しない物を顧客に聞いてどうするんだ。」というのは、ヘンリー・フォードの有名な言葉のアレンジだが、生前スティーブも、人は形にして見せるまで何が欲しいのかわからない、という意味のことを好んで語っていたように思う。まるで、僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る的な、企業経営者ならいっぺんは言ってみたいものだろう。

「奉仕を主とする事業は栄え、利得を主とする事業は衰える」という元祖自動車王の名言も、企業人にとっては奇麗事にしか聞こえないが、スティーブはマジでこれをやろうとしたフシがある。もちろん、奉仕を主とするという部分ではなく、事業は栄えるという部分に惹かれたのは明らかであるが。

iTunes Music Store を始めとするインフラ(エコシステム)作りは、たぶんそんな壮大な計画の一端であり、iPod に対する囲い込みというようなセコイ考えからではない。いわば、大きな飛躍のための第一歩であり、いつまでも音楽業界だけを見ているわけではないことは、その後の映像および出版に対する展開を見れば、瞭然である。

「自分たちが本当に欲しいと思うものを作る」という精神は、その時点で可能な限りのテクノロジーをつぎ込んで、ある程度コストは度外視しても妥協を許さず、本当に満足出来るモノを創り上げよ、という至上命令に等しい。ファッションブランドと違い、競争の激しいコンピュータ業界のことだから、コストをあまり無視し続けると、NeXT の二の舞いになることは、スティーブも身にしみて分かっていたのだと思うから、あくまでもある程度、である。

だが、万人を満足させることなど、妥協の産物にしかできないことであり、この時点で絶対矛盾が生じる。なぜなら、人々の要求は様々であり、あるものを作り上げて供給しある程度行き渡れば、必ず別のモノを欲しがるという図式がある。

アップルが、iPad を幾ら善かれと思い 9.7インチサイズを選択しても、必ず他のサイズを欲しがる。それは、価格であったり、重量であったり、その時点のテクノロジーの限界があるかぎり、要求にはキリがない。

ドーナッツの穴という表現は、このような理由に基づく見解であるが、それは最初から存在する物ではなく、何かが生まれその結果として現れるものだから、時間的な要素も重要になってくる。

「成長より利潤に価値があり、マーケットシェアは戦略の主たる目的ではなく、成功の結果を示す指標に過ぎない。収益を維持すれば、あと一日は生き延びられる。」というのは生前のスティーブの言葉である。利益を度外視してまで、その穴の中に湧いて出てきたような競合(していると見なされている)他社との市場占有率など、アップルがスティーブの思想に忠実なら、興味を持つとも思えない。 

したがって、iPad mini の仕様や設定価格については、相対的にはリースナブルとは言えないかもしれないが、アップル製品として現時点で執り得る最善の選択肢なのであれば、個人的には納得できる範囲内である。だが、ユーザには別の選択肢があり、何かを引換えに納得できるなら、もちろんそちらを選択することも可能だ。それは、価値観の違いであり、全く議論の余地はない。

作る側の視点と、使う側の視点の違いから生じる問題もある。人は形にして見せるまで何が欲しいのかわからない、という言葉を裏付ける例は、iPod が証明している。

最初は、せいぜいアルバム一枚程度の再生装置であるが、メディアを無くしただけ、容量を多少増やしただけでは主役にはなれない。ましてや、大きく重く不安定なドライブに転送速度も遅いインターフェイスに加えて、ロクなサポートソフトも無いまま、力技だけに頼って作られたミュージックプレーヤの末路を見れば、綿密な計画と周到な準備が必修であることは明らかである。

そのためには、それを実現出来るテクノロジーが確立されないと、アイデアだけでは製品は実現しないし、ユーザに受け入れられない。ユーザ体験(User Experience)を重視すれば、ユーザに我慢を強いらずにすむテクノロジーが必要になり、製品化のタイミングこそが重要な要素となる所以である。

スティーブの「ヤスリ付属7インチタブレット」の話も、その時代に実現可能なテクノロジーに基づく最良のユーザ体験を重視した、作る側の視点からの発言であることを忘れてはならない。これはひとえに、技術的な側面に由来するものである。

今回の iPad mini の発表により、10インチクラスのタブレットが 600g 前後、7インチクラスが 300g という、一つの指標ができた。着目すべきは画面サイズだけではなく、重量という要素も重要な側面を持っている。15インチで 4K2K の iPad だって技術的には可能だろうが、現状で 2kg を超えるようなタブレットは売れない。今すぐ実現できることでも、具体的に望んでいることでもないが、高解像度や大画面に対する漠然とした要求は、必ずある。

仮に、15インチクラスで 300g が実現できたら、次に望まれるのは果たして何だろう。それがポケットに入るようなテクノロジーで実現出来るなら、だれも7インチは欲しがらないし、そんな市場も存在しない。画面サイズ自体が、あまり意味のない物にさえなってくる。

そういう意味では 10インチにしても 7インチにしても、あくまでも今だけの需要であり、全ての製品はいつの時代も過渡期にある。

iMac や MacBook シリーズにも過去どの時点においても、複数の画面サイズが存在したこと、また時代とともに大型化されてきた事実に目を背けて、iPad の画面サイズについて四の五の言う輩は、ただ単に企業間のレースを面白く見せるために騒いでいるだけである。本来そこに、勝ち負けなどありはしない。まだ、ゴールは遥か彼方で遠いのだ。

Retina Display もなく、バッテリーの容量や価格、重量やサイズなど、あらゆる観点からその時代の最良と判断された設計であるからこそ、iPad はあれだけの数が売れたのだ。今ごろになって、単なるネームバリューやブランドで売れたような論調で語られるのは、まことにもって失礼な話であるが、ただ口を開けて待っているだけの連中には、わかるはずもない話かもしれない。

マーケッティングの達人のお言葉と称して、「ドリルを買う人が欲しいのは、ドリルではなく穴である」というのがある。

人の好みは、千差万別、十人十色、多種多様、種々雑多、とバラエティーに富んでいる。また、世の中には無視出来ないほど大多数の、どうでもいい派が存在する。安けりゃいい、軽けりゃいい、小さけりゃいい、とりあえずどうでもいい、という人たちだ。彼らは、テクノロジーや製品そのものには全く興味がない。ただ、目的と手段を履き違えないだけに、手ごわい相手である。 彼らを侮ってはならない。

彼らに高級感を訴えても、エスキモーに冷蔵庫を売りつけようとするようなもので、無駄である。 輪ゴムやガムテープに高級感を求める人は、たぶん少数派であるし、圧倒的にお勤め品がひしめく世間一般を見渡せば一目瞭然である。 コモディティ化というらしいが、日用品レベルまで熟成した(腐り切った?)市場においては、もはや高級品は少数派にしかなりえない。

その限りにおいては、アップルがどんなに丹精込めて創り上げようが、その製品は数の上で絶対に主流にはなり得ない。いや逆にマジになってで作れば作るほど、そのジャンルが一般化すればするほど、普及品によって埋め尽くされるのが現実である。アップルがイノベータを自負するのなら、別のジャンルへと旅立たねばならないタイミングになるだろう。

それが前回の、Mac も含めて本来アップル製品自体、市場で最も多く売れるようなシロモノではないと思う、という根拠になっている。

いくら、iPad がコンテンツを重要視して、使用中には見えなくなるなどと嘯いても、現状でタブレットみたいなモノの購入者の目は、ディバイスをしっかり見ている。それが証拠に、やれスペックがショボイの、画面の解像度がどうのという評価でしか語られない市場であるから、ある意味まだ大丈夫だろう。アップル製品の躍進は、期待していいはずだ。

ま、「自分たちが本当に欲しいと思うものを作る」というポリシーをアップルが崩さないことが、大前提になっているんだけどね。

スティーブならどうしただろうか、などと考える必要はない。そんなことは、アップルの連中が一番よく知っていることだ。(ほんまかいな?←アップル人事異動)

…ということで、ヒトツよろしく。
2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan

[2012.10.30] 朝令暮改 ~より転載&加筆修正

2012年10月27日土曜日

iPad mini の価格

アップルイベント終了直後から、iPad mini の設定価格について各方面でブーイングが起こっている。(とにかく、アップルに対するブーイングが好きだな)

不満を述べる大半は、ライバルと思しき連中の価格を基準に金額の多寡を論じているようだが、それ自体あまり意味がない。安けりゃいいというユーザは、今回の iPad mini の顧客対象になっていないだけだろう。


一方で、スペックの割に高いという意見もあるが、確かに一理あると思う。液晶は高々1024×768 で Retina ぢゃないし、A6X でもないからメモリもそれなりである。だが、アップルがこれでいいと考え、実際に購入するユーザが十分であると判断すれば、スペック自体意味がないし、逆に他社製品と比べてスペックが高かったら、もう勝負にならんだろう。


ま、アップルは価格で勝負する気は、更々無いようだが…。


競合他社にとってアップルの設定価格は、一時の安心材料にはなっただろうが、後が大変だ。もし、大方の予想に反してあの価格で相当数売れた場合、ぎりぎりまで利益を削ってきた低価格市場で、これからもずっと消耗戦を戦い続けなければならない。また逆にさほど売れなかったら、そこには他社製品の市場も存在しないことになってしまう。


このあたりが自ら市場を作り上げてきた者と、後追いを続けている者との決定的な違いになる。市場占有率を論じる場合、アップル対競合製品(複数社)の数値比較が引き合いに出されることが多い。(Mac vs Windows とか、iPhone vs Android などいずれも1対複数の比較である)


定期的に発表される、国内の売上ランキングなどを見ても iPhone や iPod などは、たいていキャリア別、容量別、カラー別など、それはもう涙ぐましいほど事細かく分断され、そこそこレースになっていることをアピールしたいのだろうが、どの方向から見てもそれは結局アップル一社の製品であることに変わりはない。


製造過程における量産効果を考えたら、アップルとその他大勢を束にした比較自体が、意味のないものになる。マスのメリットは、各社単独でどれだけの数が発注できるかで仕入価格が決まるのだから、バラバラに作って結果だけを寄せ集めても効果は低い。


また、アップル製品が他社に比べて高いのは今に始まったことではないし、もしアップルがより安く作ろうと思えば、いつでもできるだろう。それも他社が絶対マネできない、低価格でさえ。(シリコンオーディオの先陣を切るべく発表された、iPod nano の初代では、その低価格にブッ飛んだことをもう忘れているのだろう)


以前にも書いたが、カメラやその他センサーの類いを外して、iPad との互換も考えなけりゃエントリーレベルとしてふさわしいリーズナブルな価格だって実現できただろう。業務用途や教育市場に特化した製品を作ることが目的なら、現状の iPad にはさほど必要のないモノもある。


セキュリティの面から、カメラやカメラ付ディバイスの持込みがが制限されている場所もあるくらいだし、一般ユーザにとっては便利なフォトストリームの機能でさえ、邪魔になる場合もある。なにせ、撮影後に持ち出さなくても、自動的に複数端末に送信されて、企業秘密などいとも簡単に公然の秘密になっちまうんだから。


もし、アップルがその手の製品を作るとしたら、従来の iPad で作り上げてきた客層とは別の市場に乗り出す時だ。今回は経営判断から、それをしなかっただけである。要するに、いずれ参入するかもしれないが、今ぢゃないということだ。(ま、少なくとも今回の iPad mini は、積極的にそういう市場を目指して作っていないけど買ってくれたら嬉しいな、という程度のスケベ心はあるかも)


生前、スティーブの朝令暮改を悪い面としてのみ捉える者が多いが、それは誤解を通り越して曲解ですらある。典型的な大手企業のトップのように曖昧な玉虫色発言をしない上に、露出度が高いカリスマ経営者としての、感情的な発言までを捉えられた結果に過ぎない。


以前、何かの交渉で決裂した時のエピソードに、相当頭に来たスティーブがインタビューに答えて、怒りが治まったら再度交渉のテーブルに付く用意はあるが、それは決して今週や来週ではない、というもの。仏頂面でノーコメントと言うより、遥かに気が利いた表現だと思うが、このようなコメントの一部が強調されたものも多い。


また、スティーブが既存の製品はボロクソに貶すのは、たいてい俺様が作ったらもっと良い物が出来ると考えているからで、iPod や iPhone もそうだったが、7インチクラスのタブレットだって同じである。


タブレット市場と言える物が存在しない時代は、ユーザエクスペリエンスの観点から、最初はより大きい画面にこだわる必要があったのだろう。しかし、ある程度機が熟せば、より軽く小さい物に対する需要が生まれる可能性はあるが、それはまだ先であるとの判断が下されることもある。


そこから短絡して、以前は否定的であったのにどうして、という疑問を抱くバカが多いのには呆れる。イノベータと呼ばれる者は、それを実行に移すタイミングについても、重要な要素となることを知っている。何でも、早い物勝ちとは限らない。


ましてや、アップルがより小型なモデルを投入することについて、他社の後追いに入ったなどというマヌケな論評を目にするが、とんでもない思い上がりである。現状の7インチクラスのタブレット市場でさえ、iPad の 9.7インチによって作り出された、いわばドーナッツの穴みたいなものであり、 iPad がなければ存在しなかったものだ。


iPhone に対抗してでっち上げた、携帯電話の画面を単に大型化したモノと iPad の違いは使ってみればわかるが、使ったことがなければ似たような物に見えるだろう。数の上では、まだそのような潜在的な顧客の方が多い今のうちなら、安けりゃ売上は稼げるかもしれない。が、その顧客が次にも購入してくれるとは限らない。


ただ、Mac も含めて本来アップル製品自体、市場で最も多く売れるようなシロモノではないと思うし、iPod のようにコモディティ化した他のジャンルと同様に、いずれ数の上では普及品が大半を占めることは、自然の流れという気もする。その点では、iPad が君臨する市場というのはまだまだ日用品にはなっていない、ということだろう。


客観的に見て iPad mini の設定価格は高いと思う。たが、個人的には高すぎるとは思わないし、ましてや売れないとは思わない。今までの iPad によって、そういう購買層がすでにでき上がっているから、たぶん相当売れるだろう。


スペックや低価格ばかりをウリにしてきた競合他社は、たはたしてそのような購買層を作ってきたのだろうか?


で、iPad mini 昨日午後4時に速攻で予約入れました、ハイ。



…ということで、ヒトツよろしく。
2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan



[2012.10.27] iPad mini の価格 〜より転載&加筆修正

2012年10月26日金曜日

iMac vs Mac mini

昨年来、旗艦を担っていた iMac 27 (Mid 2011) が、請われて新天地へと旅立って以来、この数ヶ月は MacBook Air 11 (Mid 2011) がその重責を務めてきた。

もちろん、出先などで単機の使用においては十分快適であり、それほど不満があるわけでもない。しかし、外部モニタを接続してデスクトップ機的な使い方をすると、途端に馬脚を現す。如何に Core i7 とはいえ、低クロック(1.8GHz)モバイルプロセッサの能力とメモリ不足に限界を感じる、今日この頃である。

ま、スピードスターに最大積載量を問うような使い方自体に、問題があることは判っているんだけどね…。


MacBook Air の機敏な動作は、内蔵ストレージである SSD に依るところが大きい。ノート型&外部モニタという構成で使用する場合は、どうしても本体内蔵ドライブの容量の問題から、外部ドライブに不足分を補ってもらう必要があり、その場合、全体の処理速度の足を引張るのが、外部ドライブとのインターフェイスである。

iMac 27 には FireWire 800 があったので、それなりに使えていたのだが、残念ながら MC969LL/A にはそれが無い。雷は未だ対応が少なく高価であることから、やむなく USB 3.0 の外部ドライブを調達した。当然、本体のインターフェイスが USB 2.0 なのだから速度はそれに準ずるわけで、現状ではあくまでも将来のための先行投資にすぎない。


2011年当時 USB 3.0 が搭載された Mac はなく、2012年6月の MacBook シリーズが初であり、同時期にアップデートされた Mac Pro でさえ、5つもある USB ポートは全て 2.0 という為体なのは、まことに情けない話だ。(どうせ買えないから、関係ないけど)


で、今回やっと 2012年モデルも出揃い、新 iMac の全貌が明らかになったのを機に次期主力機の選定に入ったのだが、各機種の仕様をつぶさに検証するに従い、あらゆる問題点が浮き彫りになってきた。


まず、期待の大きかったドラフト1位指名の iMac だが、USB 3.0×4 Port は鉄板であるとしても、Thunderbolt×2 Port と引き換えに FireWire 800 が全滅という暴挙である。FireWire など、アップルがお見限りなら即絶滅危惧種認定である。


Thuderbolt からの変換アダプタみたいなものでもあればと思うが、いったいどうするつもりなんだろうか?


加えて、IR Receiver は、…まあよかろう。光学ドライブなんぞ、どうとでもなるからかまやしないんだが、個人的には使用頻度もそれなりにあった、オーディオ入力が無くなり出力のみになっているのが痛い。


[訂正:10/30]Apple iPhoneマイク付きヘッドセットに対応というのは、少なくともアナログ入力には対応しているという意味なのだろうか?う〜む、紛らわしい。

さすがは、先走りには定評のある斬込み隊長 iMac の面目躍如といったところだが、実際問題、現状これでは困る。


(仕事柄手元には新旧含めて Mac は複数台あるんで、メイン機に多少了見の狭いところがあったからといって、目くじらを立てるほどのことでもないんだが、一応ね。)


で、翻って Mac mini を眺むれば、なんだ全てあるぢゃないか。


オーディオ入出力(デジタル/アナログ)を始め、FireWire 800×1、USB 3.0×4、HDMI×1、Thunderbolt×1、SDXC×1、とあの小さな筐体に必要なものは全て揃っている。(愛いヤツぢゃ)


おまけに、発表会場では触れられていなかった、Fusion Drive まで CTO で選択できる。 iMac に比べると Quad-Core i7 のクロックが若干低いのが気になるが、敵は Quad-Core i5 であり、CTO で 2.6GHz までいけば誤差の範囲だろう。GPU は、この際見なかったことにしよう。(う〜む、どこかに落とし穴があるような気がしないでもないが…)


惜しむらくは、今回 Thunderbolt Display のアップデートについて言及されなかったことだ。こちらも、当面 Retina 化は無理っぽいが、せめて USB 3.0、百歩譲って現行機種の価格改定ぐらいは欲しかった。モニタの仕様上近い iMac の価格を考えると、8万越えのモニタに手を出すのはやはり躊躇する。


ま、キー坊マウスの類いは現行流用でコスト削減できるなら、賢い選択ではあるまいか。しばらくは LED 島根24 の老体に鞭打って凌ごう、…という iPad mini の話題で騒然の最中、全く無関係で個人的な、次期旗艦選定の顛末でした。



…ということで、ヒトツよろしく。
2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.10.26] iMac vs Mac mini 〜より転載&加筆修正

2012年10月24日水曜日

アップルの新製品

サンノゼ・カリフォルニア劇場で開催されたイベント、今回はリアルタイムで見ることができた。80分にも満たない短時間に、MacBook Pro、Mac mini、iMac、iPad、iPad mini と多くの製品が、駆け足で発表された。

CEO の自慢話(業績紹介?)に続いて、フィルによるハードウェア紹介、ジョナサンをはじめ各担当部門のバイスプレジデント演じるビデオと、最近では定番になっている構成である。が、あまり面白みはない。


盗用されたリーク情報によって、大半の製品にについてデザインやスペックはおろか、その製品番号や価格までもが事前に公開されているから、ということだけが原因でもない。


ティム・クックの、声を潜めるような話し方も好きになれないが、それ以上にフィル・シラーの要所にタメも無く、ただ淡々と矢継ぎ早に製品紹介をこなす姿勢に、いったい何をそんなに慌てているのか、と苛立ちさえ感じる。


スティーブは、新しいモノを紹介する時それがあたかも自分自身で作り上げたかのように、どうだ凄いだろうと言わんばかりのキメ顔で、その場にいる聴衆の反応を楽しんでいた。で、ウケがよければ本当に嬉しそうな笑顔で喝采を受け、それこそが開発スタッフに対する最大の労いになっていたはずだ。


デモンストレーションも体調が芳しくない晩年を除いて、たいていは自らが行い、操作性の良さや優れた部分については、それはもうしつこいぐらいに強調して、聴衆の失笑さえ買っていたこともある。


周到な準備と綿密に練り上げた原稿があるはずにもかかわらず、時には一瞬考え込んだり、慎重に言葉を選んで自らの(アップルとして公式の)見解を述べたりと、これまで行われた発表イベントの多くが、非常に含蓄に富んだ内容となっていたように思う。


もちろん立場の違いから、そのようなことを今現在のスタッフに望んでも仕方がないことは分かっているが、今更ながらに失ったものの大きさを感じる。


ま、ぶっちゃけイベントが面白けりゃそれでいいってもんでもないのだが、現実が歪曲しない分、製品そのものもなにかつまらないモノに見えてくるから不思議である。(口癖だったブ〜ンが懐かしい)


今回の発表内容も、大方の事前漏洩情報(≠予想)に沿ったものであるだけでなく、iMac などは一年半も待たされた揚げ句、この期に及んでまだ1ヶ月近く待たされることが判明しただけで、結構な脱力感を与えてくれる。


以前も書いたが、コスト的にはタダ同然の光学ドライブを外してなお、ユーザにとってそれと引き換えに得られるモノは何だろうという素朴な疑問に対してのアップルの回答は、エッジ薄さのみが強調され中央部分の膨らみは無かったことにされている、ほとんど詐欺同然のデザインと、ユーザによる増設に関してハードディスクはおろかメモリさえも拒絶する、鉄壁の鎖国仕様である。

[訂正:10/25]27インチモデルに関しては「ユーザーがアクセスできるSO-DIMMスロット×4」という表記をオフィシャルサイトに発見!

Mac mini の例を見るまでもなく、標準で 1TB 程度なら何も無理して 3.5 インチにこだわる必要もないはずなんだが、なぜかスカスカの筐体内部の映像には、いかにも相当な発熱源になりそうな、デカイ内蔵ドライブが未だに鎮座している。また、細かいツッコミを入れるなら、スピーカの開口部の位置が左右で異なるのも気になるが、この辺りも現物に接してみないと判らない。


それでも今回のデザインによって、21.5 インチモデルなどは、9.3kg -> 5.68kg と40% 近くまで、それこそ劇ヤセな軽量化が行われたことは間違いないが、それってデスクトップ機である iMac のウリになりえるの?という疑問は拭えない。


しかし、このダイエットに関連して iPad mini が 308g とフルサイズの iPad に比べて約半分の重量を実現しているのは、正直ちょっと驚きである。(iPad 2=601g iPad Retina=652g)


アルミ製品の設計・製造のノウハウに関しては、長年の経験から手慣れてきたのだろう。その技術は小型軽量化だけでなく、当然コストダウンにも大きく貢献するのだろうが、今回のラインナップに設定された価格政策(国内価格も含めて)を見る限り、残念ながら浮いた分は全てアップルに持って行かれたようだ。


スペックの割に高価格という、かつてのアップル製品の悪い慣習が見え隠れする価格設定というか、価格バランスはいただけない。iPad 2 を併売にするのなら、iPad mini のエントリーモデルはバックカメラを省いてでも、もっと思い切った低価格にすべきだろう。


また、上位モデルにはプレミアム製品の位置づけで高速 CPU (A6X) とか、より高解像度を奢った製品(小さいことがウリの高級モデル?)など、ラインナップにメリハリを付けて欲しい。高価格だがコストパフォーマンスに優れる、所有欲(物欲)をそそる何かをアピールできるモデルだ。


たぶん、アップル的にはコスト面で有利なのだろうが、今回の MacBook Pro Retina でも、単に内蔵ストレージが異なるだけでラインナップを構成しようというのは、あまりにもお手軽すぎて芸がないと思う。


以前、単に色が黒いというだけで高い価格を設定した MacBook ポリカシリーズがあった。ま、自身アレに嵌められたクチではあるが、客観的に見れば素直に納得出来るものではない。そういえば、ステンレススチールのキラキラ iPod shuffle というのにも、嵌められた気がするが…。(たぶん、私の場合は数少ない例外に違いない。)

いずれにしてもアップルは、一般的なユーザに対して有無を言わせず納得できるようなプレミアムな製品の設定が、つくづくヘタクソなメーカであると思う。(う〜む、説得力に欠けるなあ)


個人的に新しい iMac に期待したのは、Retina は無理でもそれなりの解像度アップと、モジュール化された 2.5 インチドライブによるスロット式で、ストレージのバージョンアップがユーザレベルできるような機能だった。そのほうが、デスクトップ機にとって薄く軽量化することより遥かにメリットが大きいことは明らかであろう。


MacPro の為体を見るにつけ、現在のラインナップからは iMac と Mac mini こそが、その代わりを担える製品と位置づけられるものと考えていただけに、Mac mini も含めてドライブ交換が簡単にできない仕様というのは、全くもって不条理である。


現状のコンピュータ関連製品に関して、不具合および故障原因の大半はストレージによるものが多い。それ故、不必要に製品寿命を短くするだけでなく、常に安心して使用できるかという信頼感にも悪影響を及ぼす一因になっている。


ストレージの進歩は目覚ましく、後になればなるほどお買い得になり、低価格で大容量が手に入るようになる。が、いつの時代もそれは決して今ではないというのが現実である以上、購入時に将来のことを考えて先行投資を強いられるのは、あまり嬉しくはない。


そんな、不満たらたらな中にも個人的には最も期待するのは、SSD と大容量 HDD を融合したフュージョンドライブだ。単なるキャッシュではなく、OS によって管理された RAID システムだろうと想像するが、惜しむらくはコイツをオプションでなく標準装備してくれりゃあ、今回の新製品の目玉になったかもしれない。


MacBook Air を使用した経験から、次回メイン機導入のおりは、いっそ容量は割りきって起動ドライブは SSD、保存領域は外部に雷ドライブでもと考えていたが、それを一気に解決してくれそうな予感がする。


で、当面 iMac を見送り、またしても Mac mini に期待を懸けて(賭けて)いるのだが、果たして…。



…ということで、ヒトツよろしく。
2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan

[2012.10.24] アップルの新製品 〜より転載&加筆修正

2012年10月6日土曜日

スティーブの一周忌

世界が悲しみに暮れる中、茫然自失で涙を拭きながら、それでもしっかりと速攻で予約した昨年の iPhone 4S の発表から、ちょうど1年。今日はスティーブの一周忌である。

もうすでに、次代の iPhone 5 を使用しているが、前機種、前々機種の iPhone 4/4S だって下取りに出したわけぢゃない。自身にとって最初の iPhone となった、iPhone 3GS も含めて高機能 iPod として余生を送っている。

おかげで、以前のような新製品発表の度に iPod シリーズを買い散らかす必要がなくなった。

本当にワクワクしながら購入したのは、2009年の iPod shuffle 3rd が最後であり、一般的には人気がないようだが、最もお気に入りの iPod でもある。世代的には、アップルによって元祖 iPod nano と無理やりすり替えられた iPod nano 6th というのが新しい。しかし、初代 iPod touch と並んで発表と同時に、これはぜひ欲しいという激情にかられた、実にインパクトの強い製品だった。この2機種に比べると、2001年の最初の iPod にさえ、そこまでのパッションは感じていなかったかもしれないなあ。…余談である。

最近、iPod も touch 以外は毎年ニューモデルが発表されるわけでもなく、カラバリかマイナーチェンジでお茶を濁すことが多くなり、良く言えば完成の域に達したかに見える。

さすがに今回は、iPod nano に関しても機能を絞ってお勤め品 iPod touch のようなアップデートが施された。一時のような、カメラまで搭載した悪ノリは影を潜め、客層に合わせたモデル展開であり、真当な更新であるといえる。

ただ見方によっては、そんな手抜きともいえる製品と真っ向から対決しなければならない、その他のメーカさんはたいへんだろう。ありとあらゆる趣向を凝らした製品を発表しても、ユーザ側が「面倒だから iPod でいいや」的なノリで選択されたらやってられねえな、と思っても無理はない。

たが、アップルがこんな楽な商売ができるのはある意味 iPhone のおかげである。

凝った機能も先端技術も望めば iPhone がある、割り切れば iPod shuffle があるで、全周囲をアップルに制圧されてしまった感がある市場には、もう大きな隙間はない、手遅れである。せいぜい活気があるのは iPhone/iPod 用に特化された、コンパクトオーディオぐらいか。

アップルは、90年代に逆の立場で Windows を相手に奮闘していたのだから、隔世の感はある。

ま、少なくともスティーブはアップルの創業当時も復帰後も一貫して、他社と勝負しようとか、市場占有率を稼ごうとか下世話な発想はしたことはないだろう。ただ、単に自分が納得できる製品が作りたかっただけだ。だからこそ、市場調査もしないし、結果として時にはピントの外れた製品も作った。しかし、そのピントもその時代に合っていなかっただけで、売れなかった原因は全く別のところにあった様な気もする。

そんなアップルに挑むメーカには、スティーブがそうであったように、世界を変えるんだという気概でもないと、勝ち目はない。いや、端っから勝負にもならないだろう。

アップルは、iPod に対して肌身離さずいつも持ち歩いて欲しい、という願望を実現するためにはどうすべきか。で、人々がいつも持ち歩いている機器に合体させちまえという発想を、コンピュータに対しても同様のアプローチを行った結果が iPhone である。


個人的には、もうすでに電話という機能は数あるアプリケーションの一つでしかないし、携帯電話であるという感覚すら希薄になってしまった。文字通り、世界は変わったのである。

iPad に対しても、アップルの後追いをしている現状では、勢力図に大きな変化はないだろう。iPad の価格政策のおかげで生まれた、お勤め品市場もいずれアップルによって埋められてしまう。もちろん、大手メーカにはそれなりの売上げは見込めるだろうし、市場占有率に関してはトップに立てることだってあるだろうが、イノベーションは望めない。

ま、そんなものを望んでいたのは、スティーブぐらいだろう。今のアップルがどうなのかは、正直わからないが…。(ほんとに 2050年まで続けるならあっぱれだが、間違いに対する謝罪もなく、すぐに2013年に修正してしまうあたりが、セコイ会社だ←iCloud の無料ストレージ)

アップルもスティーブ亡き後、Mac の現状は iPod ほど楽ぢゃないことも、肝に銘じていた方がよいと思うな。
(iMac はいったいどうなるんだろう?)


ぶっちゃけ、いちユーザとしては、アップルのシェアなんてどうでもいい。ましてや、株価や時価総額など、どうなろうと知ったこっちゃない。70年代後半のApple II の時代からからずっと望んでいるのは、何が何でも欲しくなる製品を作りだすことで魅惑し続けて欲しい、というただ一点だけだ。

わーお、スティーブの命日に二本立てだぜい。



…ということで、ヒトツよろしく。
2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan

[2012.10.06] スティーブの一周忌 〜より転載&加筆修正

マップの実用性

前回、地図なんてどうでもいい、てなことを書いたが世間が騒ぐレベルで問題視していないという程度の意味であり、ほんとにどうでもいいわけではない。

たしかに、情報量および情報の正確性に関しては、iOS 6 搭載のマップには問題があり、それ自体ささいな問題でもないだろう。だが実際問題、アプリの実用性なんぞは利用者の視点が変われば、評価は大きく変化する。現時点で騒がれているのは、主に首都圏に住む連中の苦情が大半を占める。

やつらにとっての実用性では、ビルの形やコンビニの場所、果ては地下鉄のホームに至るまで事細かく網羅していないと気が済まないのだろう。いくらカーナビがこの先ずっとまっつぐだといっても、崖から飛び降りるバカはいない。大阪駅が餃子の王将になっていようが、マクドナルド駅やパチンコガンダム駅が存在しようが、現実の駅を見りゃわかるだろうが、と思う。

数の勝負になれば、人口密度の高い地域に住む者の意見が重視されるのは民主主義の基本だから仕方がないが、田舎者にとってはどうでもいい意見も少なくない。

そこで、天下ご免の政令指定都市、岡山市を新しいマップで見れば、3,000m 滑走路を擁する岡山空港は iPhone では「空港大橋」、iPad ではなぜか「岡山空港工業団地」である。どうだまいったか、とドヤ顔で自慢するほどモノでもないが、実用性云々でいえば少なくとも地元の者はそれが紛れもなく岡山空港であることぐらい iPhone に言われなくても知っている。
 
iPhone 5 & iPad (iOS 6)

毎度、田舎田舎と卑下して聞こえるかもしれないが、自分が生まれ住んでいる岡山は結構気に入っている。何をやっても、そこはかとなく漂う半端な感じが、琴線に触れるのかもしれない。
市の中心部が北区にあるというのもユニークだが、その半端さがぱない。共通認識のために、あえて[田舎の基準]というものを、我が町岡山市を例に定義してみる。

ロフトはあるがハンズはない、スタバはあるがハーゲンダッツはない。のぞみは止まるが誰も用事がない、…と徹底的に中途半端路線まっしぐらである。

以前は、コロンビアとボーズ目当てに、明石大橋のふもとマリンピア神戸まで何度か出張っていた。昨年ついに、三井アウトレットパークが隣町にできると喜んだのもつかの間、どちらも出店が無いことにショックを受けたのは記憶に新しい。

学生時代、京都に住んでいた頃の友人の間では、岡山は広島より遠い場所にある県という認識で一致していたし、その後移り住んだ横浜では、その存在さえもがかなりあやしい影の薄い県ではあった。奈良や福井の田舎者に言われたかねえやと、当時は腹を立てたものだが、岐阜県出身の某君など、町内に信号があることを自慢にしていた時代だから、その基準も時とともに変わるのだろう。だいたい、自分自身の北日本に関する地理情報と同様に、関東以北出身の連中に大阪より西の正しい地理認識を期待するのは間違いである、と横浜時代は納得していたものだ。…余談である。

基本的に県庁所在地にアップルストアも無いような町、2050年9月末(笑)までに出店予定もない町は、りっぱな田舎認定である。 

ま、晴れの国岡山、とりあえず天気だけはよい。

本題に戻ろう。

今回、iOS 6 のアップル謹製ホラーマップのおかげで、それまで興味を示さなかった他社製マップアプリを使用してみて初めて、アップル謹製アプリの使いやすさを実感できた部分について、少し考えてみた。

首都圏に比べると、地方都市に住む者は普段車で移動することが多い。スーパーの駐車場が有料であることなど断じて許されない県はであるが、そんな岡山でもさすがにナビゲーションシステムが搭載された車は珍しくない。

が、我が愛車には今時珍しくそんなモノは付いていないし、自慢ぢゃないがエンジンを止めない限りカーラジオだってまともに聴き取れない。不慣れな道で迷った時には専ら iPhone を利用するが、そんな時一番役に立つのは、自分の現在位置がある程度分かることである。

昔々の時代には、車には地図帳を何冊か積んでおいて、該当エリアのページを開いては確認し、おもむろに進路を決定していた。その結果といえば、全く別方向に進んでいたり、予想外のとんでもない場所にたどり着いたりなどという、楽しい経験も少なくない。

主な原因は、現在位置の誤認である。
紙媒体の地図を参照するにあたっては、最低限自分の現在地と方角を把握していることの2点が必修となる。ぶっちゃけ、ここは何処?北はどっち?という基本的なことが分からなければ、地図は役に立たない。

GPSと各種センサーのおかげで、 iPhone で使える現代のマップアプリは、どんなゴミでも現在位置ぐらいはわかる。純粋な実用面で言えば、これだけでも価値はある。さすがに、いまさら地図帳を自炊して持ち歩くような酔狂な輩はいないだろうが、通信機能が貧弱な Palm 時代は、似たようなことをして喜んでいたものだ

ガラケーに対して、スマホと呼ばれる機種が持つ最大のメリットはソフトウェアであり、電話という通信機能によって得られる膨大なデータを生かすもも殺すもソフト次第、というのはコンピュータの基本的な道理と同じである。ハードウェアは、情報処理能力によって快適な環境を提供するための器であるが、どちらが欠けてもその価値は低下する。

Mobile Safari で利用できる Google Map も含めて、多数のマップソフトを試す機会を得たのだが、どいつもこいつも酷いものが多い。見かけ上の地図データは、Google(ゼンリン)のデータを使用しているものもあり、見慣れた感じで安心感はある。また、個人的には Mac で好んで参照することも多いマピオンの地図も図版としては良いのだが、操作性となると途端にお粗末なインターフェイスが露呈する。

使用頻度もそれほど高くないツールやオプションで埋め尽くされ、モバイル機器の限られた画面が有効に利用されているとは言い難い。それはもう、機能のオンパレードで、ピンチアウトやダブルタップズームが使えるアプリでさえ、いまだに拡大縮小のプラス&マイナスボタンを表示しているモノもある。そのくせ、縦横も切り替えられないとか、横画面ではメニューバーとツール類で肝心の地図エリアが極端に狭くなるものなど、ため息がでるものばかりである。

その点においては、以前の iPhone 標準であったマップアプリも似たようなもので、 iPhone 5 より狭い画面で、縦オンリーであったことを考えると、必ずしも旧マップアプリがそれほど使いやすかった訳でもないことに気付くはずだ。

したがって問題は、そういった操作を如何にスマートなインターフェイスで実現するか、が鍵になる。他社製アプリでありがちなのは機能があっても、そこに至るまでの操作がクソすぎるものがあまりにも多い。

端的な例が、ピンをドロップという機能。
アップルのマップでは新旧ともに、右下にページがめくれた部分があり触れるとオプションが選択できる。地図と航空写真の表示切替えなどは、ここにまとめられている。オプションは言わば機能の紹介的な要素として、初めて使用するユーザに分かりやすくするために存在する。オプションで選択もできるが、何かの拍子に任意の場所でタッチし続ければ、そこへドロップされる機能を知ったユーザは、もうピンをドロップするために余計な手間はかけなくてすむように作られている。

新しい3D表示も、派手な Flyover ばかりが批判の対象になっているが、地図画面で3Dを選択すれば、進行方向に対してより遠方が確認でき、画面を有効に利用できるというメリットも生まれている。加えて、以前は方角が北固定であったのに対して、自由に選択できるので移動中の確認でも見やすくなっている。

また、以前は最下行に機能を配置したボタンバーが存在したが、 iPhone 5 では、より広くなった画面をさらに広く使用できるように、地図中にボタンのみを配置するという気の使いようである。

新しいマップをより広い画面の iPad で開いたときウザイのは、どんなに田舎へ行っても情報はスカスカのくせに、国道および県道の番号が画面一杯に、これでもかとしつこいぐらいに表示されることだ。
番号札こんなにいらねえだろ
しかし、これとて初めて訪れた地方で現実の視界、特に夜の林道を山越えで強行突破というシチュエーション(何度か経験済み)では、国道や県道の番号札が頼りという場合もあり、見た目より実用という点においてはメリットもある。(ま、SB 版の場合こんな状況ではいつも圏外、というのがお約束なんだけどね)

[追記:10/07]強行突破といえば、iPhone 購入以前2007年頃のこと、仕事で赴いた埼玉から岡山への帰り道、夜の山道での苦い経験を思い出す。
四日市から京都へ抜けるにあたって、そのまま素直に1号線を亀山方面に南下するのも面白くないので、山越えルートは覚悟の上で国道477号線を選択した。当日、静岡を出てすでに400km近く走行し、もう辺りは真っ暗である。両サイドに振ったフォグランプの光に、時折浮かび上がる道路脇に立てられた国道番号「477」の文字だけを頼りにひた走っていた。が、温泉を過ぎたあたりから、おいおいほんまかいなと思うほど、極端に道幅が狭くなってきた。
走行中、おにぎり型の国道標識番号の確認は怠らなかった。たしかに途中何ヶ所か、標識が生い茂った樹木に隠れていたかもしれないが、それでも「77」の文字はハッキリと認識していたはずだ。ま、どこの地方でも3ケタ国道なんざこんなもんだろう、と高を括っていたら目の前に忽然と現れたモノが、以下の写真である。



おのれ三重県、なんの恨みが…
国道477号線というのはいわゆる鈴鹿スカイラインなんだが、湯の山温泉近くでそのまま道なりに行ってしまうと、その道は県道752号線をわずか500mほど経由して、県道577号線になる。県道の番号標識は国道と違って六角形であるが、夜は蛍光塗料で番号ばかりが目立つ。おかげで疲労困憊の最中、5km以上も後戻りを余儀なくされ、以来三重県には良い印象を持っていない。それにしても、紛らわしい番号を隣接した道路に振って欲しくないなあ。
で、三重県といえば鈴鹿、可夢偉がついにやった。つぎは真ん中だぞ!!…おもいっきり余談である。

実際、国道より広く快適な広域農道というのも地方には多く存在する。地元民はそちらをバイパスとして使用することが多いのだが、地図上では太く目立つ国道に比べて、きわめて貧相な記述しかされていない。その点では、Google もゼンリンも当てにはならない。

また、地元では主要県道は番号ではなく、もっと別の呼び方をしている場合が多いはずだから、せめて番号をタップしたら詳細情報で確認できるようになれば、画面を不必要に煩雑にすることなく、実用性を向上できるはずだ。たとえば、路線モードと地形モードなどのレイヤー切替えで表示させるなど、もう少しそのあたりに改善の余地がある。拡大するごとに詳細データが表示される点など、優れた部分も多いし、適度に整理されすっきりした画面は却って見やすいぐらいだから、今後のユーザからのフィードバック次第では期待できるだろう。

問題は、ストリートビューであるが、これはどうもならんだろうな。倫理面の点から考えても良い子ちゃんのアップルは絶対やらないだろうし、その回答が Flyover なんだろう。どうしても、というならマップアプリとは切り離して、別アプリで実現するしかない。

今回、新しいスタートをきったアップルのマップ、現時点での情報量と正確さでは、いささかの問題はあるとしても、それでは他社製マップはいったい今まで何をしていたのか、と思う。

大半が国内限定の、ごく限られた範囲のデータに基づくもので、正確性には優れるが地域限定のご当地マップに過ぎない。マップ問題が浮上した時に、真っ先にビジネスチャンス到来という見方を示すアナリストもいたようだが、現状のサードパーティアプリの為体を見るにつけ、所詮欠落を補完する程度の隙間商売の域を出ないだろう。

アップルに対抗するためには、まず Google を超えなければ、試合が始まらないことを考えると、あまり期待はできない。願わくば、世界各地でローカルの情報を保有するサードパーティとアップルがうまくタイアップすることだ。それが、ユーザにとって最善で最短の方策だろう。

ただ、よりグローバルな視点から言えば、こと情報量に関して、Google には一日は愚か何年もの長があるが、検索を生業にしている企業の地図は、見かけ上正確に見えても余計な情報を提供したがる。また、それに慣れてしまった現状では、不要な情報さえもが価値を持ったかような勘違いが起こる。いつもウザイと思っている、ダイレクトメールでさえ配信停止を選択した途端に、寂しく感じるアレににたようなものだ。

もちろん、それがあるからこそ無料で提供されているのだから文句も言えないのだが、いちど自らの価値観をリセットしてみないと正しい判断ができないのではあるまいか。

実用性という点でいうなら、なるべくしがらみの少ない、ユーザにとって必要な情報を的確に提示しようとする、アップルのアプローチも今しばらく様子を見てみる価値はあると思うな。 

マップにおける、田舎限定の提言かいな、でした。



…ということで、ヒトツよろしく。
2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan

[2012.10.06] マップの実用性 〜より転載&加筆修正

2012年10月2日火曜日

EarPods その後と iPhone 5 雑感

[MD633J/A] Apple iPhone 5 64GB White

マップアプリがホラーで面白過ぎると、何かと話題沸騰の iPhone 5 (iOS6) であるが、昨年の iPhone 4S と同様に運良く発売開始日にゲットできた。

前回 Earpods の iPod shuffle 3rd 未対応問題に関して書いたが、案の定単体で購入した個体の問題ではなく、iPhone 5 に付属している製品でもやはり動作はしない。

しかし、製品付属のマニュアルおよび、先日からダウンロードが可能になった PDF 版においても、やはり iPod shuffle 第3世代以降に対応と記述されている。

ただのヘッドフォンとしてなら元祖 iPod でも使用できるんだから、わざわざここで対応を謳う必要もないので、当然これはコントロール機能も含めた対応であるはずだが、リモコンは全く反応しない。

だいたい歴代 iPod の中でも唯一、自らコントロール機能を持たない iPod shuffle 3rd に対応しないという仕様は、理解に苦しむ。

もちろん、この件に関しては速攻でアップルのサポートに突っ込みを入れたのだが、1週間におよぶ調査の後にサポート担当者から得られた結論は、現時点ではそういう仕様であるということと、今後のソフトウェアアップデートにより改善される可能性は決してゼロではない、と思う…とのこと。

なにやら全く当てにはならんが、気を落とさずだからといって過大な期待を抱かずに大人しく待っておれ、ということだな。

で、件の iPhone 5 である。

より薄く軽くなったことは手にして最初に実感できるが、冷静に考えれば単に背面のガラスと側面のステンレスがアルミになった分のような気がしないでもない。


だが、画素数こそ変わりがないものの、明らかにノイズが軽減されたカメラ機能、あっけないほど簡単に作成できるパノラマ写真や、画質的に向上した Retina Display など、毎度お馴染のスペックには現れにくい基本機能という点において、着実な進化を遂げている。

サイズ的にそれほど大きな撮像素子を採用するわけにはいかんのだから、無闇に画素数を上げて画質を落として欲しくない。むしろ高感度化よりは、シャッター速度をコントロールできた方がカメラとしては面白いと思う。

話題性のみを求めて、劇的な変化や派手な新機能を期待するアホなジャーナリストや株屋には、面白みの無い製品に見えるのだろうが、実際に使う立場からすれば最も有り難いアップデートである。

巷では CEO の謝罪文が発表されるなど、地図アプリの話題で祭りになっているようだ。ネット上での騒ぎを見るにつけ思うのは、たかが携帯電話ごときの地図ソフトに対して、世間はいったいどこまでの実用性を求めているのか、である。この手の問題は、企業間の政治が絡むに決まっているんだから、一般レベルでどう騒ごうがなるようにしかならない。

個人的には、ハッキリ言って地図の問題なんてどうでもいい。別にティム・クックに言われるまでもなく、勝手に適当な代替品を見繕って使用しているからそれほど困ることでもないし、新純正マップもシムシティを見るような感覚で眺めれば楽しいだけで、いんぢゃねである。

それよりも、久しくアップデートもされていなかった旧純正マップであるが、社外品を使用してみて初めてアップル謹製アプリの使いやすさをひしひしと実感できたのも事実である。iOS 6 のマップ批判も、情報量だけで比較されている現状では、このジャンルで新興のアップルに勝ち目はない。かつて、Mac vs Win で繰り返された物量勝負と同じである。情報量はいずれ増えることによって解決されるが、問題は質の勝負になった時にどうなのか、ということだろう。

何事も最短距離が、最良の道であるとは限らない。自らが理想とする地点に到達するためには、多少の遠回りも必要になることだってあるし、その過程でしか得られない何かが、後々の役に立つことはスティーブも何度か経験していたはずだ。今はアップルがそれを途中で投げ出して、単なる道草で終わらないことを祈るだけだ。

ただ、処理速度で2倍に高速化されたといわれる iPhone 5 をもってしても、3D表示に関しては現時点でかなりムリがある。仮に早期にマップデータが揃ったところで、実用に耐えうるにはおそらく iPhone 7S ぐらいまで待たねばなるまい、というのがチラッと遊んでみた感想である。

アップルも、ユーザのフィードバックが欲しいのなら 同時に Mac 版を出すべきだったろう。そこそこパワーのある Mac なら速度的な面においてもさぼど問題にならないし、データがある程度そろってから iOS に移植すれば開発リソースも効率的に使えたはずである。要するに、Mac ユーザを軽視した現状の戦略に、根本的な問題がある。 

それゆえ、もうしばらくの間は従来の Google Maps と併用できるお試し期間みたいなものを設けて欲しかったような気もするが、アップルもケンカの真っ最中に落ち着けと言われても、聞く耳は持てまい。もう面倒だから、いっそ現金資産があるうちに丸ごと買収してしまえとも思うが、そういうわけにもいかんだろうな。(Google)

今回、2003年の iPod 第3世代以来10年近く採用してきた30ピンのドックコネクタが、裏表のない(厳密にはあるらしいが)8ピンコネクタに変更された。例によってアップル独自のオラが規格なんで、予備ケーブルもまだ純正品しかない上に、当面在庫なしの状態である。

緊急用の外部バッテリーや出先で充電するにも不便なので、然るルートから欧州限定品の [MD820ZM/A] Lightning to Micro USB Adapter というのを入手してみた。

然るといっても、怪しいルートではない。iPhone 5 の発売開始日に前後して、たまたま観光でロンドンにいた娘の iPhone の位置情報からピカデリーサーカスあたりをうろついていたのを発見し、渡りに船とばかりにリージェントストリートのアップルストアまで走らせた結果、である。帰国後、土砂降りの雨の中、予定外のコースを強いられた文句をしこたま聞かされたが、…余談である。

豆粒ほどのチンケなソケットアダプタではあるが、Micro USB のショートケーブルとセットで使用するとなかなか使い勝手がよい。参考上代 £15 という価格も高いのやら安いのやらよくは分からんが、当面サードパーティ製品は期待できそうにないので、いたしかたあるまい。(しかしなんで、国内販売しないのだろう。やっぱこれも、欧州ローカルルールに従った、政治絡みなのかな。)

まだ、これといったマシな対応ケースも販売されていないので、使いにくいことは覚悟の上でスリーブ形式(未使用時の収納が前提で、使うときには取り出すタイプ)にしてみた。不測の落下時におけるショックアブソーバ的効果を期待しての選択であるが、使用時には基本裸族である。

以前は外出時だけ、着けたまま使用できるタイプを常用していたので気にならなかったが、ボディのある特定部分が結構熱くなる。特に出先で長時間 LTE を使用したり、カメラを使用するとかなり熱い。すなわち、金属筐体により放熱しているわけで、あまりそれを阻害するタイプのケースは避けたほうがよさそうだ。

加えて、バッテリーの消費も以前より激しいことを考えると、下手に薄型軽量化するより、大容量バッテリーを奢ったほうがよかったのではあるまいか。

ちなみに、LTE の通信速度は結構早い。SB の幹部連中にとっては、たぶんどこにあるのかさえも認識されていないような田舎町ではあるが、一応市内はエリアには入っているようだ。パケット定額料金も、以前より高めに設定されているので、当然といえば当然であるが、俄然1ヶ月前倒しが発表されたテザリングサービス開始に期待がかかる。

ただ一つ気にかかるのは、これだけの速度なら7GB/月という上限は、あっちゅう間に当たってしまうのではあるまいか、ということだ。はたして、UQ WiMAX を解約してもよいものかなかなか悩ましいところであり、サービス開始後もしばらく様子を見る必要はありそうだ。

以前より消費電力が危惧されていた高速通信やら処理速度の向上など、要するに色々なもの使えばそれなりに電力を必要とするのは、電気製品として当たり前な話である。ガラスより軽量なアルミが表面硬度において劣るのも、いわば交換条件である。

フィル・シラーも言っているように、アルミ製品に傷が入るのは、あったりめえだろうが!…と。

アップルがいくら丹精込めて美しくデザインしようが、気泡だらけの保護シートや傷だらけの上にチープな醜いデザインのケースでそれを隠し続け、2年後にお役ご免となるまで一度も目にすることはない。そういう連中は、たぶん新車のシートのビニールは廃車するまで剥がすことなく、できればワイングラスやジッポーのライターみたいなモノにさえも、やっぱり鉄壁な強靭さを求めてカバーや保護シートを貼りたくなるのだろう、と思うと気の毒なる。

星の数ほどの iPhone 用の保護シールやらケースが販売されているにもかかわらず、いまだに本体に入る傷についてこれほどまでに摂り沙汰される背景には、完璧なモノを求めて止まない人としての性を感じる。いつまでも若く美しいままでいて欲しいと望む気持ちは分かるが、それは所詮叶わぬ夢であることは、どんな人にもモノにも当てはまる。

ま、我が身を振り返っても、自己責任において付いた傷はある程度容認できるが他人に付けられた傷には無性に腹が立つ、という気持ちはあるけどね。

発売開始以来、10日間ほど使用してみた iPhone 5 雑感でした。


…ということで、今月もヒトツよろしく。
2012年10月某日 Hexagon/Okayama, Japan


[2012.10.02] EarPods その後と iPhone 5 雑感 〜より転載&加筆修正