2013年9月28日土曜日

ミニについて

最近のトレンドなデザインを見るにつけ、この地球上にはカーデザイナーが実は一人しかいないのではあるまいか、と本気で疑っている。

それほどメーカごとの、もっと言えば国ごとの個性や特徴もない、おんなじデザインの自動車が増えているように見える。

車好きな幼少の頃は、町ゆく車は一見して、ことごとく車種を言い当てる神童として誉れも高かったのだが、いまでは全く区別ができない、ただのおぢさんになっちまった気がする。

溶けかけたアイスクリームのようなデザインが多い現代の車と違い、50〜60年代の確固たる丸みを帯びたそのデザインを、新鮮に感じる若い人も少なくないらしい。(ま、多くもないんだろうが)

ただ、その見た目だけで購入すると、あまり長続きはしないようだ。逆にハマると結構深いという点においては、その他の趣味人にウケるモノと同様に、沼の要素も持っている。

自分のミニについて、あまり書いたことはないのだが、最近の撮影行の足として、また時には風景の一部としてモデルにも任命したりと、登場する機会も増えたことなので、簡単に紹介しておこう。

良くも悪くも、50年代末期から60年代初期を代表する設計であり、レースシーンでも並み居る強豪を抑えて大活躍したあの時代から、さほど大きな進歩はしていない。いわゆる、頑固にも程がある英国車である。

この距離で停止するのは難しいのでは、という場合はまず間違いなく当たるし、この速度でこのカーブ無理っぽいと思うところでは、たいていコースアウトするかスピンするか最悪ひっくり返るか、のいずれかである。

その点において、人間の感覚や予想を裏切ることのない、たいへん素直な性能を持った車であり、すべてが低いレベルでバランスを保っている。

この時代、普段走りの一般道でほぼ全力を出し切れる車も珍しく、貴重な存在であると思う。

[概略と経緯]

基本デザインは、デビュー当時から生産終了まで全く変わっておらず(70年代のクラブマンは、この際無かったことにする)、91年から復活したクーパーモデルの、キャブレターからインジェクションとなったローバーミニの最初の型式である。

2005年に、それまで乗っていたレンジローバー(こちらは96年式の4.0SE)からの乗り換えである。年式は95年式だが、軽微な事故により登録抹消された期間が長かったので、走行4万キロ強の中古車として購入。

初年度登録から18年、購入からもすでに8年が経過しているが、オールドミニフリークに言わせれば、まだまだこれから、らしい。

走行距離は、9月現在あと僅かでオドメータがリセットされる99,300km であるが、わりと定期的に点検していることで、幸い大きな故障には遭遇していない。また、駐車スペースに屋根があることで、ボディの状態も年式に比べて傷みは少ないと思う。

仕事とプライベートの区別なく利用しているが、近場用の原付や雨の日などは別の営業車(VW Polo)を使うことが多いので、走行距離は月間千キロ以下である。燃費は、だいたい平均13〜14km/L だが、空いた県道などで少し長距離を走ると20km/L ぐらいまで伸びることもある。

未然にトラブルを防ぐ意味で、問題となりそうなパーツは対策品に交換するなど、それなりにコストは掛けている。だが、最近の車に比べると各部品がそれほど高価でないこと、正味で安価な中古品も数多くあることなどから、以前に比べると俄然庶民的な車であり、その邪魔にならないサイズも相まって、身の丈にあった車といえる。

レンジも、金さえあれば良い車であったと思う。今ほどガソリンも高くはなかったとはいえ、町乗りの燃費は悲惨な状況にあり、故障すると財布の被害が甚大である。

また、エアサスを始め足回りなどの凝った機構が災いして、わりとマメに壊れてくれる。ある程度覚悟はしていたものの、そんな甘い考えを吹き飛ばすがごとく、現実の厳しさを痛感させられる良い経験となった。

幼少の頃(といっても中坊時代だが)より何の根拠もなくただ漠然と、いつかはミニと考えていたにもかかわらず、出会いがなかったことにより35年が経過していた。

41年もの長きに渡って、そのスタイルを維持しつつ生産されていることが災いして、自分の中では知らず知らずのうちに、いつかはが、いつでもにすり替わっていたのかもしれない。

2000年、ついに生産終了の知らせと、時代の趨勢とはいえあまりにもミニらしくない残念な仕様である後継車が、いやがうえにも焦燥感を煽る。

これが最後のチャンスとばかりにローバー代理店を訪れたのだが、気が付いたらなぜかレンジローバーになっていた。

当時はアウトドア志向も真っ盛りで、デリカ・スペースワゴンみたいなデカい車からの乗り換えに、いきなり軽四サイズのチンケな車に移行する必然性は皆無であったし、一歩間違えるとディフェンダー 90 になった危険性もあったぐらいだ。

その時代時代によって、趣味趣向というものは揺れ動くものである。そんな流れに逆らって購入したとしても、ましてや、もっと若い時に購入していたら今のように愛でることも、たぶんなかったと思う。

そんなことを考えると、おそらく2005年辺りが至極真っ当な必然性をもっていたのだろう。

同じ英国車とはいえ、およそ比較対象にもならない2台の車のギャップに、当初は戸惑いもあった。しかし、バカみたいに金のかかる車を5年以上も維持することに少々疲れ気味な時期に、やっと目が合った相手のアバタがエクボに見えたとしても不思議はない。

だいたい、40年以上もおんなじデザインを見続けてきたんだから、フツーは見飽きるはずだ。

自分で所有して毎日毎日8年以上眺めたり、写真を撮っているが、未だに飽きていないどころか、前から良し、後ろから良し、斜めや上からも良しで、下手すりゃ真下から見ても、ボンネット開けても興味深い、という危険な状態である。

たぶん前よりも、ずっと、いや、これは決してアバタなどではなく、エクボに違いないと確信しているのであり、…余談である。

仕様諸元には、心躍るパワーも目を惹く装備も皆無であり、それこそ 60年代(昭和40年頃)にワープさせてくれる。頭の中もそれに応じて切替え、既存の価値観や概念を捨て去り、自ら積極的にパラダイムシフト受入れる必要がある。

そのことを前提に評価してみるが、当然極度のバイアス信号が検出されるかもしれないので、そのつもりでヨロシク。

走って曲がって止まるというのが自動車の基本三要素であるが、走る止まるはさておき、曲がるという性能においては多少抜きん出ている。

今では聞かれることもないが、シャーシが勝つというバランスが望ましいと言われた時代もあり、それが面白さにつながっている。

そこそこ走って、よく曲がるが、あんまり止まらない、と言えば分かりやすいかもしれない。

[走って]

運転席に座ると、真正面にハンドルは無いしベダル類もかなり内よりであり、ハンドルの影でメータ類は殆ど見えない。(速攻で、定番中の定番、ステアリングヘッドを寝かすためのステーで対策)

フロントウィンドウから見える景色は独特で、あの短い短いボンネットやタイヤハウスの膨らみが見えることに感激し、また直立したフロントガラスとやたら天井が目に入る視界に、しばらくは違和感を感じたものだ。

運転席からボンネットが、それがあるにも関わらず見えない車が多い。自分にとってはもうこれがデフォルトなんで、他がおかしいとマジで思う。

その動力性能自体には、とりたてて見るべきものはない。

時代の要求から内装やエアコン、ボディの補強などによりデビュー当時から100kg 以上重たくなっているが、それでも軽四よりも短い3メートルちょいの全長と、その車重が 700kg 少々と十分に軽いことで、たかだか60ps 程度のエンジンにもさほど不満はない。

また、その眠い吹き上がりにも、スムーズさのかけらもない高回転域にも、現代の自動車の進歩の度合いを感じさせるが、得るものがあれば失うものも少なくないという事実を、思い出させるきっかけとなる。

個人的には、高速道路など滅多に利用することはないが、オーバードライブもない直結の4速は 100km/h がどういう速度なのか、エンジン音と振動をもって教えてくれる。間違っても、走行中にカーステレオなどを聴けるような環境ではなく、運転に集中することを促される。

速度に関しても、所詮旧式な OHV でありノーマルでは十分に非力な上に、回して楽しいエンジンではないので、その上限は知れている。

実用許容回転数は、だいたい3500rpm(100km/h) 程度と考えておいた方が良い。その気になれば 5000rpm (150km)以上も不可能ではないが、それなりの根性と忍耐に加えて多少の度胸も必要となる。

ただ、そのサイズから想像するよりも直進安定性においては優れており、法定速度の範囲では極めて安定しているので、出来の悪い軽四などとは比較にならない安心感がある。

ちなみに、エンジンとトランスミッションが二階建てというその特異なエンジン形式から、エンジンオイルとミッションオイルが共有のため、オイル交換は3,000kmごとと、比較的短期間での交換が必要になる。

また、ガソリンはエンジン形式が古いのでハイオクであり、満タンで約34リッター入るが、燃料ポンプの冷却にタンク内のガソリンを使用しているために、25リッター程度で給油することが推奨されている。

この辺りも、現代の自動車とは比較にならないほど、車の構造自体の特殊性をもって運転者に興味を抱かせるきっかけとなっている。(フツーは目が点になる)

そのかわりに、ハイオクとはいえ満タンで100リッター以上入っていた以前に比べると、せいぜい一斗缶程度で済むことにより、レシートに記載された金額はたいへん微笑ましいのも事実である。

[曲がって]

パワステなどという甘えた装備もないので多少腕力も必要になるし、路面によってはキックバックも相当強い。停止したままの据え切りなど以ての外で、その重さは運転者に対して暗に足回りに無理な力を掛けることを戒めている。

ほんの少し車を動かすことで軽くなるにもかかわらず、動力により軽々とハンドルが切れることのメリットに対するデメリットは、パワステ車に乗っている限り実感できない。

しかし、山坂道に差しかかると、俄然その気にさせてくれるハンドリング性能を持つ。ウルトラダイレクトなその操作感は、ロールするほどサスペンションストロークもないことによって非常に安定しており、ハンドルを切ったら切っただけ曲がるという快感を与えてくれる。

また、運転者に対して、舗装のざらつきやうねり、ギャップやデコボコなどの情報は隠すことなく正確に伝えて注意を促し、常に運転者との対話を絶やさないコミュニケーション能力も発揮する。

タイトなコーナーでは、サスペンションが底付きして警告を発するなど極めて饒舌であり、決して乗り心地などという誤魔化しで、その場の状況を誤認させるようなことはしない。

乗っていて面白いのだが、だからといってそれほど速いわけでもない。前述のエンジン特性も相まって、トータルの性能自体はあくまでも60年代のレベルであるし、現代の車と大きく異なるのは、前輪駆動の良いところも悪いところもすべて運転者に伝えてくれる。

要するに絶対的な速さではなく、さほど危険な速度域に達することなしに、あたかも速かったと勘違いさせてくれることが魅力であり、運転そのものを楽しませてくれる車である。

だが、ミニよりもずいぶん後になって設計製造された前輪駆動車、スバル・レオーネ RX  やファミリア 323 などにも乗っていた経験があるが、トルクステアやタックインなどもっと酷かったように記憶している。

あの時代の欧州車が当時の国産車に比べて、いかに進んでいたかという事実にも、いまさらながらに気付かされるのである。

標準のサスペンションは、ラバーコーンという特殊なものである。開発された当時、限られたサイズで機能するコイルスプリングがないので苦肉の策であったらしいが、それがミニの独特の乗り心地を醸し出している。

しかし、そのヘタリも早く3年程度で劣化する。特に、初期に比べて増加したフロント荷重が災いし前が下がってしまうので、ハイローキットという車高調整に必要なオプションも、ミニ乗りの間では定番となっている。

現在では、ラバーコーンに換えて使用できるコイルスプリングも数多く市販されており、メンテナンスフリーという魅力に負けて、我ミニにもハイローキットとと共に組み込んである。この場合、バネレートに応じたショックアブソーバも合わせて交換することが望ましい。

しかし、前述のサスペンションが底付きして音を発することは、その構造上ラバーコーンに底はないので、オリジナルでは先ずあり得ないと思う。

それなりの対策が施されていない、金属コイル製品特有のデメリットの可能性が高い。(金属同士がぶつかり合うので、結構デカい音がする)

ミニ本来の乗り心地に関しても、劣化したラバーコーンしか知らないので、金属コイルとの比較については論評できない。

ここは、新車で購入できなかった者のツライところだが、今更ラバーコーンに戻す金も度胸もない。(だってコイルサスよりゴムの茶碗の方が高いし、それより工賃がもっと高い)

[止まらない]

ブレーキ性能に関しては、ABS などの他力本願な装備などは当然ないので、それなりである。ここでも車重が軽いことが功を奏しているものの、制動距離に関してはすべて運転者の技量に委ねられている。

そもそも、ブレーキの第一目的がタイヤの回転を止めることなら十分な性能と言えるが、車自体を減速または停止させるという点においては、イマイチと言わざるを得ない。踏めばタイヤは止まるが、車は一向に…、という事態になりかねないのである。

基本性能に不満を感じるなら、豊富なパーツ市場に様々なオプションがあり現在でも数多く販売されている。ブレーキ関連にも相当な品揃えとなっているが、大半はサーキット走行を前提としたチューニングキットであるので、価格もそれなりである。

これも、目的と手段を取り違えた安易なチューニングは避けるべきであり、タイヤのグリップを考慮せず、唯々ブレーキ能力を強化してもあまり意味はない。(タイヤが止まるだけ)

全体のバランスを崩してまで、一部の性能強化を行うことはそれなりの犠牲も伴うことが多く、徹底的にやるなら相当な出費を覚悟する必要がある。

もちろん、ノーマル状態でも考え方次第で、改善の方法は幾らでもある。

自動車本来の挙動に対して常に意識した走りを行い、濡れた路面など滑りやすい状況では、自らブレーキを踏む足で、セナ足と呼ばれる貧乏揺すりのようなポンピングを行い、ABS に替わる対策を講じて補うのである。

そうでもしないと、四輪ロックフルブレーキングを敢行すれば乾いた舗装路であっても必ずどちらかに振られ、真直ぐ止めるのは難しい。

標準的なセッティングでは、先ず前輪がロックするので無様にスピンすることも少ないが、パニックブレーキでコントロールを怠ると、我ミニはたいてい右リアが前に出ようとする特性を持っている。

したがって、 十分に止まれるだけの車間距離を維持することと、安全に旋回できる速度まで減速することが手っ取り早く、最も安価な当面の解決策であることは言うまでもない。

かつて教習所で教わった、運転基本講座を実践する意味がある、数少ない貴重な場である。

[安全対策およびその他の装備]

96年以前のミニには、エアバッグなどの衝突安全性などというものは全く装備されていないので、何かあればたぶんイチコロだろう。(あっても大してかわらないと思うが)

だが、自動車の安全性などというものは、運転者に依存している部分が大半であり、それだけに性能を過信する(ほど無いけど)ことなく、車間距離や速度に関して、乗る者が配慮してやる必要がある。

標準で装備されているものは、リアウィンドウのデフロスタと発煙筒ぐらいで変わったモノは付いていない。

エアコンは年式によりあったりなかったりだし、オモチャのような灰皿はあるが、シガーライターもないので電気製品を持込んでも電源供給能力は、自分で改造しなければ全くない。

カーナビやステレオはおろか、パワステ、パワーウィンドウなどおよそパワーを必要とするものは一切ない。間欠ワイパーなどもちろんあるはずもなく、簡潔ワイパーとして完結している。

ただ、もう一台の営業車(2001年式 VW Polo)のように、時間調節のできない間欠ワイパー(なんとデフォ7秒固定!)でイラつくよりは、自分で任意の間隔で手動による動作の方がマシである。

コイツがムカつくのは、一度でも間欠ワイパーからオフにすると再度オンにしても、前回の動作から7秒経過していないとピクリともしない。運転者が間欠であろうが無かろうが、ワイパーをオンにする時は直ちに動くのが礼儀であり7秒も前のことを根に持って人間を待たせるなど、機械の分際で言語道断である。

まるで、1分過ぎて入ったMドナルドで朝食メニューを断られたような気分になる。これを設計したドイツ人は、よっぽど石頭の石部金吉金兜野郎であると断定せざるを得ない。これを書いていても腹の立つ、…大憤慨の余談である。

ましてや、50年代後期の設計から基本的な変わっていないミニなら当然としても、21世紀に製造された車でリアウィンドウにハンドルがついていたのには驚かされた。(もちろんノンパワーだ)

95年式までのミニは、シングルインジェクションで以降のツインインジェクションとの差はどの程度なのかは知らない。だが、燃料噴射をコントロールするコンピュータのせいで、ロッカーアームの交換など、エンジンを下ろすまでもなくできる簡易なチューニングでさえままならない。

根本的な解決はキャブ仕様に戻すことらしいが、これはコスト的にもちとハードルが高い。もっとも効果が高いのは軽量化であり、あまり使用頻度の高くないエアコンを下ろすことも検討し始めて早3年以上になるけど、未だ実現していない。(撮影機材など含めると、以前より重量化しているぐらいだ)

ま、イザという時のことを考えるとその度胸もないし、それ以上に何かを付け加えることによる費用に対しては容認できても、捨ててしまうモノに費用を掛けることは、ゴミの処分に支払う費用のような抵抗がある。

だいたい、壊れてもいないモノを邪魔だからという理由だけで捨ることにも、罪悪感を感じる。それでいて一方では、もう一台走りに徹した真っ赤なミニもあれば嬉しいな、などど不遜な妄想をしていたりするんだから、沼は危険である。

バッテリー充電能力も、家電製品てんこ盛りな、現代の自動車と比べるまでもなく弱い。したがって、強化バッテリーとレギュレータ交換(85W)は定番となっており、これも実施している。

また、そのバッテリーもスペースの関係でリアのトランクに放り込まれており、エンジンルームまでの長距離(といっても精々3mもないんだが)を経由しているため、ノーマル状態では電圧降下が著しい。

事実、アーシングと呼ばれるマイナスアースをボディアースに頼らずケーブルによって送る対策を施した途端に、ヘッドライトのメインスイッチが煙を吹いたぐらいである。当然、スイッチ類はヌルい英国製などに頼らず、出来の良い国産の互換品に交換する必要がある。

95年式までは、驚いたことにエンジンルーム内のガラス管ヒューズを採用という、いわば 60年代で時間が止まったような仕様である。

ヘッドライト回路には、リレーさえも設置されておらず、これが前述のスイッチ類の発煙原因にもなっている。また、ノーマルでは小田原提灯であり、恐ろしく暗い上にその照射範囲も極めて狭い。

で、リレーをメインスイッチとの間に挟んでバッテリーから最短距離で電源を送り込むという、今では当たり前の改善を施したのだが、てきめんにライトは明るくなった。(当社比1.5倍ぐらい)

とはいえ、やっとフツーの明るさになっただけで、照射範囲などの問題は、より抜本的な対策が必要だ。山道などマジで暗い場所では、コーナーの出口が見えないことが多いので、我ミニではフォグランプを2個少し外側に向けてに追加している。

最近では、中国産のおかげでかなり安くなった、キセノンランプなども珍しくない。しかし、あまり色温度の高いライトは、雨の日の見にくさなど環境条件によるデメリットや、ミニのような古い車にとって、機構が複雑になり過ぎることによるトラブルなども増えると聞く。

そんなこと考えると、あまり贅沢をいってもしょうがない。ある程度は、改善に向けて対策も施すが、あまり度が過ぎると沼でおぼれる可能性も高くなる。

要は程度問題なのだが、なるべくオリジナルの良さを失わないように心がけていないと、本来何のためにこの車を選んだのかという、当初の目的や理想を忘れがちになる。

あるがままを受入れ、その中で最良な方法を模索していかねばなるまい、と常々思うのである。

いずれにしても、生産中止から今年で13年になろうとしており、すでに時代に合わなくなってしまった車ではある。

しかし、今がそれほど好きな時代でもないし、時代に合わないからといって、目の前から抹殺してしまうにはあまりにも惜しい。ましてや、他人から見ての価値など、この際一切関係ない。

だからこそ、今そこにあるミニが自分にとって貴重な存在となり、昔から年寄連中にミミタコのごとく聞かされた、モノを大切にという言葉の意味が理解できるのである。

ミニの話、いつかは書こうと思いながら、いつでも書けると思って今まで避けてきたんだが、少し吐き出してちょっとスッキリしたな。

ま、ミニの話になると止まらなくなるから。(8千文字越えの新記録)
だって、コイツはブレーキが…、ね。



…ということで、ヒトツよろしく。
2013年09月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2013.09.28] ミニについて 〜より転載&加筆修正

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