2013年1月11日金曜日

画面サイズのスイートスポット

[MD528J/A] iPad mini Wi-Fi


昨年10月以来、 iPad mini について言及する機会もなかったのだが、今更のように書いてみる。

やれ、レティナでないとか、A6X でないとか、個人的にも一々ご尤もと思えるような不満は、巷でも多く聞かれた。元来、アップルはプレミアムなモデル、尖ったモデルの演出がヘタクソなメーカである。

およそ理想的なスペックなどというものは、端から見ればその時点で実現可能なモノを適当に組み合わせれば実装出来そうであっても、技術的、政策的な問題などで、そう簡単にはいかないのだろう。

何かを犠牲にすれば実現可能であったとしても、アップルの考えるフォーカスエリアから外れていればバランスの方が優先される。特定のユーザからは如何に魅力的に見える機能であっても、不要と判断されたら遠慮なく切り捨てるのがお家芸のようなメーカであり、なかなか希望通りの製品になることは少ない。

かつて、スティーブが全否定した 7 インチ(厳密には 7.85 インチ)サイズだが、それなりに人気はあるようだ。未だにモデルによっては、予約しても2〜3週間待たされるのはザラで、ふらっと立ち寄った店で衝動買い、という状況にはないらしい。

発売開始日に入手して2ヶ月近く iPad mini を使用してみて分かったことは、確かに軽くて持ち歩きには最適な iPad であることは間違いないが、その主たる理由は重量であり、決して画面サイズではないということだ。

もちろんサイズの点でも小さいことは歓迎であるが、それは使用していない(運んでいる)時だけで、使う時は(当たり前だが)大きいほうが良い。といっても、バカみたいに大きけりゃいいってもんでもない。

以前、27 インチ画面を前にしながら、文章入力にあえて MacBook Air 11 インチモデルを使うというようなことを書いたが、どうも画面サイズに関しては、そのシチュエーションによってスイートスポットがあるような気がする。

20インチ以上の画面が威力を発揮するのは、やはり複数ウィンドウを参照しながら、平行作業を行う必要がある場面だろう。全体のバランスも掌握しておきたいが、時として資料のディティールまで検証したい場合、やっぱ大画面による作業効率は捨てがたい。

しかし単一作業、たとえば文書作成に集中したい場合や、リラックスして文章を読みたい場合などは 15 インチさえも必要なく、10 インチ程度で十分である。個人差もあるだろうが、新聞を1メートル以上離して読むような人がいないのと同様に、一度に視野に入り処理できる情報量はある程度限られる。

専ら PowerBook 17 インチを購入していた時代は、その当時の画面解像度から必要とされる情報量が、そのサイズを選択させていたようにも思える。いまや、その情報量は 15 インチ以下で得られるようになり、iPad Retina でさえそれを遥かに上回る時代だ。

加えて、網膜ディスプレイの名の通り、視力の限界を超えてしまえば後は目から距離と視野角のみが、その最適サイズを決定づける要因となりえる。

したがって、もし重量を全く無視できるレベルまで技術革新が進めば、視聴距離が 50 センチ内外のタブレットのようなディバイスにおいては、おそらく対角 12 インチ(2560×1600)程度が落着きどころではあるまいか。持ち歩きが前提のモバイルディバイスもポケットに入る必要のないものは、たぶんベゼルレスを前提とすれば、9 インチ前後で実現できるはずだ。

実際、自宅や会社において、手近に 9.7 インチレティナがあればわざわざ 7.85 インチに手が伸びることはあまりない。7 インチサイズというのは、あくまでも現時点で実現可能な技術的問題(主に重量だな)から、脚光を浴びているように思える。

この点においても、やっぱりスティーブは正しかったと言える。要するに、フルサイズの iPad が iPad mini 程度の厚さや重量になれば、個人的には間違いなくそちらを選ぶ。仮にこの先、iPad mini Retina が発売になっても、この印象はたぶん変わらないだろう。

業界では競合他社とのシェア争いに関連して、矢継ぎ早に発表される技術革新をいち早く製品に反映させるべく、更新頻度を高めることに肯定的な意見が多いようだ。だが、アップルのシェアなど、製品を購入したユーザにとってはどうでも良いことだ。

まいど、自社製品の需要に対する供給という点において万全とは言いがたい企業である。にもかかわらず、今後ロクな供給能力も確保できないまま、安易にラインナップを増やしたり、新製品への更新期間を短縮したりで、購入した製品が短期間で現行ライン落ちになるようでは、ユーザの購買欲はあまり湧いてこないと思う。

ちなみに余談であるが、パチ物生活に嫌気が差して、20年来愛用し先日止まってしまった時計を、ついにオーバーホールした。慣れというのは恐ろしいもので、腕から外した当初は真直ぐ歩けなかったぐらいである。

で、大枚と引換えに外装も新品同様にピカピカに磨き上げられ、やっと我が右腕の定位置に戻ってきたのだ。その重量といえば、俄に信じ難いことに iPhone 5 より 20g 以上重たいのだが、これほどシックリくる感覚も他にない。

コモディティ化が進んだ腕時計などと異なり、所詮、使い捨てのハイテクディバイスなど、2〜3年もすれば産業廃棄物になるようなモノでしかない。そんな製品に過大な期待をすること自体、大きな間違いなのは十分承知している。しかし、低価格化が進んでいるとはいえ、それを使用していく上でユーザが支払う総額は、決して安いものではない。

少なくともアップルが、デザインや満足度をウリとして販売戦略を展開するのなら、中途半端な製品で更新頻度を上げるより、せめてもう少し長きにわたって使用しても、満足できるような製品開発を望みたいもんだな。


…ということで、ヒトツよろしく。
2013年01月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2013.01.11] 画面サイズのスイートスポット 〜より転載&加筆修正


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