2014年3月23日日曜日

鉄撮りの練習:其の五(サンライズエクスプレス、他)

まいど、お馴染の鉄撮りの練習イマイチシリーズ、である。

会社から実家へ向かう道程には、機関区や電車区など多くの鉄道車両を見ることができる場所があり、たまに珍しい釜でも入っていないかと寄り道することもある。

以前、勤務していた時はもちろん、その後も含めてそのような現場で写真撮影をしたことは滅多にない。

機関区時代も、レクの宴会で酔っ払いに囲まれた写真ばかりで、現場の機関車などが写っている写真は数える程しかないし、管理局に移ってからは鉄道関係の写真など、見事に一枚も無いのである。

鉄道車両にもその写真にも、別に興味がなかったわけではないが、何となく眺めていればそれで満足な気がしていた。

また、いつでも実車が目の前にある時は、取り立てて写真にしてまで見ようとは思わなかったのだろう。

今までは被写体として見ていなかったのだが、最近は少し見方が変わってきたようで、特に走っている姿に何となく惹かれることが多い。


ただ、構内で停まっている車両は、風景の一環として捉えるならアリだが、個々の車両に関して特別に撮りたいと思ったことはない。例外は、285系寝台特急ぐらいのものである。

それさえも、走行中の絵が満足に撮れないことが、ヤケクソ気味のストレス解消に転化していただけで、前回の笹ケ瀬側橋梁における撮影や今回の幾つかの写真を見ていると、そのような確信を得るのである。

ぶっちゃけ、アフリカのサバンナで撮るライオンと、動物園のそれみたいな違いがあると思うのだが、たぶんそれも個人的な勘違いかもしれない。

人の好みもその時々で変化するし、視点が変わればモノの見え方も変わるので、あまりあてにはならない。

かつてヒマな学生の頃、飛行機のプラモに入れあげていた時期がある。下宿人同士、何人か集まっては気に入ったモデルを購入し、ワイワイ言いながら作っていくのだ。プラカラーや接着剤の異臭を放ちながら、時には別の方向へ脱線することもあったりするが、これが結構楽しい。

製作対象は時期によって、または言い出しっぺの好みによっていろいろなジャンルに及ぶので、必ずしも飛行機ばかりとは限らない。また、全体に統一されたジャンルが定まらない場合は、各人が好き勝手なモノを作ることもある。

だが、ある程度方向性に共通点でも無いと、今一つ盛り上がりに欠ける場合が多く、協調性のない輩はハネにされる。

そのジャンルも、戦車だったりオートバイだったり、時にはゼンマイで自走する自動車だったりと非常にバラエティに富んでおり、まるで一貫性はない只の気紛れ、暇潰しの一環でしかない。

特に盛り上がるのは、ゼンマイ自走の車の場合である。完成後はお約束のように、下宿先の廊下の端から端までの行程でレース開催が必至となっており、完全に勝敗が決着するまで、必死で参加することが強要される。

何時の時代、何処の世界にもジャイアンやバーニー・エクレストンのような奴は居るもので、たいていの場合仕切り屋の出場車両が破損等により、走行不可能になることでイベントは終了する。したがって、完成したモデルの製品寿命は、極めて短い。

そんな、しょうもない行事をキッカケにして、イベントなどとは無関係に独自に作り始めたジャンルに飛行機があった。

ジェットありレシプロあり複葉機ありで、大は二式大艇やアブロランカスターから、小はソッピースキャメルやポリカルポフまで、時期によって多少偏りはあったものの、デフォルメされた漫画のようなヒコーキまで、ありとあらゆるモノに手を出していた。

ただ、幼少の頃より誰でも作ったことのある、ゼロ戦や隼などの直球では面白くないので、若干変化球に終始した傾向はあったかもしれない。

購入した製品にはたいてい、飛行状態と着陸時の引込脚を出した状態が選択出来るようになっている。作り始めた当初は、完成後には置物になるし、付属している部品を余らせるのも勿体無いと考え、着陸時の状態が多かった。

だが、次第に完成品の数も増えて、狭い下宿先の部屋に置き場がなくなってくると、苦肉の策で天井から釣り糸で吊り下げる方法になっていく。こうなると、絵的にどう見ても脚は邪魔にしかならず、以降は飛行状態がデフォルトになっていった。

また、レベルかモノグラムか記憶は定かでないが、このデフォルメシリーズが幾つかあった。スピッツファイヤとかメッサシュミッツェルなどというふざけたネーミングとともに、パイロットの頭のデカさもぱない爆笑モノである。

付属の撃墜マークのデカールには、敵機だけでなく味方の撃墜も含まれるという凝りようで、そのデフォルメの仕方も、ハセガワのたまごシリーズみたいな安易な丸め方ではなく、オリジナルの特徴を捉えながらも上手く漫画チックに変形されていた。

製作には至らなかったが、ジービーレーサー(Gee Bee)など、情報の少ない時代に最初に見た時は、てっきりこのデフォルメシリーズに違いないと思い込んでいた。前述のポリカルポフも似たようなモノであるが、まさかあんなものが実在し空を飛ぶなどとは、…余談である。

九七艦攻や九九艦爆の隣にトムキャットやプラウラーがぶら下がっている様は、さしずめ時空を超越したファイナルカウントダウンのようでもあり、時代考証やスケールの統一もあったもんではない混沌の空域だ。

就寝時に天井を見上げると、其処彼処に飛んでいる状態の飛行機が目に入るのだが、不思議とパイロットになる夢は見たことがない。操縦よりもメカ的なフォルムや設計思想などの方に興味があったからかもしれないが、高いところがあまり好きではないことも影響していたようにも思う。

ちなみに、佐貫亦男の「ヒコーキの心」シリーズは、その頃からの愛読書だったりする。

当時からの友人の一人は、パラグライダーかセイルかは知らないが、今でも老体にムチ打ちながら凧のようなモノにぶら下がって、実際に空を飛んでいるらしい。

ま、趣味趣向は人それぞれだが、ここで超々私的な意見を述べることが許されるなら「バカぢゃねえのか、落ちたら死ぬど!」と、云っておこう。

模型など、今では作る根気も時間もそれにかける情熱も無いので、遠ざかって随分久しいが、たいへん懐かしく思う。

しかし、今思うと特にスケールモデルという奴は、モノをあらゆる面から観察するにはお手軽で良い。身近に実物を拝める機会が少ないものは、シミュレーションの一手法としては、かなり有効だろうと思う。

鉄道車両でこそなかったが、自分で作るより遙かにマシでお手軽な完成品もあったりするので一時期手を出しかけたが、置き場も無い上に数がまとまればそれなりに高価にもなることで、主に経済的な面から挫折した。

最近では、コンピュータグラフィックスによる3D画像などが、それに相当するのだろう。しかし、未だ模型屋からそのようモノが製品化された話は、寡聞にして聞いたことがない。

いずれは、そのような製品も販売されるようになるのだろうが、一部に人気の高いフィギュアなどに比べたら、手触りの感触や質感のない画像では如何に立体を演出しても、今一つ満足できないかもしれない。

そういう意味では、撮影対象に直に接することができるなら、模型を作った時のようにあらゆる角度から眺めることで、より良い写し方なども分かってくるに違いない。

前回までは何度かに渡って、やれメリハリを付けろだの構図を工夫しろだの、撮り方に対していろいろと自分なりの反省点を述べてみたが、根本的な問題は、そこに到達する遙か以前の過程にあるような気がしている。

要するに、被写体に対する観察が足りないということであり、何も見えてねえ節穴をなんとかせよ、という問題というか課題である。

お粗末な液晶や、多少マシな光学ファインダがあったところで、構図を決定する最終的な段階ならまだしも、目の前に超高解像度な実物があるにも関わらず、最初からそんなモノを通して全てを写そうなどとするからイカンのだろう。

いうなれば、撮影以前の問題であり、カメラが無くてもフレーミングできるぐらいにその画角を自分自身の標準とする、という教えの中にもヒントがある。

ま、そんな入門書にでも書いてありそうな程度のことが分かったところで、ぢゃあ実際具体的にはどうするのとなると、どうしようか?となってしまうのだが、…。

そのための、一連の流れで行われるべき過程のひとつとして、被写体となる対象をあらゆる角度から観察するしかない。ある時は見渡し凝視し、そしてぼんやりと眺めるのである。

そのうちに、何かが見えてくる…、のかな?

いやまあ、ますますの精進と自己研鑽が必要ということだろう。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年03月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.03.23] 鉄撮りの練習:其の五 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

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