2014年9月11日木曜日

因美線リベンジ:前編

予告や前振りがあったからといって、過大な期待は禁物である。

しつこいようだが、各標題の後ろには、目には見えないかもしれないが、練習という文字が隠されていることを忘れてはならない。

今回も、現像作業に入ってから、ああすれば良かったこうするべきだった、みたいなものは山ほどあったのだ。

いつも反省材料の1つとして、挙げられることの多い事前の調査であるが、実際に訪れてみてから受ける印象が、大きく異なる場合も少なくない。

アマゾンやヨドバシ、もといヒマラヤの秘境を目指しているわけでもない。所詮、日帰りで回る県内の行程だ。

今回のように、その気になればお手軽なリベンジも可能な路線の場合、あまり綿密な計画を立てるよりお気楽に回る方が性に合うし、何かと面白い。

事前に予備知識を仕入れても、余計な先入観が邪魔をすることもある。今の時代、その気になれば現地で土壇場になっても、同じ情報は手に入るのだ。

そんな言い訳を考えながら、例によって大した準備もせず訪れた、因美線である。



いい加減、そろそろ通い飽きた感もある国道374号線だが、県北へ向かう国道では、最も走りやすい道であることも確かだ。

岡山市内から県北および山陰方面への経路は、三本ある一級河川に沿って、幾つか存在する。

東から吉井川沿いの国道374号線、旭川沿いには国道53号線、高梁川沿いの国道180号線という具合に、目的地によってこのうちのどれかを選択することが、一般的である。

もちろん、自分のような一般的があまり好きでないひねくれ者は、国道429号線や県道、広域農道といった多少マニアックなルート選択も、常に視野には入れている。

それぞれ方向が異なるので、一概に比較できるものではないが、個人的には鳥取方面なら国道374号線、米子方面なら国道180号線を中心に、多少アレンジをした経路を通ることが多い。

よっぽど、県の中央部に用事でもない限り、ど真ん中の国道53号線を積極的に選択することはない。旭川に沿っているといっても、途中のほんのわずかだし、なにせ走っていてもあまり面白くないんである。

ま、川に沿ってりゃ面白いってもんでもないのだが、福渡を過ぎて旭川ダムの方へ向かう県道30号線などと比べると、ミニのような車にとっては、53号は余りにも平和過ぎるのだ。

で、無謀にもロクに地図にも載っていないような脇道や、峠越えの林道にアタックをかけて後悔することも、未だに後を絶たないのである。

その点、吉井川沿いの国道374号線は、周りに集落も少なく、めったに信号にかかることもない。また、ほぼ全域に渡って追い越し禁止の53号線と違い、交通量も少ないから、自分のペースで走りやすい。

そんな国道374号線、林野から国道179号線経由で中国道津山インター付近から、やっと国道53号に入る。

さらに北へ、因美線と共に鳥取方面へ向かう国道53号線だが、並走しているのは東津山の次の高野駅までである。その先は、県道6号線に沿って峠を越え、鳥取県側の那岐駅あたりまで行き別れになる。

今回は、以前キハ120で辿った経路を逆走して、主に岡山県側の駅を中心に回ってみる予定である。

東津山以降の経路には、高野、美作滝尾、三浦、美作加茂、知和、美作河井までが岡山県側に並ぶ。

そして、鳥取県に入ってから那岐と土師を経由して智頭駅までの合計九つの駅だが、鳥取県側は実際に通った順番で辿るので、多少前後するかもしれない。

当日は、時折青空が覗くものの、基本的に曇天で気温・湿度共に高く、何時雨が降っても不思議はない。

曇り時々晴れ、所に依り一時雨という、まるで天気予報なんぞ必要のない全部入りな空模様で、今年の夏を象徴するかのような、先月の典型的な天候だった。

最初の駅である高野へ着いた時には雲も厚く、中国山脈にも深い霧がかかっており、雨も覚悟していた。

だが、北の山々の霧は暫く晴れることはなかったものの、美作滝尾駅へ向けて移動する頃には、うっすらと陽も差してきたのである。

まずは最初の高野駅、やたらに広い駅前広場から見た駅舎の構成は、ごく一般的なものである。駅周辺には民家がわずかにあるだけで、駅前らしさみたいなものはあまり感じられない。

駅に近い旧道(因幡街道)に入っても、わずか 300m程バイパスしているだけなので、 国道からの距離が近すぎてさほど静かな環境ではない。

かつての駅前と、その周辺は完全に逆転現象を起しているように見える。駅に近い家の方が、周りの開発から取り残され、古いま時代のまま時間が止まっているかのような印象である。

これは、高野駅に限ったことではないが、どの町も鉄道駅を避けて、発展している光景を目にすることが多い。

姫新線や因美線の各駅に共通した点だが、駅舎内の掲示物からも、地域の奉仕活動などにより維持管理されていることが想像される。

そんな地元の努力も虚しく、地域のコミュニティスペースとしての利用でさえ、結果的に人が集まらない駅周辺においては、機能しているとは言い難い。

国道53号線を離れて、県道6号線を北に向かうと、加茂川を渡った先に美作滝尾駅がある。

映画に登場したこともあり、記念碑まで建っている美作滝尾だが、閑散とした駅舎とその周辺以上に、時刻表に記載された列車の本数と、利用客の少なさが侘びしい。

もちろん、そんな侘びしさを感じたいために遠路遥々訪れているのだが、観光施設を目的としているわけでもないので、そこにはやはり地元の生活感みたいなものも欲しい。などと、身勝手なことを考えている。

駅舎自体は、その外観だけでなく内部も含めて、開業当時(昭和3年)の状態が保たれている。少なくとも、ひとつ手前の高野駅のような、アルミサッシによる窓枠やドアの修復は行われていない。

それ故、映画関係者の目に留ったのか、逆に映画がその状態を保つ原動力になったのかは、定かではない。

周辺地域には、決して民家が少ないわけではない。昨今、商業施設も増えている東津山周辺まで2駅、およそ10kmの距離でしかない。だが、当駅での料金表を見る限り、もう岡山より鳥取までの方が安い地域でもある。

たまたま、午前9時台に一本だけある、津山行きの普通列車(675D)に居合わせたために撮ることができたが、この後は智頭方面が12時前に一本、津山方面は午後の津山行普通列車(677D 13:42) までない。

他の交通機関との併用も考慮しておかないと、落ち着いて買物も出来ないだろうが、鉄道路線からも外れているその他の近隣地域に比べりゃ、まだマシである。

そんな、美作滝尾駅から2キロほど北へ行くと、三浦駅がある。他にも探せばありそうな名前だが、あえて美作とか中国と付いていないところをみると、唯一無二な存在なのだろう。

加茂川沿いの県道から、少し上がった所にある三浦駅は、このあたりの民家が全て駅周辺に集まったかのように、密集した住宅に囲まれている。

開業は、姫新線の西勝間田駅と同じ、昭和38年頃である。近くには三浦八幡という神社もあり、かつてよりの集落の側に、地元の要請を受けて設置されたらしい。

乗り鉄として通過した時は気付かなかったが、駅へのアプローチは、その民家の間を縫うようにして、降りていくようになっている。その坂道の途中に唐突にホームがあって、駅舎や典型的な駅前広場のようなものはない。

駅というより、あくまでも停車場然とした構造のホームも、下にある民家の二階より高い位置にあって、加茂川とその東の山の間の斜面に、へばり付いているかのようである。

三浦から先は、因美線も加茂川に沿って少し北西へ、大釈山(おおじゃくやま)を迂回するルートを通る。

かつては、急行砂丘号の停車駅でもあった美作加茂駅は、車内からもかなり立派な駅舎であることは確認していた。だが、県道から旧道の方へ少し入った所にある、その立派な駅舎からイメージしていた駅周辺の景観は、少々異なっていた。

駅前付近から受ける印象は、一般的な駅前という景観から大きくかけ離れたものである。駅前には、新聞の販売所と食堂が各一店あるのみで、店舗らしきものはほとんどなく、普通の民家が軒を連ねている。

繁華街、というほどでもないのだが、端から見たこの地域の賑やかさは、駅から少し離れたところに分散しているようだ。

ここも基本的には、山間部の他の地域と同様に、国道や県道沿いの車社会に寄り添った展開になっており、かつてのように地域の生活において、鉄道駅が必ずしも中心にはないのだろう。

津山のような地方都市では、未だ時期尚早なのかもしれないが、都市部ではパークアンドライド (Park and Ride)のような展開も増えており、駐車場などの確保には早い段階で用地買収などの準備をしておかないと、侭ならないという話も聞く。

過疎地の駅周辺が、あたかもそのことを想定して意図的に駅周辺を避ける形で、発展している(させている)気もしないではない。

だが、このまま車社会の時流に乗って、町の中心部の方に対処療法的な施策や道路行政ばかりを繰返し、公共交通機関の整備を蔑ろにしたままでは、いずれそんな取り組みにも悪影響を及ぼすに違いない。

と、エラそうに公共交通論をブチ上げたところで、現実問題としてパーソナルな車の方が、便利なことは分かり切っている。

今回の撮影行にしたって、車で行った方がお手軽だからという理由なんだから、そんな鉄道に関する上からな意見も、端から眺める風景の一環として残って欲しい、という単なるエゴに過ぎない。

以前、といっても太古の昔だが、首都圏に近いところに住んでいた時も、またその後に出張などで訪れることがあっても、毛細血管のごとく整備された公共交通機関に対してさえ、それが便利だと感じたことはない。

日常生活において、いつも手ぶらで移動するとはかぎらないし、日々の買物でさえ車で乗り付けられなければ、持って帰るだけでも一苦労である。地方に住む者からすれば、自家用車がまともに機能しないから、しかたなく利用しているようなものである。

無料駐車場なんぞ当たり前の田舎では、たとえ近所のコンビニであっても、サッサと車で出掛けるし、気が向いたらそのまま家電量販まで足を延ばして、電池や電球は云うに及ばず、電子レンジやトースターだって買って帰るのだ。

高齢化が進んで、自ら運転できなくなった者にとって、公共交通機関こそが最後の砦のような見方をされることもある。

しかし、介護が必要になるような高齢者にとっては、必ずしも現状の公共交通機関が最適な選択肢とは言えず、結局、自動車頼りにならざるを得ないのが現実である。

問題は、いかに地方と云えどもいずれは発展に伴い、そんな自動車中心の生活もいつかは不可能になる時期が、必ずやって来ることだ。その時になってから考えていたのでは、たぶん遅いのだろうが、…余談である。

そんな、駅前通りをあえて県道に戻らず北へ向かって車を走らせると、駅の近くにはなかった、各種商店がわずかに目についてくる。おそらく、以前はそれなりに賑やかだった、メインストリートであったろうと想像する。

しばらく走ると、その旧道は少し東へ向きを変えた後、県道との間に因美線を挟んだまま、1キロ近い直線となる。その途中には、道路側にはみ出した木が一本あるが、切り倒されることもなく、道路の路肩に引かれた線の方が、その木を除ける形で歪んでいる。

その前後には、視線誘導標が設置されているところからも、何か曰く因縁のあり気な木であるが、取り立ててそれを説明するような立札もない。

ま、何でもかんでも通過するの者の都合に合わせて、旧来からの環境も改変してしまう国道や県道と違って、市町村道の良識みたいなものを感じる風景ではある。

その先より、再び県道6号線に戻って、峠に向かって東よりに進んでいくと、唐突に現われるのが知和駅である。少し山裾の方へ向かう脇道の先に、県道からもよく見える場所ある。

冒頭で、事前調査の言い訳みたいなものを書いたのだが、実はこの駅と次に美作河井に関しては、少し調べていた。そして、特にこの知和駅に関する予備知識こそが、必要なかったと感じたのである。

そのあたりの事情は、次回因美線リベンジ:後編に譲ろうと思う。

とまあ、こんな調子で雑談余談を織り交ぜながら、ぐだぐだやっていたらとても一回では済まない因美線リベンジである。

この先も、岡山県側もあと2駅、鳥取県に入ってから智頭までの間に2駅あるので、そのあたりは次回以降でなんとかまとめよう、と考えている。


…ということで、後編もヒトツよろしく。
2014年09月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2014.09.11] 因美線リベンジ:前編 〜より転載&加筆修正
なお、本家には余談と写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

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