2014年6月23日月曜日

姫新線:新見方面(前編)

鉄撮りの練習シリーズ、第十二弾である。

いや、前回のサンライズや DE10 も練習みたいなもんだし、それも入れたら十四弾ぐらいかもしれないが、いちいち数えるのもアホらしくなる。

よし、もう写真に関しては、一生練習が終わらないことにしよう。全て練習、生涯本番無し。(というと、なにか淋しい韻もあるが…)

したがって、ここは練習がデフォルトだから、たとえそれが見えないとしても 、全てのタイトルには末尾に(練習)が付いているのだ。

それなら、練習内容を表す標題も使えて、なにかと好都合でもある。

で、初回のサンライズエクスプレスの惨劇から、気晴らしを兼ねて回った姫新線の新見方面である。

当初、これといった目的も無く国道374号線を北上しているうちに、その場で思いついた姫新線の新見方面であり、相変わらずの行き当たりばったりな性癖は、この日も大いに発揮された。

当日、県南では曇り空から時折晴れ間が覗くこともあったが、県北の特に山間部においては、それも当てにならない。降りそうで降らない、たまに小雨がぱらついたかと思えば、一気に晴れてしまうという、終日にわたって不安定な空模様である。

ま、最後には土砂降りになってしまい、この日の締めとなった。結果的には、色々な空模様で写真が撮れたので、それも収穫のひとつだったろう。

前回、兵庫県側との違いを確認するために、林野から兵庫県寄りの姫新線を巡ったが、それは駅の数で言えば、たった4つに過ぎない。

だが、今回は林野の隣、勝間田から新見のひとつ手前の岩山まで、拠点の津山と新見を除いても何と17駅もある路線だ。

一日で回ろうとすれば、どうしても駆け足になってしまうが、その路線を文字通り一気に駆け抜けたのである。

いささか鮮度が落ちてしまった感は否めないが、DPM 3台の総計では728ショットにもなり、その後の現像作業を含めた整理にも相当な時間を要するので、致し方なしでもある。

当日の経路は以下の通り、まんま姫新線の路線図だ。

勝間田・西勝間田・美作大崎・東津山・(津山)・院庄・美作千代・坪井・美作追分・美作落合・古見・久世・中国勝山・月田・富原・刑部・丹治部・岩山・(新見)

今回、起点駅となる津山と新見は、時間的な問題もあってスルーした。

観光目的ならまだしも、さすがに絵的な興味を惹くようなモノは無さそうだったので、まいっかである。生真面目な鉄オタから見たら、およそ考えられない暴挙だったかもしれない。

それでも、全部を一気にというわけにもいかないので、とりあえず当日の午前の部と午後の部、みたいな分け方をしてみることにした。

未だに、坪井駅から先は全部現像も完了していない状態であり、できれば怪しい記憶が薄れてしまう前に作業は終わらせたいと思っているのだが、果たしてどうなることやら。

今回のスタートとなった、午前7時半頃の勝間田駅から始めて、午前中に回れたのは、勝間田・西勝間田・美作大崎・東津山・(津山)・院庄・美作千代である。

ま、当初よりどこまで行けるかなど考えていないのだから当たり前なんだが、イザとなれば津山から53号線を下って、津山線の続きという案もあったことが、一層そのお気楽さに寄与していたかもしれない。

午前の部で特に印象深かったのは、以前冒頭写真でもこれ見よがしに勿体ぶってみた、西勝間田駅である。勝間田駅がどうだったか、忘れてしまうほどにその印象は強いが、それには個人的な裏事情もある。

ここ数年の一日平均乗車人員の推移でも、西勝間田駅は軽く20人を切っており、午後の部で今回のトリを飾った、姫新線の中でもダントツの岩山駅(5人?)を除けば、丹治部と並んでやっと二ケタな駅である。

ちなみに、伯備・芸備線にはなるが、過去十年以上遡っても、一日平均乗車人員が一人以下(0.85人)の布原駅は流石に別格であり、その点においても秘境駅の風格十分である。

ただし、元々は布原信号場であり、国鉄時代からの正式な駅ではない。地方の管理局によって設けられた停車場の形態であったものが、民営化と同時に格上げされたので、駅としての歴史は浅い。

過去から現在まで、駅として賑わったこともなければ、廃れたわけでもないので、その他の駅と同列に比較することにあまり意味はない、と思う。

で、件の西勝間田駅、津山以東では唯一快速が通過する駅であり、その存在理由も含めて検証する目的もあったのだが、訪れてみた印象は中々良いものであった。

曲線区間の途中に位置する、駅というより停車場的な趣なのだが、その景観は単なるレトロ趣味な駅と違って、まことにチャーミング(という表現が相応しいかどうか分からないが)なレイアウトの駅である。

付近にある、跨線橋の端から降りて行く場所に位置するそのホームは、一般的な奥行きよりずいぶんと狭い。途中には、木造の立派な駐輪場があって、屋根こそありふれた波板になっているが、高取駐輪場という大きな木の看板が付けられている。

当地は、勝田郡勝央町黒坂であり、その名称は近くに流れる高取川から来ているのかと思った。地名や駅名とも異なるし、いったい何が名前の由来になっているのか調べてみた。

どうやら、明治時代には高取村という地名だったようで、本来なら高取駅でも良かったのではないかと思う。駅南側には、植え込みを挟んで民家も何軒か存在するが、普段の生活の中で姫新線が占める割合は、そう多くないのだろう。

駅舎も、以前は知らないが、現在は最近の古い建物を壊して建てられたと思しき、如何にもおざなりなブロックとスレートに波板の屋根という典型的な構成だ。

ただ、駅そのものは昭和38年頃に新設されたので、それほど歴史があるわけでもない。その駅名からして、あくまでも勝間田のオマケ、美作大崎との間に作られた臨時の停車場的な意味合いが強い。

だが、西勝間田駅をひと目見て脳裏に浮かんだのは、かつて親父鉄道のジオラマに存在した規格外れの小さな駅だ。様々な事情により、曲線区間の途中にあったりするところなど共通点は多く、初めて訪れたにもかかわらず、懐かしささえ覚えたぐらいである。

駅が設置された時期も、親父鉄道の作成過程とも重なる時代である。今となっては、それも確認する手立ては無いが、ひょっとすると親父もここを訪れたことがあるのかもしれない。

そんな思いから、つい長居をしてしまった西勝間田駅を後にしたのは 9時半を回っており、一駅に1時間以上もかけていては日が暮れてしまう。

だが、午前中三脚まで使ってじっくり撮れたのはここだけであり、不本意ながらその後は、あまり落ち着かない撮影となってしまった。その後、美作大崎でも何枚か撮っているが、さほど印象には残っていない。

また、その先の東津山は因美線の終着駅であるなど、交通の面ではそれなりに重要度は高い。しかし、絵的な面においては、個人的な趣味の範囲からは大きく外れてしまうこともあって、iPhone による一応訪れました的な扱いでお茶を濁した。

津山線では、津山駅の隣になる津山口手前から、姫新線は西へ向かって離れて行く。姫新線の次の駅は院庄であるが、東津山と同様に市街地近くに位置する駅なので、あまり食指は動かない。

ただ、院庄ヘ向かうために津山市内を抜けていく過程で、学生時代に同級生が住んでいた、また当時下宿先を探してウロついたことがある、中之町あたりを通ったのである。

まるで小京都のようなその景観は、オサレなカフェなども点在し、昔より遙かに観光地化されていた。土曜日ともあって、通りには若い女の子達が団体で群れている。なにか、とんでもない場違いな場所に迷い込んでしまったような気になり、這う這うの体でその場を離れた。

津山の中心部では、住んでいた頃は存在しなかった道路が縦横に旧道を分断しており、いったい何処が何処やら迷ってしまうほどで、当時の印象は極端に薄れている。

ところが、たまたま見覚えのある通りから少し奥まった所に、なんと40年以上も前に住んでいた建物を発見したのである。

それは、汽車通後に二回目の下宿先として間借りした西●荘であり、わずか一年少々の短い期間でしかないが、強く印象に残っている。

木造三階建てという、その頃でも一風変わった建物で、当時の自分の部屋は、その最上階である三階の西南の端っこに位置していた。

現在のワンルームに相当する、六畳一間で流しが付属、トイレは共同、風呂は歩いて三十秒の所に銭湯があるという、いったい便利なのか不便なのか良く分からん居住環境だ。

この周辺の環境変化が大きいだけに、そんな文化財でもない建築物が、現在でも存在し続けることができるということ自体に驚きを隠せない。

まるで、ここだけが時間が止まっているかのようでもあり、これはもう懐かしさなどという生易しくも牧歌的な感情ではなく、まるで幽霊を見たような途轍もない恐怖さえ覚える。

すぐ近くまで行って見ると、殆ど廃虚に近い景観だが、未だに人が住んでいる気配もあったので、iPhone による記念撮影に留めた。

この場所に決める前に、不動産屋の仲介で下見に訪れた物件は、前述の中之町付近にもあった。そこは寺の中にあって、広さは何と五十畳はあろうかという、台所もない襖で仕切られた和室一間だが、無駄な広さの割りには格安で、要するに寺そのものなんである。

家主は当然坊さんで、当時の自分とは(たぶん今でも)思想や考え方からして相反する点も多く、その後のトラブルに発展しそうな雰囲気だ。特に若い者には口煩そうで、何かにつけ説教をかまされるのが落ちである。

おまけに、下見のつもりで訪れたにもかかわらず、入居者心得みたいなものを延々聞かされりゃ逃げたくもなる。もちろん、出家する気も更々無いので丁重にご辞退申し上げたのだが、今から考えてもおちゃめな物件を多く抱えた、風変わりな不動産屋である。

ま、結局その後間借りを決めた例の下宿先でも、家主の鬼ババアとはしょっちゅう揉めたので、トラブルの種は主にこちら側にあったのは明白なんだが、…余談である。

津山市の中心部を抜けて国道179号線と合流すると、姫新線の線路も国道と並走するようになる。その周辺は、最近できたスーパーや飲食店も多く、民家より店舗や会社の建物方が目立つ商業地域である。

古い町並みが残る市の東側とは打って変わって、新興の市街地であることも影響しているのだろう。 国道から、一本南側を通る旧道沿いにある院庄駅周辺は、いわゆる駅前という雰囲気は皆無で、あたかも国道からは駅の存在自体が隠されているようにも見える。

そんな院庄駅の印象は、あまり好ましいものではない。ちなみに、駅名は「いんのしょう」であり、印象にひっかけたダジャレではない。

開放された改札裏では、携帯ゲームに興ずる中坊が屯する、およそ観光にも適さない環境である。駅舎も設置された大正年代のものではなく、昭和の中期頃の安気な建売のような待合のみが残された、まことに絵になりにくい景観だ。

よって、ここでも全て iPhone に任せることにして、DP Merrill がカメラバッグから取出されることはなかった。

院庄駅から出雲街道を西ヘ向かうと、国道も179号線から181号線へ変わり、吉井川を渡ってから次第に民家も疎らになってくる。久米川を挟んで、それなりに密集した住宅地の中に、美作千代(みまさかせんだい)駅がある。

というより、駅に寄り添うように民家が建っている昔ながらの景観であり、駅周辺の家々は何れも年代物が多い。駅の開業は院庄と同時だが、こちらは駅舎も古い建物が残っている。

駅前の郵便ポストも、意図的に円筒状のモノに戻すなどそれなりの配慮はされている。駅舎内には古い石炭ストーブ(?)があったり、ホーム側の窓ガラスには昔の写真も貼られており、出来る限りの演出はされている。それをあざといと見るか、景観保護と見るかは人それぞれだろう。

撮る方としても、見捨てられて朽ち果てた廃虚や、廃屋を期待しているわけではない。古ければ古いなりに、手をかけて維持しているモノの方が好感は持てる。だが、それはあくまでも見る者の視点であり、利用する者の視点と一致するとは限らない。

やたらに白く輝くアルミサッシとのミスマッチや、如何にも70〜80年代に設置されたようなデザインのベンチが醸し出すアンバランスは、景観保護とその費用的な面の限界という、現実的な問題を表している。

見方によっては、あらゆる年代が混在するタイムカプセルのようで面白くもある。だが、絵的にどうかといえば、よほど明確な主題でも持って写真にしない限り様にはならないだろう。まず、自分のレベルでは到底無理な重いテーマにも思えるので、あまり深入りはしないことにしている。

美作千代駅を見たあとに院庄駅を思い出してみると、お隣同士の駅でも大きく異なる点から、周辺人口の数だけでなく住民の意識も影響しているように思う。

人口が増えれば意思の統一は困難になり、逆にどんどん希薄になっていく。これでいいやで済ませれば、駅の機能としてはとりたてて不足があるわけでもない。

だが、こう在りたいと思えばそれなりの努力も必要になり、それを望む人の数的なものよりも、意思の強さみたいなものが無ければ実現できない。言い換えれば、それが政治力ということになるのだろう。

ちなみに、1999年から2011年までの乗車人員は、院庄駅の846人に対して美作千代駅は1069人である。航空写真などの資料によって想像できる人口密度から考えても、これは意外な数字である。

この内何人が、地元の生活路線としての利用者なのかは不明であるが、地域が異なれば、居住環境による生活形態もさまざまに変化する。

少なくとも、この十三年間を通して院庄駅の利用者数が、美作千代駅の利用者数を上回ったことはないが、いずれの駅も年々利用者が減っていることだけは確かだ。

その昔には、鉄道がある町とない町では、考えられないほどの格差があったのだが、現在ではそれ自体が大きなメリットには感じられないだろう。それはおそらく、無くなってみないと分からない程度、でしかない。

ところで、事前に仕入れた情報と異なり、津山以西の路線もキハ120が運行されており、キハ40・47は一度も見かけなかった。

この点は、撮る側の視点からすると少し残念であり、なにか津山線や吉備線が県内では最後の砦になっているようにも見える。岡山で見かけることができるキハ40・47は、もうそれほど長くはないのかもしれない。

そんなことを考えながら、美作千代駅の裏手でコンビニ弁当による昼食を済ませた。が、あまりノンビリと寛いでいる時間もないので、取り急ぎ午後からは坪井駅へ回ったのである。

以下、次回姫新線:新見方面(後編☞中編)へつづく…、かな?


…ということで、ヒトツよろしく。
2014年06月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.06.23] 姫新線:新見方面(前編) 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

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