2015年4月29日水曜日

原付撮影行、其の弐

昨年、7月以来の原付撮影行である。

といっても、今までにも何度か原付では出掛けているのだが、とりたてて公開するほどの写真が無かっただけで、これが正味の二回目というわけでもない。

今月の前半は、あまり天気にも恵まれず定点観測以外の写真は、せいぜい桜ぐらいしか撮れていない。非力な原付と、もっと非力な撮影者の組合せでは、その撮影行も極々近場に限られるのは致し方ないところである。

せめて、単車の方にもうちょっとパワーがあったら、多少なりとも写真の方にも良い影響が期待できるのではないかと考え、今月の締めとして画策したのである。

今回は、少し大きめな原付を調達して山陰方面にまで足を延ばそうかと考えのだが、結果的には以前の「スーパーいなばと因美線」と同様、乗り鉄気分遠足気分の反省も何処へやらで、またもや撮影もそっちのけでツーリングに終始するという為体である。

日常の足として、また第3の営業車として活躍しているヤマハのジョグ・ポシェは、2サイクルエンジンということもあり、50cc としては割と活気に満ちた走りをする。だが、如何せん小排気量の悲しさで、あまり遠方へのお使いには、少々心もとない。

今回の撮影行の足としては、もう少しパワーに余裕のある車種を借り受けることにしたのである。で、調達したのは、なんと排気量1200cc のハーレーダビットソン。排気量差では、あまりにも極端な選択だが、手近に借りられるモノが、たまたまこれしかなかったというのが実情なんである。

幼少よりの友人の一人である、某商店主H氏がハーレーダビットソン(XL883R)を購入したのはもう十年ぐらいの昔話で、その後はタコみたいなモノにぶら下がって空を飛び回っていたらしい。それだけでは飽き足らず、最近はなにやらスーパー7まで手に入れて、遊び惚けているという話をもう一人の友人K氏から聞いていた。

ちなみに、そのスーパー7は電装関係が火を吹いて、現在入院中らしい。これに比べりゃ、ポロの故障なんぞ可愛いもんだと思えてしまう。だが、どうもこういった変態性に富んだ車や単車を基準に物事を判断すると、ロクなことにならないのは明らかである。気をつけよう。

その悪影響か、今年還暦を迎えたK氏までもが、こともあろうに似たようなモデルの1200cc 版を最近になって購入したという、そんな自慢話を披露しにやって来やがったのである。

ご両人とも、清貧に喘ぐ私と違い裕福な遊び人なんで、若い頃には遠慮していた様々な我慢がここにきて一気に暴発、ブッチ切れたようである。もう死んでも構わんわい、という覚悟で老体にムチ打ってまで行う暴挙に、人事ながら呆れ返っていた。が、ここはひとつ渡りに船ということで、そいつを借り受ける話がまとまったのだ。

その週は天気にも恵まれているので、K氏が生涯を通して入れあげている趣味の釣りに出かける日、すなわち単車も空いている日に合せてスケジュール調整を行った。前日である木曜日の午後、会社から 20km 少々あるご自宅まで愛車を借り受けるべく、我原付ヤマハジョグで出掛けたのである。

その小さなボディサイズの割に、ジョグ・ポシェにはけっこうな収納力もある。それに比べると、その巨大な車体には荷物の収納スペースは皆無に近いらしい。

一応、タンクバッグみたいなものは用意してくれるらしいが、およそカメラや機材が入るスペースは望めない。そこで、事前に振分け荷物のような形状のサイドバッグを今回新たに調達するという念の入れようで、我ながらかなり舞い上がっていたことが窺える。

しかし、実際にはそのサイドバッグを固定する、ゴムバンドをひっかっけるところさえないので、リヤサスやウィンカーのステーまで利用するしかないのだ。もともとのコンセプトからして、買物用の単車として設計されてはいないので、必要なモノは各自でカスタマイズがお約束になっているらしい。

基本的な操作手順などに関する、レクチャを受けて帰ろうとした時、H氏から連絡があったかと聞かれた。どうやら、明日の撮影行の話をH氏にチクられたようで、同行したいという申し出らしい。くそ〜、折角一人で落ちついた撮影が出来ると喜んでいたのに。

そんな不満の表情も悟られぬよう、その場で電話してみた。案の定、なし崩し的にH氏の同行が決まってしまった。あろうことか、明日の釣行がキャンセルになったので、K氏まで同行したいと言い出す始末である。

おいおい、いくらなんでも、老人のタンデムツーリングは頂けないぞと諭すが、自家用車でサポートしてやるから、連れて行けと言って聞かない。もうお互い若くもないし、何かあったら骨ぐらいは拾ってくれると言うので、承諾せざるを得ない。

どうも、昔から何かイベントを計画する度に、必ずといっていいほど参加したがる連中である。ガキの頃から、その傾向は全く変わっていないようで、以来50年以上に渡って腐れ縁となっている。

そんなこんなで、まるで介護車付きの情けないツーリングに成り果ててしまった感はあるが、2台のハーレーダビットソンとマツダ・アテンザによる原付撮影行、山陰ツーリングが決定した。

ここ最近、大型バイクにはそれほど興味もなかったし、ハーレーダビットソンの各モデルには全く疎い。よって、詳しいことはまるで知らないが、ノーマルマフラーではかつてのハーレーサウンドは得られないそうだ。

そこで、K氏も爆音マフラーと称されるモノに交換したらしいが、あまりの煩さに堪兼ねて、少しばかり静かになる消音器を入れたという。それでも、かなりの音量で深夜の帰宅には相当気を使い、遠方で停めて押して帰るという力技も敢行するらしい。

冷静に考えれば、それって自分ちの近所だけにしか配慮してねえし、もっと言えば、てめえの評判のことしか考えてねえんぢゃね?とも思ったのだが、あえて口にはしなかった。実際に乗ってみると、かなり静かになったとはいえ、その気持ちも分からんでもない音量である。

翌日、実家のワン公の散歩を終えた午前7時頃、集合場所である駅西口に近いH氏の自宅へ向かった。平日であるその日、駅周辺には通勤通学の人も多く、2台のハーレーが発する爆音に、突き刺さるような冷たい視線を感じながらの出発だ。

当日持ち出したのは、DPM 三姉妹とシルイのトラベラー、マンフロットのミニ三脚だけで、いつもより少ないとはいえ、合羽や水筒の類いを何とかサイドバッグとタンクバッグに振分けてやっとである。シルイのトラベラーは収納できないので、リヤフェンダーにテールランプに引っかける形で縛りつけた。

当初、ソロツーリングなら因幡社駅あたりでスーパーいなばを狙い、その後山陰本線から大山のリベンジも計画していた。だが、俄に還暦介護ツーリングの様相を呈し始めたので、急遽倉吉方面への廃線ツアーに切替えた。

我々の年代にとって、ハーレーダビットソンといえばイージーライダーであり、チョッパーと呼ばれる、異様に長いフロントフォークとアウトローなライダーの組合せが脳裏に浮かぶ。ぶっちゃけ、その程度でしかないのが悲しい現実で、世のハーレーファンからは石を投げられそうな、まことに地を這うような低い見識である。

早朝というほど早くもないが、朝晩はまだ肌寒い季節でもある。もう一枚、着込んで来なかったことを後悔しつつも市街地をぬけて国道53号線を北上し、空港近くの広域農道を走る頃には、晴れ渡った青空に寒さも忘れる。頭の中には、ステッペンウルフのボーントゥビーワイルドが流れ、気分はもうピーター・フォンダかデニス・ホッパーなんである。

この1200cc もあるVツインエンジン、アイドリングでゆっくりとクラッチを繋げば、ごく自然に発進できるし、発進時のトルクは強力で、低速域からグイグイと引張る。その感覚は、かつて乗っていた直4のCB750 や、V4の VF750 などとは全く異質な迫力がある。

停車時のアイドリングで伝わる振動は、車体全体を震わせて、まるで生き物であるような錯覚さえ覚える。これぞ発動機の爆発といった趣に、最新のハイブリッドなんぞのハイテクでは絶対に味わえない、時代錯誤な快感が蘇る。特に、2〜3速でのフルスロットルで発せられる音と振動は、何物にも替えがたい魅力に溢れている。

しかし、パワーバンドは意外に狭く、タコメータもないので詳細は不明だが、4速からずいぶんと離れた感のある5速は、80km/h 以下ではあまり実用的ではない。

一般公道においては、3〜4速でないとノッキングを起すような感じもあり、低速でノンビリと走るアメリカンなイメージがあったのだが、どうやらそういうもんでもないらしい。それでいて、高回転はあまり得意ではなく、けっこう扱い辛い頑固な特性だ。

デザインを優先したようなガソリンタンクも、容量的には12リッター程度しか入らない。市街地走行では、ほんの 150km も走ったら、残量の警告灯が点灯する。5速が有効に使える、空いた田舎の県道あたりなら、リッター20km 以上にまでは伸びるらしいが、それでも満タンで300km は少々キツイ。安心して走れるのは、せいぜい 200km 前後だろう。

よくもこんなもんで、あの広大なアメリカ大陸を走っていたというのも、俄に信じ難い。また、悲しいほどバンク角は無く、特に左コーナーではいとも簡単にサイドスタンドが接地する。この手の単車の性格上、ある程度は予想していたのが、これほどまでとは思わなかった。

そんな、馬に跨がったような感覚で、H氏の先導により吉備中央あたりまで、一気に駆抜けた。その間、写真は一枚も撮れず、最初の給油地でやっと iPhone による、この日の一枚目が撮れただけである。

事前に危惧されてことではあるが、本来撮影行のつもりだったこの計画も、やっぱそうなるよなあといった感じで、半ば諦めぎみである。走っている分には十分楽しめているから、まいっかであるが、朝飯食うのもも忘れて北房あたりでやっとコンビニおにぎりにありつくまで、空腹さえも吹っ飛んでいた。

何処をどう通ったかも分からず、勝山あたりからやっと国道313号線に入り、湯原をぬけて犬狭峠(いぬばさりとうげ)である。この峠を超えると鳥取県に入るが、やっと気温も上がり始めて、冷えきっていた体にも暖かみが戻ってきた。

と思ったのも束の間、県境付近のトンネルに入ると、おいここは冷凍室かというぐらい寒い。中でも、犬挟トンネルはなんと全長2,626m もあり、早くぬけようと飛ばせば寒いし、ゆっくり走れば拷問が長く続くという犬狭、もとい板挟みなんである。

道の駅犬挟で、やっと DPM を取り出してスナップ撮影。こんなことなら、DP2M オンリーで三脚も不要だった気もする。これの何処が、撮影行なんだろうという疑問も感じるところではあるが、考えてみればこのメンバーでのツーリングはたぶん35年振りぐらいではあるまいか。

そんな爺臭い懐かしさもあって、当初の目的は暫く忘れることにして、今現在を徹底的に楽しむことにした。独りだけ、介護車の運転手に徹して少々不貞腐れ気味のK氏に比べると、H氏のはしゃぎ様には呆れ返るほどで、そんなハイテンションをこの歳まで維持できるからこそのハングライダー、その後のスーパー7購入と続くのだろう。

関金から山守へ向かう県道45号線沿いには、其処彼処に旧倉吉線の面影が散見される場所もある。だが、あまり勝手な単独行動も許される雰囲気ではない。小鴨川にかつてあったろう鉄橋付近で、なんとか主導権をとって撮影をする事にした。

写真や鉄道に興味もない連中と同行した時点で、というより互いに、車や単車に興味を持つ古くから付合いであることが災いして、ある程度想定内のハチャメチャ振りだから、それも致し方なしなんである。

山守駅跡、といっても全く跡形もないので、近くの郵便局で尋ねてみた。局員と思しき中年男性が、わざわざ表にまで出てその場所も詳しく教えてくれた。

また、その場所さえ分からず適当に写真を撮っていたら、付近の建設現場に居られた工事関係者の方からも、かつての山守駅の様子や、自分自身も高校時代に通学で利用していた話まで聞かせて貰うなど、予想外な地元の親切に触れることとなった。

何で予想外かと言えば、我々の風体と迷惑千万この上ない、その爆音を撒き散らすアウトローな単車達である。普通なら、シッシッシッと野良犬のように追い払われても文句は言えないところで、尋ねたこちらの方が恐縮してしまうぐらいだ。(映画の二人は射殺されたしね)

せめて、駅名標ぐらいは撮りたかったが、それはひとつ手前の泰久寺駅あたりまで戻らなくては叶わないようだ。気分はもう、大山方面に向いている他の連中を付合わせるのも忍びないので諦め、桝水高原スキー場まで走って昼食をとることにした。K氏などは、もう大山蕎麦と大山おこわで頭が一杯らしい。

その途中、県道45号線の直線区間では、我儘を通して iPhone による動画の撮影だけは敢行した。できれば、走行中の映像も欲しいところだが、ハーレーのぱない振動には iPhone の手振れ補正も期待できない。それ以上に、固定する機材もない状態では到底無理な注文である。

桝水高原スキー場では、高原定食というのを頂いた。標高なりの価格と、観光地ならではのサービスの悪さも想定内ではあったが、ロクに味も覚えていない。これは個人的な見解に過ぎないが、たいへん天気も良かったこともあり、たぶんそのへんの地べたに座ってコンビニ弁当でも食った方が、遙かにマシだったろうと思うし、独りならそうしたに違いない。

ま、そんな無粋なことを言うのも大人げないので、その場で記念撮影などしながら、絵になる大山を期待して溝口あたりまで行ってみることにした。

しかし、晴天で山頂にも雲もかかっていない大山ではあったが、期待したほどの景観が得られる場所など、今日はノンビリ探すような自由度もなさそうだ。また、この日は多少上空が靄っており、あまりクリアな空でもないので、順光となる場所から何枚か撮ってみるが、これといった前景もないので絵的には様にならない。

やはり、これほどの山になると、あまり近過ぎては面白くない。画角こそ広角でなけりゃ収まらないが、遠方から望遠で遠近感を圧縮するからこそ迫力が出る。その上、麓の拡がりや前景があってこそ、その雄大さが伝わるというものだろう。

このあたりのことに至っては、そんな絵心もない同行の連中に納得させるのは至難の技であり、そこまでの拘りを見せても、せいぜい小馬鹿にされるのがオチであるからやめておいた。

帰路となるルートを決めるにあたって、さすがに介護サポートに飽きたのか、愛車のお目付け役も兼ねていたK氏は、高速を通って先に帰ると言い出した。これ幸いにとばかりに、H氏とハーレー同士だけで、もう少し地道を走り回って帰ることを主張。その場で、別れることになった。

根雨から国道180号線を西へ、伯備線沿いの県道8号線に向かうことにしたのである。時間があれば、備中神代からそのまま県道441号線経由で県道33号線を南下して、矢掛から清音を通って帰る計画もあった。だが、あまり無理をしても不味かろうということで、備中神代からは新見経由で素直に国道180号線を帰ることにした。

それならせめて、通りがけの駄賃で布原に寄ってみるのも一興と考え、こちらが先導することとなった。もう、お約束となっている布原駅前の橋の上での記念撮影も行い、ついでに以前から気になっていた、河本ダムへ抜ける林道へのアタックもチャレンジしてみることにした。

ミニでは途中で挫折したのだが、二輪車ならなんとかなるべという軽い気持ちだったのだが、まあ結果は玉砕である。途中、落石に関する警告はあったが、まさかこれほどまでとは思わなかった。

ただ、意外だったのは重量がある割にオフロードでの取り回しにも、それほど苦もなくこなせるハーレーの操縦性である。おそらく、低い着座位置による足つき性が良いことが、功を奏しているように思う。

その所為で、ついH氏が止めるまで、林道を奥深くまで攻込んでしまったぐらいだ。かつてのハスラーやバイソン、ビッグホーンなら、いや現行モデルでもヤマハのセローあたりなら、そのまま強行突破も可能であったかもしれないが、なにせ総重量270kg 近い鉄の塊である。挫折後の狭い林道でのUターンは、二人がかりでも結構苦労する。

あわよくば、県道33号線へ出られればラッキーと考えていたのだが、結果的には国道180号線に押し戻された格好で、予想したこととはいえ、その後のチンタラ走行は苦痛意外の何物でもない。極付けは、総社市街に入ってからのとんでもない渋滞である。

這う這うの体で、なんとか国分寺方面へ逃げようと試みたのだが、県道270号線へ出るまでにも、若干の紆余曲折はあった。このあたりは、色々と差し障りもありそうなので、割愛しておこう。

その後は、駅方面へ帰るH氏と別れて砂川沿いの土手を走るが、すでに夕方のラッシュ時間に入って裏道という裏道も車で溢れ返っている。いつもの原付なら、渋滞などさほど気にもならないところだが、そうでなくても図体のデカいハーレーではそう無理も出来ないので、ここはヒトツ大人の対応で臨まねばなるまい。

そんなこんなのすったもんだで、なんとか無事に帰れたことは途轍もないラッキーだったろう。全行程トータル 400km 以上に及んだ、還暦ツーリング(介護車付)の顛末でした。

おかげで、翌日は8時間以上爆睡、起きても体の節々が痛む今日この頃である。寄る年波には勝てぬ年齢も、とうに過ぎていることを実感した一日ではあるが、これほど楽しめる日もこの先そうはないだろう。


そう言えば、K氏によると今度はスーパー7も交えた、三つ巴ツーリングを計画しているらしい。

普通なら、出先で疲れりゃ誰が楽チンな4輪車に逃げるか、でモメる展開だろうが、スーパー7の場合は全く逆になるという。おいおい、やれやれ、…である。


…ということで、来月もヒトツよろしく。
2015年04月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2015.04.29] 原付撮影行:其の弐 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

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