2013年8月29日木曜日

デジタル時代のカメラの進化

懲りもせず、またもやカメネタである。

カメラがデジタルになった時、まだフィルムは今より元気だったし、デジアナ入り乱れてつい最近(といっても、6〜7年前かな)までは、玉石混交の時代を通ってきた。

現在主流のデジカメ撮像素子のサイズの元になった、APS (Advanced Photo System) というフィルムの規格も、昨年あたりに終演を迎えたようだ。

自身最後のフィルムカメラである、CONTAX T2 を買った頃にはまだ無かったが、その後の CONTAX Tix では採用された規格であり、いわゆるハーフサイズなフィルムを使用する。従来のフィルムに対して、数多くの便利な機能を持っていたが、昔から画質面でハーフサイズというのはあまりイメージが良くない。

オーディオ業界でいうLカセットみたいなもんで、どちらもさほど価格的なメリットが大きかったワケでもない点や、大ヒットしたわけではないところも、ちょっと似ているような気がする(いや、似てないか…)。しかし、DAT や Hi8(8mm)、MD よりもマイナーなイメージがあるから、やっぱLカセットだろう。

いまでこそ、35mm フルサイズデジカメもいろいろな種類が選べるようになってきたが、フィルム時代は積極的に選ばない限り、フルサイズが当たり前だった。APS も本当に画質面でデメリットがあったのかどうかは、使ったことがないので知らないが、たぶんイメージで損をしていたのだろう。

その点、デジカメはいきなり 35mm フルサイズからスタートしなくてよかったと思う。ま、高価すぎて営業政策的にムリがあるだろうが、進化の過程にある電子機器でもあり、サイズの問題は技術面でなんとかなるという目算も合ったに違いない。撮像面が小さくなったおかげで、レンズ設計は楽になり高画質をより低価格で実現できる結果にもなっていると思う。

かつて、カメラ、レンズ、フィルムという三位一体で写真撮影という趣味が成り立っていた時代には、フィルムの存在が永遠であるかのような前提が、暗黙のうちにあったはずだ。

もちろん、その先の DPE、フィルムの現像(development)焼き付け(printing)引き伸ばし(enlargement)をすることも、時代と人によっては趣味の延長であっただろう。今なら、RAW 現像、カラープリンタ(大判プリンタ)、大型モニタ観賞などがそれにあたる。

モノクロ時代はさておき、カラーフィルムになって以来この DPE に関する作業は人任せにせざるを得ない時代に比べると、現在はコンピュータのおかげでより個人的な趣味としての範囲が広がった。

トリミングやカラー調整などを始め、編集・加工・レタッチなど思いのままであるし、その結果をネットで公開することで、より多くの人の目に触れる機会を作ることは、今では比較的簡単にできる。

従来は、大きく引き伸ばしてパネルに設えたところで、せいぜい自室に飾るぐらいしかなかった個人趣味も、見てもらえるかどうかは別として披露する手段を得たことによるメリットは計り知れない。

しかし、そんなネットに公開された写真をわざわざプリントして見ることはない。よほどの写真好きでもないかぎり画面が最終的な結果であり、それが全てであると言っても過言ではあるまい。プロの撮ったリッパで素晴らしい写真でさえそうなんだから、他人のましてやアマチュアの写真をよほど気に入ったとしても、個人的には印刷まで持っていくことは少ない。

とはいっても、ネットで見かけてハードディスク上に保存されたお気に入り写真は、アマチュア作品と思しきモノが大半を占めるので、好きな写真に関しては、プロ/アマの明確な違いは無いように思う。強いて言えば、カタログなどの商業写真とそれ以外ぐらいの区別だが…。

にもかかわらず、未だにカメラメーカがプリントされることを前提にカメラを設計・製造していることに違和感を覚える。目前に拡がる広大な風景をL版にプリントして何が面白いのかわからない。

いや、それさえも個人の趣味だから別にケチをつけるつもりはないのだが…。たまに我家の駄猫たちをプリントしてみることもあるが、画質に対する優先順位は決して高くないし、動機はもっと別のところにある。

フィルムの存在が永遠ではないという事実が、カメラの存在に及ぼした影響と似たようモノは、他の業界でもそれほど珍しいことではない。

アナログオーディオの時代には、レコードに対してそれと同じような幻想を抱いていたからこそ、高価なカートリッジやトーンアームに大枚つぎ込んでいたのだと思う。

当時の写真に比べたら、現像の手間もなく手軽に見ることができるという理由でビデオに突っ走っていたころは、アナログテレビや NTSC が永遠に不動の規格であると信じていなけりゃ、やってられないほど熱くなっていた。

バカである。決して後悔はしていないが、やっぱりバカであるとしみじみ思う。

今ではもう装置が無いので再生もできない、VHS やベータ、8mm などのテープメディア。映画など画質の面で既に見る気は失せているし、いずれ再生もできなくなるであろう DVD や CD などのディスクメディア。音質や使い勝手の点で、未だにコンパクトディスクを完全に駆逐してしまうものはまだ無いようだが、もはや時間の問題であることは明白である。

買い散らかした大量のメディアを前にして、そんなことを考える。

デジタルになって、フィルムが撮像素子に置き換えられた時、それはカメラ本体と切り離しては考えられない存在となった。

将来、高画質化が一段落して規格化が進めば、撮像素子の交換などということもできるようになるかもしれない。しかし、光学機器というよりも電子機器として側面が占める割合が大きい現在のカメラ本体に、はたしてどこまで将来的な価値を見いだせるのかはいささか疑問だ。それは古いコンピュータが持つ価値と、たぶん大きく違わないだろう。

昨年、SIGMA DP Merrill シリーズが発表になり、現在は DP3 Merrill までの三台がラインナップされている。以前は、三兄弟全部買いなど到底考えられないことのように感じていたが、そんな所業でさえ真当に見えてしまうのは自分自身の価値観の変化だけでなく、時代の為せる業と言えよう。

少なくとも、カメラと撮像素子を一体のものと捉えるかぎり、レンズとカメラの関係は、以前と同じではなくなっている。過去フィルムの品質向上に努めてきた努力の歴史が、デジカメの登場によりある意味リセットされた現在、デジカメの進化は未だ道半ばであり、まだまだ画質の向上に努めるべき時期にある。

高性能で高価な交換レンズを所有したところで、その性能に見合う撮像素子を持ったカメラに、その進化の過程で巡り合う可能性はそれほど高くないし、第一線で使用できるのはそれほど長い期間でもない。一瞬のタイミング、と言ってもいいくらいである。

実際、野外で撮影している時にレンズ交換ほど面倒なものはない。天候が悪けりゃなおさらで、ボディを交換した方が早いし、シャッターチャンスの面でも有利である。環境が許せば、2〜3台並べて撮る方が遙かに楽で、精神的にも落ち着いて撮影に専念できる。

三脚などの比較的製品寿命の長い写真機材と異なり、電子機器としてのデジカメの進化は想像以上に早い。3年も経てば、古い機種の写真はかなり見劣りする。

2〜3台並べて撮るとしても、あまり世代がかけ離れた組合わせは現実的でないことを考慮すれば、レンズと撮像素子が最適化された同世代の Merrill 三兄弟など、現時点では理想的な存在である。(ま、DP2 Merrill はまだ持ってませんがね)

そんな時代に、ありもしない将来を見越して投資するほどバカなことはない。明日は来るとは限らないし、明るい日である保証はないのだから、フォーカスポイントをあまり遠くに置いてもしかたがない。ことデジタルに関しては、今がよけりゃいいんである。

姑息なキリギリスの生涯こそが最も理想的な生き方(逝き方)に違いない、と確信する今日この頃。


…ということで、ヒトツよろしく。
2013年08月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2013.08.29] デジタル時代のカメラの進化 〜より転載&加筆修正

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