2014年12月8日月曜日

十月の忘れ物と井原線

今年も、押し迫ってもう師走である。

12月に入った途端に、何やら冬らしく寒くなってきた。本来なら、如何にも季節感溢れる写真などを公開したいところだが、無い袖は振れない。

先月も、定点観測以外でこれといった写真は撮れていないし、こうも寒くなっては外に出るのも億劫になりがちである。

新しい写真機材でも手に入れば、浮かれて撮影行にも出掛けるところだが、シグマには全く期待できそうにないし、前回のミニ三脚程度ではあまり力も入らない。

そんな時は、大人しく以前撮った写真の整理やら、忘却の彼方へ葬られてしまった未現像のデータを掘り出してみたりする。

で、季節外れも甚だしい、言うなれば忘れ物シリーズみたいなもんである。

十月中旬、例によって気紛れから井原線沿線、主に清音から矢掛、小田方面に赴いてみた。

そのほぼ全線が高架橋の路線である井原線に、さほど興味があったわけではない。だが、幼少のおり親戚の家に連れていかれた時に見た矢掛線の面影だけが、未だに脳裏に焼き付いている。

それは60年代初頭、小田川の土手に近い祖母の妹が住む実家から眺めていた、井笠鉄道の微かな記憶である。

旧国鉄と同様の、かつての岡山臨港鉄道や今も現役で運行されている水島臨海鉄道などの狭軌(1067mm)とも異なる、軌間 762mm の特殊狭軌の軽便鉄道だ。

1967年(昭和42年)には全線廃止となっており、50年以上昔の記憶を頼りに小田川の土手を走ってみても、もうその想い出と結びつくような景観は、残っているはずもない。

親戚の婆ちゃんといっても、父方の親戚には縁遠かったので、それほど頻繁に訪れていたわけでもない。なぜ記憶に残っているのか、不思議なぐらいである。

自家用車もまだない時代だから、たぶん笠岡から井笠鉄道本線経由で来たに違いない。したがって、矢掛線にも乗っているはずだが、そちらの記憶は全くない。

しかし、小田駅に近いその家の裏庭から小田川の土手に上がり、矢掛線の鉄橋を渡る鉄道車両を見ていたことだけは、今でも鮮明に覚えている。

井笠鉄道矢掛線鉄橋跡というのもあるそうだが、残念ながらそれらしいものは確認は出来なかった。だいたい、50年も経てば余程の文化遺産でもない限り、大抵のモノは風化して跡形も無くなってしまうのだろう。

井原線も、せめてコンクリでない場所を探して三脚をセットしてみるのだが、そう都合よく列車が通ってくれるほど過密なダイヤでもない。

まあ、それでも天気は良いので、用水路沿いの畦道にノンビリと座り込んでみた。周辺には、まだ刈入れが終っていない田圃も多く残っており、午後の日差しに柿の実が眩しい光を反射している。

脇の小路を、自転車に乗った若い女性が通る光景をぼんやりと眺めながらカメラをセットしていたら、思わず彼女と目が合ってしまった。

いつもは透明人間のつもりでいるのだが、他人様から見ればそんなわきゃあないので、視認されてもなんら不思議なことではない。

だが、髭面にサングラスの怪しい風体で、カメラを携えた不審者などに声をかける者は滅多にいない。せいぜい、無意識のうちに行ってしまった迷惑行為に対して、注意を促される時ぐらいだ。

そんな相手に、ガン飛ばすようなマネは普段ならしないのだが、この時はなぜか目を逸らすことも出来ず、思わず凝視してしまった。

自転車を降りて、にこやかな笑顔と共にこちらに近づいてくる彼女を見てもなお、俺なんかマズイことしたっけかという不安の方が頭を過った。

昨今の社会情勢から、まさかこの田圃は禁煙ですとか言われるんぢゃあるまいかと、慌てて咥えていた煙草をもみ消したが、携帯灰皿を車に置き忘れていたことに気付いて、更に慌てる。

何撮るの? 列車待ってるの? それどこのカメラ?と、立て続けに質問されるが、どうも日本語が怪しい。

どうやら、タイの出身で近所に住んでいること、キヤノンの EOS 70D だか 7Dだかを愛用しているらしいことぐらいは、なんとか理解できた。

なんだカメオタなら万国共通、話は早いわとばかりに、お互いの多少辿々しくも流暢な日本語と、全く怪しい英語を駆使して会話を成立させようと試みる。

だが、日本語が話せることと、相手の言うことが理解できることの間には微妙な差違があるようで、こちらの稚拙な英語力と、敢えて言うなら半端な国語力の所為ばかりでは、たぶんない。

ぶっちゃけ、言いたい放題の彼女に対して、DP Merrill の特徴を解説するのはそう簡単ではないし、少なくともシグマ製カメラについては、その存在すら全く知らなかったようだ。

この点においては、東南アジア諸国に対するシグマの企業努力が、全く足りていないと思うな。

彼女、虫を撮るのが好きならしく、芋虫が蝶になるまでを観察しながら、接写で写真に記録しているらしい。

ムシ、カワイイヨ〜と言われても、俄に同意できないので、はあそうですかとしか返答できない。そんなところも、ノリの悪い野郎だと思われたに違いない。

小田駅を 14:34 発(331D)の列車が通りかかった時にこそ中断したが、その後も初対面でありながら、日本人相手ではこうはいくまいと思えるほどに、カメラや写真談義に花を咲かせたのである。

その後、柿の写真を撮っている内に思いついたのだが、そう言えば昨年も撮った建部の柿の木、今年はどうなっているのかが気になりだした。

もっと話していたかったのだが、ここからだと結構距離もあるので、夕方の日差しがあるうちに現地到着を期待して、その場を離れることにした。

まあ、そちらの方は結果的には全くの期待外れであり、こんなことなら日暮れまでどっかと小田川あたりに腰を据えて、楽しい会話を続けていれば良かったと後悔したのであるが、…。

国民性の違いか、こんな怪しげな親父にも、気軽に話しかけてくる警戒心の無さに少し不安を感じながらも、我ながら内心はとても喜んでいたように思う。

別れ際に、あんまり美味しくないけど渋くはないよ〜と、土手の柿の木からよく熟れた柿の実を一個取ってくれた。

その柿も、普段口にするモノに比べて十分に美味かったように思えたのは、彼女の気さくな人柄が影響していたに違いない。

初秋の井原線沿線と、なかなか快活で麦藁帽子がよく似合う、タイランドのお嬢さんでした。


…ということで、今月もヒトツよろしく。
2014年12月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.12.08] 十月の忘れ物と井原線 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

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