2014年6月30日月曜日

姫新線:新見方面(後編)

やっと辿り着いた、姫新線:新見方面の後編である。

真庭から新見までの経路は、姫新線だけでなく、国道や県道も山間部の谷あいを縫うように走っており、およそ真直ぐなルートはない。

それだけに、岡山県内の山陽新幹線みたいなトンネルだらけの列車よりは、車窓からの景色も楽しめると思う。(たぶん)

ま、それが楽しいと思う人の数が少なくなっていることも事実で、かつては駅弁など食いながら、蒸気機関車の煙に咽せていた時代もあったが、その時はそれほど楽しいとも思わなかった。

当時は、それが当たり前だったからで、もうそんな体験を望んだところで実現するのは難しい。あくまでも想い出になって懐かしむ時だけ、楽しく感じるモノなんだろう。

これも年寄の特権だから目一杯楽しんでやろうと、出雲街道を走りながらそんなことを考える。

午後の部後半の経路は、以下の通り。

月田・富原・刑部・丹治部・岩山・(新見)

ここから先は、一日平均乗車人員もガクっと減って、いずれもここ数年は二桁台に割込んでいる。中には一桁の駅もあったりするが、被写体としての魅力度と相関関係はない。逆相関なら、あるかもしれないな。

国道181号線(出雲街道)は、中国勝山から旭川の支流、新庄川に沿って少し南へ下る。そのまま行くと、県道との分岐点辺りから米子方面に向かって再び北上するが、姫新線は国道と分かれて県道32号線と共にさらに南下する。

月田駅は、県道のすぐ側にあるので、その存在を知ってさえいれば自動車からも駅舎やホームは見える。しかし駅の入口は、少し東を通る旧道側からでないとアクセスできない。

旧道への入口はずいぶん手前にあり、駅の方向を示す看板を見逃すと、季節によっては、並木に隠れた駅舎にも気付かないかもしれない。

駅周辺は、旧道に沿って民家が密集しており、材木関係の会社が多いようだ。昭和初期の旧駅舎は既にないが、駅舎を見れば一目瞭然である。最近建てられた、ログハウスのような木造の立派な建物である。

付近には製材所などもあって、かつては存在した引き込み線からも、材木の輸送に姫新線が利用されていたらしい。駅舎の一部は、月田木材事業協同組合の事務所となっており、駅舎には駅名と並んで、つきの木センターというコミュニティ施設の看板も掲げられている。

美作追分以降、古見を除いて次の富原駅までは、真庭市の条例に基づく合築駅舎として、自治体がその建設や運営に関与しているようだ。道理で立派な駅舎が多いわけである。古見は駅舎自体がないのでしかたあるまいが、久世駅の現状はいったいどうなっているのだろう。

で、その月田駅であるが、駅の周りは並木通りのような景観で、大変良い雰囲気である。ただ、活気がないのが残念であり、上月駅のように道の駅も兼ねるような運営が行われたら、折角の施設ももう少し有効利用が出来そうな気がする。

県道からは、付近に目立つ店舗や看板もないことから、よほど注意していないと見過ごしてしまいそうになる立地条件である。すぐ近くで操業中の製材所も、現在では姫新線とは直接関わりもないようで、わりと広々とした駅周辺も閑散として物寂しい。

土曜日の午後でありながら、全く人影が見当たらないのは姫新線の各駅に共通したところで、それが兵庫県側との差になっているように見える。

駅舎内の手入れも、その他の駅以上に行き届いており、およそ一般的な駅らしくない清潔感もあって、利用者視点ではたいへん好感が持てるだけに、もったいないことである。

駅構造自体は、1面1線単式ホームであり、かつて存在したであろう引込線も、ホームの跡から認識できる程度で線路もすでにない。

月田駅で撮影している最中に、ついに雨が降りだしたが、それも長くは続かずじきに空も明るくなった。ここまで持ってくれたのがめっけものであり、この先はどうやら怪しい雲行きになりそうだ。

なんとか、明るさのあるうちに全ての駅を撮りたかったので、富原駅に向かって出発した。

美作落合から先の姫新線は、酔っ払いの足取りのように北へ南へと迷走している。月田川と県道32号線の双方に対して、姫新線は何度も交差を繰り返しながら、富原駅に向かう。

上り勾配が続いた先に、あまりにも唐突に富原駅が現われ、思わず通り過ぎてしまった。駅前広場もない駅である富原は、駅舎とホームの関係が段差になっており、駐車スペースは駅の両サイドに僅かながら存在する。

県道を挟んで、対面には民家が数件並んでいるが、いずれも何らかの商店であるところが、かろうじて駅前らしい。パナソニックの看板を掲げる電器店、ホルモンの看板も嬉しい食堂やタクシー会社に、田舎の山間部ではお約束の酒屋兼乾物屋など、駅前として鉄板の商店が一通り揃っている。

ただ、いくら交通量が少ないとはいえ、間に県道があってはあまり落ち着かない。一工夫すれば、道の駅的な展開も出来そうだが、如何せん駅前のスペースがなさ過ぎて、ちょっと無理がある。 鉄道が交通手段のメインであった頃なら、このような立地条件にも問題はなかったのだろうが、車社会との共存は地域の努力だけでは、なかなか難しい。

富原の駅舎も月田ほどではないが、木造でそれなりの雰囲気は保っており、駅自体の設備としては、わりと整っているように見える。ここも、前述の条例に基づく、合築駅舎のひとつである。

しかし、月田駅を見た後では、駅舎内部も安普請な感は否めない。内装のベニヤ合板は一部剥がれかけており、月田のような高級感はない。

改札から続く階段でホームへ上がってみると、それは1m以上高い位置にあるのだが、現在運行している列車には、あまりにも長い1面1線の単式ホームである。

待合所から、使われなくなって久しい対面側のホームを眺めると、そこはもう背後に迫る山の木々に、ほとんど飲み込まれている。その昔、駅名が書かれていたと思われる木製の駅名標が残っているが、すでに文字を読み取ることはできない。

まるで人類が滅亡した後の世界を見ているような気分になり、ほとんどSFの世界に入り込むことも可能だ。お暇であれば、姫新線に乗って富原まで来て、ホームの待合で「渚にて」あたりをじっくり読めば、気分も盛り上がるに違いない。(絶滅モノなら坪井駅もお勧めだ)

花壇というほどのものではないが、植え込みもあるし花も沢山咲いているので、天気が良ければ、静かな読書環境としての利用も検討の余地はある。ただ、姫新線の場合、その日のうちには帰れない可能性もあるので、事前の調査とそれなりの準備は必要だ。

そんな富原駅を後にして、次に向かったのは刑部駅(おさかべ)である。

ここから、真庭市を離れて新見市に入る。この地域の名前が駅名になっているのかと思いがちだが、町名は大佐小阪部で、発音が同じなのになぜか字が違うのである。

駅前の景観は、何となく芸備線の備中神代に似ている気がするが、刑部駅はすでに駅舎のない備中神代とは、比較にならないほど立派な駅舎である。中国勝山ほどではないが、戦国の出城といった程度の雰囲気はある。

駅の北側にある広場は、奇麗に整備されており、近所の親子連れが訪れていた。その駅舎も、一見すると甲冑や刀の類いが展示してあっても不思議はない作りだが、駅舎内には何もない。情報によると、物販店が同居しているらしいが、少なくともその日は営業はしていなかった。

ホームへ出てみると、2面2線の相対式ホームであるが、対面側の津山方面行きには待合所はあるものの、列車の停車位置以外は鬱蒼とした草木に囲まれている。線路内の雑草も比較的多い方で、津山方面に向かう線路は、ほとんど見えない状態になりつつある。

新見までの姫新線では、刑部駅が交換線設備のある最後の駅だ。しかし、現状のダイヤでは、交換線が必要になるパターンというのは、どの程度の頻度で発生するのだろうか。

津山線のように、1線スルー式になっていない駅ばかりで、乗客の利便性を考えれば、対面ホームへ行かなくても済む方法を取り入れるべきだと思うが、どうもそのへんの事情が良く分からん路線ではある。

だいたい、未だにキハ120 同士がすれ違う光景を目にしたことがないので、一度は見てみたいものだと思う。運良く写真でも撮れたら、たぶんそれは歴史的にも貴重な資料となることは、間違いないだろう。

何枚か撮っている内に、またもや雲行きが怪しくなり、小雨がぽつぽつ降り出したので、次の丹治部駅へ急いだ。

刑部からの県道は、比較的素直に新見方面に向かっており、4km ほど先にある田治部郵便局の前を左に入ると、丹治部駅が見える。ここも、地名は大佐田治部であるが、駅名は丹治部(たじべ)で、何かとややこしい。

公民館の分館も兼ねた駅舎の外観は、スキーロッジのようでもあり、看板を見なければ駅舎には見えない。だが、近くまで寄って見ると、やっと二桁台の平均乗車人員の駅では、そのやつれ方も一入であり、富原駅以上の廃れ具合である。

また、ホームと駅舎の位置関係も似ているが、丹治部駅の場合、駅舎の入口で階段を上る形になっており、改札とホームは同じ高さになっている。

ネットで確認できる、93年撮影の旧駅舎の写真を見る限りは、開業当時のいかにも昭和の香りがする、同時期のその他の駅と似たような外観である。 当然、改築自体は 90年代以降のはずだが、現在の建物からは、その廃れ方も含めて何となく恥多き 80年代っぽい雰囲気が感じられる。

駅舎内部も少し荒れており、クモの巣が張った吹き抜けの柱の隙間から、ステンドグラス風の採光部が見える。だが、そこからの光だけでは、富原以上に暗く、当然照明が点くはずの夜より昼間の方が不気味に見える。

1面1線の単式ホームを持つ丹治部駅は、ホームの奥行きが少し狭く対面の山も近いこともあって圧迫感があるが、一両編成の列車ならそれほど気にならないかもしれない。

かつて、近鉄奈良線では特急がクラクションを鳴らしながら、通過線もないホームをフルスピードで駆抜けて行く恐怖を味わったこともある。だが少なくともここでは、そんなシチュエーションにはお目にかかれない。そのあたりも特急など走っていない、姫新線ならではの特殊性だろう。

丹治部到着まで降っていた小雨も止んで、青空も覗く天気になってきたが、なにせ山間部の気紛れな空模様で、このまま晴れるとも思えない。

最後の目的地である、岩山駅に向かって出発する頃にはあたりが急に暗くなり、気紛れな一日を象徴するかのような、やっぱりなという土砂降りになったのである。

岩山駅に近づいた頃には雨の勢いは少し弱まったものの、すでに本降りの様相ですぐには止みそうもない。ま、最後だし適当に撮って帰るべえと、お気楽に考えていたのだが、駅に着くとそういうわけにもいかなくなったのである。

昭和初期に開業した岩山駅は、当初作備西線の駅として設置され、盲腸線と呼ばれる行き止まり路線の終着駅だったらしい。現在は、姫新線の中でも群を抜く乗車人員の少なさを誇っており(いや誇ってはいないか)、ここ数年は一桁台である。

今年1月更新のストリートビュー最新版も、グーグルスタッフの気紛れにより、岩山駅手前 500m で引返している。そして、なぜか駅を迂回する市町村道の方へ情報が偏っている。よほど、この駅の存在を広めたくないようだ。

時折強くなる雨の中、駅前広場に着いてぼんやりその駅舎を見ていると、なにやらムクムクと撮影意欲が湧いてくるのを感じたのだ。駅舎からも昭和の匂いがプンプン漂ってくるが、ほどなくそれは駅の横にある「便所」と表示された建物から来ていることに気がついた。

時刻はすでに16時を回っており、雨天と相まって光量は不足気味である。ミニの窓から正面には、無断駐車禁止(新見駅長)という看板も見えるが、咎める者も居なさそうなので、とりあえず後方にある自転車置き場の屋根の下に降りて撮ってみた。

ま、駐禁表示とのツーショットを公開するのも如何なものかと思い(するけど)何枚か撮って移動した。ところが、そのスペースを空けた途端に軽四がやって来て、その場所に止めて運転者はどこかへ行ってしまう。

結局、その車が写る角度からの写真は、撮れなくなってしまった。くそ~退けるんぢゃなかったと後悔しながらも、小雨になるのを待って、再び対面のホームから撮りはじめた。一応、合羽みたいなモノを着て外に出たが、カメラにも飛沫がかかるので、タオルをかけての撮影である。

こんな時は、防滴防塵の対応機種が羨ましくなるが、機種選択においてはこちらにも譲れない一線はあるので、致し方なしである。

多くの古い駅舎が、部分的にはアルミサッシやドアなどに交換され、それはそれで手をかけているので、実用面では必要なことなのだろうが、被写体としてはイマイチ感につながる。

その点、岩山駅の印象は、それまでの何れの駅とも少々異なる。自治体による積極的なテコ入れが行われているようにもないし、かといってあからさまなレトロをウリに観光地化した風にもない。ごく自然なその廃れ具合とか、あえて修復しようと試みた後もなさそうに見えるのが、個人的には気に入ったのである。

もちろん、一部の窓はアルミにはなっているが、他の駅のようにまんまアルミカラーの銀色ではなく、木造の外観に合わせた茶色の窓枠が使われており、極力目立たなくしてある。こうした、さりげない配慮が其処彼処にあるのだが、いかにもやってます的なところは見受けられない。

補修に使われている材料も、決して高価なものではなく、必要にして充分な分相応という割切りもあって、それがまた独特の趣にも貢献している。

惜しむらくは、この路線を走る列車の外見が鉄板むき出しで、あまりにも周りの景観と不釣り合いな、キハ120ばかりであることだ。

もちろん、今更な古い気動車や機関車を期待しているわけでもないが、せめて、駅舎のアルミサッシの色程度に配慮の感じられる、まともな塗装や風景にマッチするカラーというものがあるはずだ。(イタ電も困るが)

鉄オタからは、末期色(まっきいろ=真黄色)と揶揄される、クハ115系のカラーでさえ、今のキハ120 の外見よりは馴染むのではないかと思う。

そうこうする内に、都合よく新見発 16:52 の津山行(864D)がやって来くる時間が迫ったので、駅舎内に戻って待機した。塗装やデザインはさておき、この駅がただの廃虚などではなく、実用に供されている証には列車が必要だ。

途端に雨足も強くなり、彼方の山々には霧も出て絵的にはもってこいだ。思わず三脚に手が伸びたが、乗降客も皆無ではない可能性もあるので、ここはひとつ我慢である。幸い開放なら何とか 1/250秒 ぐらいはいけそうなので、手ブレには定評のある中望遠の DP3M ではあるが、息を止めてなんとか凌ぐことにした。

ま、結果は現場で予想したモノを大きく下回ることもなかったが、未だ多くの課題も残している。

DP1M/DP2M ともに、割り当てたバッテリもすでに使い果たし、残っているのはこの DP3M 本体内の一本だけである。撮影者の疲れもピークに達する時間では、とても万全の態勢とは言い難く、なかなか思い通りにはならない。

その上、天候や撮影者のモチベも関係するので、全てが文字通りお天気次第、気分次第なんである。

岡山方面へ向かっての帰り道、元気が余っていれば多少遠回りになっても、平均速度の稼げる広域農道などを選んで帰るところだが、この日は大人しく王道(国道180号線)を選んで、多少の渋滞は覚悟していた。

国道沿いには、伯備線や吉備線も近くを通っている。だが、こちとら本日は予定終了、振っても鼻血も出ないほどに、カメラも人間も電池切れである。後は、早く帰って風呂に入りたい気持ちで一杯だ。

そんな時に限って、トラブルという奴は起こるもので、吉備津から県道245号線に入ったあたりから、ミニの水温計がいつもより高目を示していることに気がついた。

以前、ヒータバルブを交換した時、冷却水が減り気味の傾向があるので、注意が必要である旨伝えられていた。だが、水温が上がってしまう前でないと、水量の点検もままならない仕様なので、つい失念していた。

無性に嫌な予感がしたので急遽、川入手前から倉敷方面へコース変更したのである。その先には、いつもミニの面倒を診て貰っている萬治屋がある。はたして、後100mという所まできて、ボンネットから水蒸気の湯気と思しき白煙が、…。

19年目となるヒータバイパスホースが、交換品の在庫を持って待ち構える萬治屋の目の前で、ついにその寿命を迎えたのである。修理代込みの 1.2 ×福沢諭吉は痛かったが、不幸中の幸い、ラッキー・ポンとはこのことであろう。

なにはともあれ、県北の山中でなくてよかったよかった、ちゃんちゃんである。

とまあ、そんなこんなで何とか締めることもできた、今回の姫新線:新見方面シリーズでした。

また、機会があれば、以前中途半端に終わった伯備線や芸備線なども企んでいるが、その時はカメラもミニも全天候性で、万全の態勢を以て臨みたいものだ。


…ということで、来月もヒトツよろしく。
2014年06月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.06.30] 姫新線:新見方面(後編) 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

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