2013年12月31日火曜日

親父鉄道

年の瀬もどん詰まりの大晦日に、全く相応しいとは思えない、ごく私的な鉄ネタである。

以前、父の鉄道模型について書いたことがあった。

12畳の和室いっぱいに拡がって、どこにも移動できない規模に肥大化してしまった親父鉄道のジオラマは、現在の実家を建て直した80年代中頃より少し前に、父自らの手によって破壊され、撤去され、処分されたそうだ。

中学を卒業して以来、およそ十年近く家を離れて下宿生活をしていたので、詳しい事情は聞かされていないが、古い家を取壊すにあたって処分すべき諸々の物として、(主に母によって)筆頭にリストアップされていたに違いない。

当時住んでいた家は、大正時代に建てられたものであることは、以前から聞かされていた。学生時代に帰省していた時でさえすでに、かつての自室であった八畳間は、六角鉛筆も転がるほどに床は傾いており、あちこちが崩壊寸前のお化け屋敷のような外観であった。

もともと菓子職人であった祖父が、昭和の初期に大陸から戻って移り住んで以来、和菓子屋を営んでいたが、いつの頃かパン屋に衣替えをしていたらしい。戦前に増築をして、狭い敷地一杯に拡がっていた住居だが、劣化の度合いは全域に渡っていた。

いつまでも学生を続けて家計を圧迫している放蕩息子が、その建替え時期を遅らせていたことは明白であり、私の卒業(と就職)と同時に、新築計画が実行に移されたのである。

新しい家に入居した当時、あれほど溢れ返っていた父の道楽物が、全く目につかなかったことにさほど違和感も抱かなかった。鉄道模型だけでなく、ラジコンの飛行機やエンジンボート、数多くの熱帯魚の水槽などが、まるで存在さえしなかったように消えていたにもかかわらず、である。

思えば両親の間で、ましてや父自身の中でも相当な葛藤があったことは想像に難くない。下宿生活が長かったせいもあるが、家族の記憶でさえ希薄にしてしまうほどに、自分の事しか考えられない、狭量な時期であったことも影響していたのだろう。

その後、結婚して長女が生まれ、また同時期に妹が嫁いだ頃には、両親供に穏やかな表情を見ることが多くなり、そんなことも忘れることができた。

しかし、四年もたたないうちに自身の過失から火事を出してしまい、実家を出て官舎住まいを余儀なくされた頃から、主に母親と衝突することが多くなった。

新築の家に同居させてもらい、決して多くはないが自分の稼ぎもあったことで、我道楽も頂点に達しつつあった矢先の不始末である。当然、その道楽物を処分することになるのは避けられず、自業自得のようなものであるので、それ自体になんら異議を唱えるつもりはなかった。

自分だけでは、妻子を養う甲斐性もない身でありながら、半ば暴走気味の感もあった道楽(主にオーディオとビデオ関連)には、いずれ訪れることは必至であったであろう、いわば因果応報である。今から思うと、天誅のような火事騒ぎであったように思う。

だが、根っからの仕切り屋としての本領を発揮する母の苦言を耳にする度に、父が新築計画に伴って決断を迫られた状況を重ねてしまうようになる。そんな自分の事は棚に上げて、父から道楽物の大半を奪った事に対しての、ほとんど八つ当たりのような振る舞いを母親に向けていた時期であり、なにかと自己嫌悪に陥ることも少なくなかったのである。

実際、新居が完成して父が亡くなるまでの十八年間、かつての道楽物に関する話題は全く口にしなかったことを、今更のように不思議に思う。我が身を振り返って考えるにつけ、自分の生き甲斐であるかのような趣味の物を、父がいったいどのように折合いをつけて、あたかも記憶を消し去ったのごとく振る舞えたのか、問うてみたかった気もする。

葬儀のあとで遺品を整理していた時、母がどこから持ち出したのか、幾つかの箱を仏壇の側に積み上げていた。その時は、喪主としての雑用に追われていたので気にもかけていなかったが、法事を終えた頃になって、それが鉄道模型の一部であることに気がついた。

今でも仏壇の側に置いてあるそれらの箱を、墓参りで家に寄った時に何度か開けて見たことはあったが、なにせ年代物である。触れるだけでも壊れてしまいそうな脆さが、どうしても詳細な検分を躊躇させる。

せめて、その存在の証にでもなればと写真に撮っておくことを思いついたが、たまに実家に赴いた時には落ち着いた物撮りなど出来ない諸事情もあって、なかなか実現しなかった。あれから、既に十年以上が経ってしまったが、形ある物の風化はどうしても避けられない。

あまり構えて事に及ぼうとするから、実現できないことも多いので、今回ほんの軽い気持ちで、要するに姑息で杜撰で雑な撮影ではあるが、なんとか実行してみた。だが、撮ってはみたものの、公開するタイミングを迷っているうちに、またもや一ヶ月以上が経ってしまった。

で、このどん詰まりになって、やっと重い腰を上げたわけである。

本来ならば、もっと環境を整えて照明も工夫しながら、キッチリ撮るべきなのであるが、なぜか被写体自体をあまり客観的に見ることが出来ない。

それは、親父鉄道のほんの一部でしかなく、自分の中にある記憶とはあまりにもかけ離れたモノにしか見えないという理由かもしれない。

幼少の目に焼き付いているのは、とてつもなく壮大に見えた部屋一杯に拡がる鉄道ジオラマの中で、ジージーと音を立てながら走り回っていたあの風景である。

そして、その前に喜色満面の笑顔で座って、目を輝かせながら操作している親父がワンセットで初めて完成する想い出だから、というのを今回の言い訳としておきたい。



…ということで、来年もヒトツよろしく。
2013年12月末日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2013.12.31] 親父鉄道 〜より転載&加筆修正

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