2013年3月27日水曜日

更新のモチベーション

前回、サーバトラブルの状況報告のみで、2月分の更新ということにしてしまったのだが、なんと気がつけばもう3月も終わりが近い。

年度末だから忙しいというわけでもなく、いや実際この時期ヒマだったら飯の食い上げなんだが、単にアップル関係のネタにモチベーションが上がらなかっただけで、結局は我が身の怠慢がおもな理由だ。

アップルだって、もう3月が終わろうという時期に至ってさえ、年明けから新製品は出ていない。円安に便乗した値上げを一発かましただけであり怠慢といえば相当に怠慢であるから、みんなアップルが悪い、アップルのせいである。


ま、言い訳にもならないが、だいたい iWeb での更新なんざ「顔本」や「さえずり」のように、思いつきだけで「今何してる〜」ってなノリでチョコチョコッ、というわけにはいかないんである。おのずと長文・大作になるようなネタでも無いかぎり、筆が、もといキーボーが遠のくのは私のせいではない。(と、思うな)


で、そんなアップルのことは放っておいて、全く関係(無くもないが)ないデジカメネタで、書いてみる。


小学校もまだ低学年の時代に、カメラと写真を数多い趣味の一つとしていた父親より半ばムリヤリ買い与えられたフジペットEE (ネオパンSS、70mm/F11という暗いにもほどがある、壮絶な機種である)から現在に至るまで、ブランクはあるにせよ、何らかの形でカメラには親しんできた。


自ら積極的にカメラにに興味を覚え、そのついでに(ついでかよ)写真にも目を向けたのは中学生になってからのことだ。中学、高校当時 PENTAX SP で相当数撮りまくったはずなんだが、その写真はなぜか現存するものは皆無である。ハードとしての PENTAX SP は未だに棚の中に鎮座するのだが、それで撮った中高時代の写真は見事に一枚も残っていない。


成人したのちに撮影したものは、父親の葬儀の後遺品をかたづけている最中に何枚か発見された。が、大半は父親の撮影したものであり、自分で撮ったものはほんの数枚程度しか発掘されていない。


昭和40年代、一眼レフは相当な高級品であり一般庶民はよほどの趣味人(かつ道楽者)でない限り、そう頻繁には買い変えない。そのせいか、PENTAX SP はその後父親が買い足したボディ SL と広角・望遠レンズとともに十年以上の長きにわたって、我が家の(主に親父の)メインカメラとして君臨してきた。


学生時代、親元を離れての生活が始まった頃は、口には出さないものの、そこはかとなく漂う父親の拒否反応に配慮して、PENTAX を持って実家を出ることはしなかった。別に凝りはなかったので、新たに購入したキャノンオートボーイでお茶を濁した。


ただ、こいつは、一眼レフに比べると十分に軽く手軽に写真を撮ることができたので、さほどカメラに対して思い入れはないにもかかわらず、相当な枚数の写真を残してくれた。既に大半は、ネガからフィルムスキャナによりデジタル化したので、現在も iPhoto で見ることはできる。


そういえば最近、紛失していた中学の卒業アルバムを友人に借りて、スキャンしやっと iPhoto のライブラリに追加することができた。いや、なつかしや。


我が家では、夫婦揃って同じ中学の、同じ年度の、しかも同じクラスの卒業生でありながら、二人とも紛失しておるのだからいい加減にも程がある、のである。


80年代には、Olympus OM-2 を使っていた記憶もあるが、当時はビデオカメラ(撮像管の時代)の方に興味が移っていた頃でもあり、あまり印象には残っていない。(VHS-C やベータ、8mm など、テープメディアだけは大量に屋根裏に眠っているが、もう見ることもないだろう。その再生手段さえもう手元には無いしな)


最後のフイルムカメラは、無謀にも90年代初頭に購入した CONTAX T2 である。当時ベルビアの発色の良さに惹かれて撮った子供の写真が、何枚か iPhoto アルバムに現存する。バブリーな時代の余韻が感じられるが、長くは続いていない。なにせ、昔の写真機および写真趣味というのは、あとから結構金がかかるので、庶民が下手にハードに全力投球すると、先細りになってしまうのは致し方あるまい。


90年代も半ばを過ぎると、デジカメの時代がやって来る。が、やってきたのは今ではお笑い草の、せいぜい切手サイズ程度の写真がやっとな、オモチャの大群である。(アップルも参加したな)


ハッキリ言って、当時入れあげていたビデオカメラのキャプチャ画像と大して変わらない画質であり(三管ならビデオの圧勝だ)、まだ町の写真屋連中がデジカメを鼻で笑っていた時代だ。


マビカにはさすがに手を出さなかったが、それでも初代の Cybershot DSC-F1 から F3 まで、その後の DSC-F55K から F77、F707 までの全ての機種を買い漁ったものだ。コンピュータとの親和性から、面白がって購入していたのだが、当時はカメラ屋(光学屋)が作るカメラより、電気屋の手による製品の方がマシだったように記憶している。


あくまでも写真?みたいなもので、プリントして見ることは滅多に無い。プリンタもまだまだで、お勤め品のインクジェットでは到底ムリ、せいぜい高価な昇華型プリンタがそこそこマシな出力を見せていたが、写真印刷のために個人が購入するシロモノではなかったように思う。


とりあえず、パソコンモニタで見る分には費用もかからず、お手軽な趣味のひとつとして結構楽しめたものだ。


フィルム時代には写りも含めて、写真の画質そのものに対して気にしていなかった。モノクロ時代と違い、カラー写真になってからは現像からプリントまでのプロセスを人任せにせざるを得ない事情も、多少は影響していたように思う。


ただ、その頃は業務用の高価なフィルムスキャナも扱っていたので、あのお粗末な、ビデオの延長にしかない画質には正直腹が立った。それほど高級なカメラでなくとも、その写真の画質は、デジタル写真にとって画質の到達点の指標とすべき存在であったろう。


しかし、その後の APS から現在に至るフィルムカメラの凋落は、抗うことのできないデジタルの波に押されてご存知の通りであり、デジカメの進歩には目を見張るものがあることも事実だ。


黎明期のデジカメに対して幻滅するのは、その画質も然る事ながら、使っていて最も腹立たしいのはシャッターに対する反応速度だ。


そうでなくとも、ヘタクソが撮る写真である。当時の書き込み速度の遅さから、セカンドチャンスは絶望的な上に、ファーストチャンスまで逃していては、まともな写真になるわけがない。(もちろん、数多い言い訳のひとつである)


デジイチに興味を持ち始めたきっかけは、そんなシャッターの反応速度に不満が募っていた2005年頃に、たまたま店頭で見かけた Olympus E-300 に触れる機会があったことだ。


売れ筋のニコ・キャに比べると、そこそここなれた価格で並んでいるオリンパスとたまたま目が合ったのである。その時まで、デジイチの背面液晶が被写体を表示することもままならぬなどとは知る由もなく、シャッターの反応速度には感心したものの、「まだまだやのう」としたり顔でその場は立ち去った。


その後、後継の E-330 でやっとライブビューが実現されたのだが、今度は逆にあのサイズのカメラをファインダーを覗かないスタイルで撮影するマヌケぶりが気になりだしたりして、皮肉にもまたまた購入には至らずという、世の中なかなか上手くいかないモノである。やっぱ、何事もタイミングというのは重要な要素を持っていると思うな。


で、結局またまたその後の2007年の E-410 までデジイチ購入のタイミングは訪れることはなかった。E-410 もたまたまホームページ掲載の写真を埼玉まで撮影に行く、という仕事上の都合があったおかげで購入に至ったわけで、純粋な趣味としてという観点からすれば、結構邪な理由でしかない。


キットレンズとしては、そこそこの写りと評判な ZUIKO Digital 14-54mm/f3.5-5.6 という広角ズームに加えて、ZUIKO Digital 40-150mm/f4.0-5.6 の望遠ズームとのセットである。


その価格帯からして、あくまでも入門機であるが、ハナクソ程度の撮像素子にムリヤリ高画素を詰め込んだ凡百のコンデジに比べりゃ、そこそこマシな絵が撮れる。


購入前、ネット上に披露されている作例の数々を見る内に気になりだしたのが、木の葉などの暗部に乗るノイズも然る事ながら、トッピンカンに晴れた空にさえも、盛大にノイズが表出した写真の多いことだ。


なんで、こんな何にもないところにノイズがでるのか、明確な理由は理解できなかったのだが、どうも高画素の影響で撮像面のピッチが小さくなりすぎて、感度が落ちた分を電気的に持ち上げる時の影響らしい。


それ以外にも、構造上必要不可欠な各種フィルタの影響もあって、一筋縄ではいかないそうだ。それならせめて撮像素子をデカくするなり、画素を減らすなりで対応すりゃあいいだろうが、と思うが…。ま、商売上の海より深い事情もあるんで、とりあえず画素が多いほうが営業上有利なんだろう、画質なんかよりもね。


その後、調子に乗って激安中古で手に入れた E-620 の画質を見るにつけ、たった2割程度でも画素が増えたことによる悪影響を感じざるを得ない。デジカメサイトなどでは、旧機種からわずかながら画質が向上したような評価で一致しているようだが、どうも眉唾な気がしてならない。


白飛びを恐れて露出アンダーな写真を量産するばかりで、RAW データから現像する程でもない写真に対して、採用枠が極端に狭まってしまった。少なくとも個人的なライブラリを見るかぎり、E-410 の方が撮って出しの JPG でも十分に使える、明快な写真が多いのである。


最近ネットで見かけたハッとするほど奇麗な写真の Exif データを見ると、2004年発売のニコン製のブサイクなコンデジだった。その画素数は、たった200万画素にすぎないのだが、それでもハイビジョンモニタの画面を一杯にする程度のサイズはあり、画面上で見る写真としては十分成り立っている。


それどころか、(それは、小高い丘をバックにした庭の写真なんだが)草木の結構細かいところまで解像しており、最近の高級コンデジの写しだす遠景の樹木が綿菓子のようにボケた、巨大な汚物写真より遥かに美しいのだ。


以前、携帯電話の高画素カメラがお笑い草であったことは書いたが、最近の iPhone が写しだす写真は、バカにできないレベルにあることは確かである。用途によっては、即使い物になる写真をお手軽に量産できる点において、これはこれでリッパなもんである。ハードだけでなく、ソフトウェアとの総合技術の賜物、といっても過言ではあるまい。


しかし所詮携帯、カメラとして遊べる要素が少ないのが残念であり、絞りはムリでもせめてシャッター速度だけでもコントロールできれば、その世界はもっと広がるハズなだけに惜しい。その点玩具レベルでもデジイチは撮る者の意思が(たとえそれが、間違っていても)反映されるのは、面白いと思う。


最近流行りのミラーレス一眼(レフは無しね)も、以前から気になっていたどうみても不安定極まりない、ファインダを覗かないその撮影スタイルから敬遠していた。買えもしないが、各メーカのフルサイズ機に搭載されたペンタプリズムの、広く明るいファインダ像を見てしまうと、撮像素子の小さいフォーサーズ機のファインダは情けない。そういう意味では、ミラーレス一眼はフォーサーズにとって、生き残りを賭けた最後の砦なのかもしれない。


ま、今のデジカメ業界は二強のやることが全て正しく、その他のメーカはその後追いをやるしか生残る(生存える)道はないのだろうが、業界の心配などいちユーザがしてやることでもあるまい。


せめて、手元にあるオリ機に中古の35マクロでも奢ってやるか、てなことを考えていた矢先に、とある作例写真に遭遇したのである。といっても、もうずいぶん前の話で、たぶん半年ぐらいになるだろうか。


もちろん、二強でもなく、フルサイズソニーやパナライカでもない。当然、ペンでもオリであるはずもなく、マイナー度ではズバ抜けたメーカのそれは、デジイチでもない地味なコンデジに過ぎない。


しかし、その写真が…。

つづく。

…ということで、ヒトツよろしく。
2013年03月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2013.03.27] 更新のモチベーション 〜より転載&加筆修正


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