2013年12月9日月曜日

努力は苦痛なのか

題からして、モロに雑談である。

余談として車ネタを絡めているが、こちらを本文にするほどまだ材料がないので、苦肉の策だ。

恒例の正月用ヒマネタにでもしようかと思ったのだが、新年にはもう少し相応しいネタも出てくるかもしれないし、自己満足やら過程が重要という雑談からの流れもあるので、ゴミは早めに出しておくことにした。

昔から、努力という言葉は嫌いだ。

だが、辞書引けば似たような意味の精進とか自己研鑽という言葉は好きである。

エジソンのいう「1% の直感と99% の努力」は、その両者が等価であることを端的に言い表している。方向を誤った努力は限りなく不毛に近く、ほとんど無駄と同義語である。この言葉を信じるなら、努力に対して直感のウェイトは計り知れなく重い。

ただ、直感などというものは、一般に単なる思いつきのように思われているが、それこそ精進と自己研鑽による賜物である。

努力という言葉は、無味乾燥で無機質であるが、精進にはどこか宗教的な匂いを感じる。

宗教は嫌いだが、自分にとって相容れないものを押付けられるのが嫌いなだけで、現時点で信じていない、または信じる事が出来ないモノに拒否反応を示すことは、一般的にもさほど不思議な反応でもあるまい。自分が信じる(信じたい)教典なら、いっそ自分が教祖なら大歓迎である。

また、自己研鑽には、頭に自己(=おのれ)が付いていることが重要だ。

研鑽だけなら、学問などを深く研究することに過ぎないが、自己がつくことで自分が信じる(宗教的とは限らない)ことについて、または自分が好きな事について深く研究すること、という具合に都合よく転換できるからである。

あくまでも、自分にとって都合よくというのが重要で、一般論はここでは関係ない。

一般論は、物事を遙か遠くの外郭から、全てを推し量ろうとする。また、それを万人に当てはまる、あたかも万能の定規であるかのごとく、物事を計ろうとする。

後世に名を残した偉人たちは、様々な努力の積み重ねで偉業を成し遂げたのだ、という至極当たり前に聞こえる見解も、労せず功を得ようと考える不埒者に対する戒めに過ぎない。

とりあえず、一般的に美徳とされることでも押付けておかないと、ロクでもない奴が楽して儲けるのを見るのは腹が立つからであり、努力している人の立場がなくなると世間的、道徳的になにかと都合がわるいからだ。

現実社会が、必ずしもその美徳通りになっていないことに言及するつもりはない。

端から見れば、目的を達成するために粉骨砕身している姿は、難行苦行にしか見えない。しかし、当の本人からすれば好きなことに対して精力を傾けているだけで、それが苦痛でしかないと思うのは大きな間違いであり勘違いである。曖昧かつ異なる価値観で、物事を判断しようとするからそんな勘違いが起こる。

あくまでも自己が中心であり、自分が好んで妥当と考えた行動における精進や自己研鑽は、決して難行苦行などではない。修行僧が山に篭って精進するのは、よほど山が好きなのか、篭ることが好きだからに決まっている。(いや、ちがうか)

もしくは、その修業によって得られるであろう、その先にある何か(は知りたくもないが)に惹かれるからであり、仏道本来の目的を理解せず過程だけを捉えて、難行苦行と断言することは出来ない。おそらく、一般人にとっての楽しみを拒絶すること自体も、修行僧は心のどこかで楽しんでいるに違いないのだ。

結果こそが全てである、と一般的に見られているプロフェッショナルな人達の中でも、本当のプロと言えるのはその仕事が心底好きな連中である。

好きでもないことを生業にしているのは所詮勤め人でしかなく、生計を立てること、すなわち金を稼ぐことが第一目的であり、第二や第三の目的はない。勤め人を否定する気は毛頭ないが、その連中だって趣味の世界ではそれなりに楽しんでいるはずだ。稼いだ金は結局、仕事以外の好きなことに使うのだから、仕事の延長線上に目的が無いだけで、これは次元の違う話である。

別にやりたい訳でもないが、それが仕事と割切って我慢して継続すれば、それなりの見返りもあるだろう。自身を貶めてまでやり遂げるとすれば、その見返りも当然であり、それが自分の価値観に合うのなら何も問題はない。

生業とはそういうものであり、世の中好きな仕事ばかりではない。自分がやりたいことが分からないなら、ましてや探すことさえ面倒なら、他人に指導を仰ぐしかあるまい。他人の定規に自分を合わせることで、少しは楽が出来ると考えるなら、そういう努力も選択肢のひとつだろう。

いずれにしても、精進と自己研鑽以上の見返りは期待しないことだ。

ま、我が身を振り返ってみれば、まだまだ精進も自己研鑽も足りないのが現状ではあるが、
仕事に対する意欲や熱意の類いは、多少なりとも金銭的な見返りに依存している部分は否定できない。

裏を返せば、それがあるからこそ投げ出さず、維持継続していくことができるのであり、生活がかかっていなけりゃ、最近のロクでもないアップル製品など今ごろ…、いやいやいや。

そこはひとつ、職業意識で持ちこたえるべき一線であり、ユーザの期待に応えるよう努力してみる必要があるだろう。

生業にしている限りは、過程より結果を重視せざるを得ないことが多いのも事実であるが、それを苦痛と感じないように創意工夫していくしかない。

ぶっちゃけ、個人的には仕事にさえ楽しみを持込もうとしているぐらいだから、それによって降りかかる苦労なら、甘んじて受ける覚悟はとうに出来ている。


…ということで、ヒトツよろしく。
2013年12月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2013.12.09] 努力は苦痛なのか 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

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