2014年5月22日木曜日

鉄撮りの練習:其の拾壱(姫新線)

とどまるところを知らない、鉄撮りの練習シリーズ第十一弾である。

前回は、つい地元のローカル線ということで、公共交通機関のあり方にまでツッコンでしまい、上からな御託まで並べるという不似合いな雑談に終始してしまった。

あくまでも趣味としての写真なので、自分の撮る写真にはあまり余計な色は付けたくないと考えている。

ぶっちゃけ、ここの写真を他人が見てどうこうという期待は全くしていない。そういう意味では恥知らずにも、平気でいられる自己中心派である。

ま、それでもちょっとは上達したいとは思う。いろんな意味で…。

前回、智頭急行線の撮影でたまたま通りがかった姫新線の上月駅では、記憶にあった姫新線のイメージとは、随分とかけ離れた印象を受けた。

時代が変われば、路線の周りの環境も変化するのは、ごく当たり前のことではある。だが、変化と呼ぶにはあまりにも大きな違いに違和感を覚え、その確認のために訪れてみたのである。

言うなれば、侘・寂シリーズ鉄道版みたいなモノだ。

結果的には、岡山県側では路線周辺の環境変化も、許容範囲に収まることが分かったのだが、その過程を辿るうちに別の違和感のようなものも感じたのである。

田舎のローカル線を撮る場合、個人的な趣味でいえば、まことに不便極まりない閑散とした風景の方が、絵的にはより魅力的に見える。単なるレトロ趣味なのだろうと思うが、自分自身の中にある記憶の片鱗が、そんな状況に少なからず影響を及ぼしているようにも思う。

幼少の折、母親によく茶屋町の婆ちゃん(母の母)の家に連れて行かれた。孫の顔を見るのが嬉しいらしく、よく小遣いもくれた。

もちろん、幼児に現金を持たせるようなことはしない良識ある親なので、その殆どは母親に取り上げられ、残りの一部で何か子供騙しなモノを買い与えられ、誤魔化されていた。(たしか181系特急こだま号、先頭車両のみのオモチャは記憶にある)

要するに、孫をダシに小遣いをせびりに行っていただけなんだが…。

母親の実家でもあるその家屋には、屋内にトイレは無く裏庭に面した壁際に設えてあった。そのトイレ本体も地面に大きな瓶を埋めて板を渡しただけの、非常にシンプルな構造である。その脇には、落とし紙と称されるちり紙が僅かに積まれており、風で飛ばされないように乗せてあるが印象的だった。

また、ドアのようなものは全く無くて僅かな衝立があるだけの、たいへん開放的な作りであったので、臭いにも対しても開放的であり、そこら中にその香りを撒き散らしていた。

風呂場も別棟の離れのような建物にあって、冬場はその移動だけでも結構おっくうになる。そのせいか、お湯の温度は自宅で入るものよりかなり高めの設定が為されており、ゆでダコ状態で母屋に帰るのが、この家の仕来りであった。

ま、設定といっても、どんどん薪を焼べるだけであり、唯一許可される火遊びでもあったので、わりと喜んでお手伝い(邪魔)をしていた。

その構造は、いわゆる五右衛門風呂と呼ばれるタイプであり、一見用途不明な丸い木製円盤が浮いていた。最初は、てっきり少し小さめな風呂の蓋であろうと考え、それを取除いて風呂釜に入って泣きだしたことがある。もちろん、火傷とともに忘れることのできない記憶として、脳裏と両足に焼き付いている。

当時は、自宅の風呂も同様の形式ではあった。だが、祖父(父の父)が創意工夫を凝らして、同じ木製円盤でも底に鉄板を貼付けて、浮いてこない設計であったらい。したがって、その存在理由を知ったのは、件の火傷を負った後であることは言うまでもない。

母親は、今少し当代風に改築する事を何度となく勧めていたようだが、五人兄妹もその殆どが既に家を離れていたせいもあって、婆ちゃん本人はあまり気乗りはしていない様子だった。

その家に対するカルチャーショックは、家屋の構造だけに留まらない。

台所に相当する場所は、竃(かまど)が二連で構成された土間であり、勝手口といっても玄関横の通路だが、その反対方向の端には北側にある川へ降りる階段がある。ここで何度か、婆ちゃんが米を磨いだり洗濯をする姿を、その横でカエルの足を餌にザリガニなど釣りながら、目撃したことがある。

野菜が植えてある庭の畑に撒く水も、わざわざここから汲んで、桶に溜めては庭まで運ぶという、力仕事も日課のように難なくこなす。前述のトイレに溜まっている内容物とともに、その畑に肥やしとして撒いていた。

電気や水道が無い訳ではないが、純粋な飲料水としての目的以外、要するに洗濯や洗い物など、使用後捨ててしまう水に関しては、主に川の水を利用していたようだ。

季節を問わず、雨戸も閉めずに室内の電気をつけることは悪しきことと教えられ、日が暮れたら早めの就寝がデフォルトになっており、夜更かしなど以ての外である。冬場の就寝時には、雨戸という雨戸は全て閉じられ、電気を消したら何も見えない、本当の真っ暗な異次元空間が作られる。

逆に夏場は全ての窓が開かれ、そのかわりに蚊帳を吊る作業が追加される。もちろん、蚊が入らぬよう消灯することが前提で、お約束のブタの陶器は縁側に置かれて、蚊取り線香がいかにも夏らしい香りを放っていた。

当時婆ちゃんは、某国営鉄道会社の保線区に勤めていたので、朝は相当早く午前四時を過ぎた頃には、その雨戸も開け放たれる。まだ、外が暗いのにいったい何が始まるのかと、興味津々で布団の中から眺めていた。

前日の夕方、庭で薪を割っていた姿は見ていた。で、当然手伝わされたが、風呂焚きにしては随分と多い量であった。やおら、大きな釜を竃に載せたと思ったら、薪を竃に放り込んで火を点けて、下から竹の筒で吹いている。煙がこちらの方にも入り込んででくるので、ずいぶん煙たい。

どうやら、ご飯を炊く準備をしているらしいが、ここにはガスはきていないようだ。自宅では母親が、パロマのガス炊飯器を買った事を、近所の主婦連中に自慢していたのを聞いたことがある。

隣の竃には鍋がかけられ、大きな大根が、庭の畑で採ってきたネギやらイモやらと共に刻まれている。そういえば、裏の壁際に多くの玉葱もぶら下がっていた。そんな野菜も、どんどん鍋に放り込まれているのを眺めているうちに、また眠たくなって寝てしまう。

母親に起こされた時には、すでにちゃぶ台の上には茶碗が並べられて、汁椀からは湯気が出ている。真黄色のタクアンが山積みされた皿がど真ん中にデンと置かれ、鶏を飼っている隣のおっちゃんがくれた卵もある。

その横には、蓋との間に日本手拭いが挟まれたお櫃がある。釜で焚いた、ご飯が移されているんだろう。自分用と思しき、あまり可愛くもない黒い犬がプリントされた、ちょっと小さめな茶碗の前に座る。たぶん、婆ちゃんのセンスで選んだ、のらくろだろう。ほんとは鉄人28号の方が、…。

おもむろにお櫃の蓋が開けられ、部屋中に炊き立てのご飯の匂いが充満して、やっと目が覚めるのだ。

朝食が終わると、例の川へ繋がる階段において、直ちに食器洗いが始まる。だが、いつの間にか洗われているのは、食器から衣類にシフトされ洗濯に移る。着ていた寝巻きまで脱がされ、早く布団を畳むよう促される。

食べた直後からあまり動きたくないので、満腹感に浸りながらぼんやりとしている我母親と、裸に剝かれたまま未だ布団にしがみついている私を尻目に、庭の物干し竿にシーツやタオルなどが所狭しと干される。

以前買った、ローラーの付いた洗濯機の利便性を婆ちゃんに解説していたらしいが、何やら母親に小言を言いながら、あっという間に婆ちゃんは出勤して行った。

まるで嵐が去った後のように、残された者達は何かホッとしたような表情で茶など啜りながら、風にはためく庭の洗濯物を眺めている。

夕方、仕事から帰ってきたら、またもやこの行程がが繰返され、それはもう来る日も来る日も、毎日行われる。とにかく、家にいる時はじっとしているのを見たことがない、茶屋町の婆ちゃんであった。

豊かな生活も少し現実味を帯びだした、昭和30年代初頭の体験である。

今では考えられない、およそ自虐的にも見える生活だ。田舎のローカル線を訪れると必ず脳裏に浮かぶのは、そんな不便を不便とも思わない、たいへん気合いの入った毎日であり、年に何度か訪れた茶屋町の記憶が蘇る。

また同時期、東京(小平)の親戚にもしばらく預けられるなど、ごく短期間に両極端な生活に触れるという激動の幼年期であった。どちらも、たいへん慎ましい生活であったが、何事も程々が良かろうというその後の考え方にも、少なからず影響を及ぼしているように思う。

安易な利便性に対する拒否反応、便利=堕落と結びつける方程式のようなものは、ある年齢層以上の世代は必ずといっていいほど持っている。しかし、周りとの協調性や時代の流れに無闇に逆らうことも躊躇われ、いつしか慣れ親しんでしまう。

町中に住む高齢者には、半径200m以内にコンビニも無いような場所に住めるものか、と言って憚らない連中も少なくない。(我実家にも、約一名いるが)

そんな日々の生活を離れて、辺境の地で目にする景観や、そこでの暮らしぶりを想像すると、自分では到底受入れることもできないものでさえ、魅力的に写るのである。

実際に、それならやってみろと言われても、できるわけはない。若い時に憧れる都会生活の裏返しであり、あくまでも便利な地域から見た、不便な生活でしかない。

せめて写真に撮って、とある風景の一環として眺めるのが関の山だ。

ただ、それを写真に撮っている姿は地元の住民からどう見えるのだろうか、ということはいつも気になる。いかに個人の趣味とはいえ、あまり無神経な行いは慎むべきであろうと常々心がけているが、観光客と違いその地域にはまるで貢献していない。

そんな色々な思いから、益にはならぬが害にもならぬ、出来れば空気や透明人間のような存在として訪れたい、と都合の良い事を考えている。

というわけで、今回も昔話に絡めた姫新線岡山県側シリーズでした。


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年05月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.05.22] 鉄撮りの練習:其の拾壱 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

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