2013年9月8日日曜日

鉄道写真の思い出

東京オリンピック、などとは全く無関係な昔話である。

かつて、某国営鉄道会社(略して国鉄)に勤務していた当時、日々検修作業で目に触れ手に触れていた鉄道車両などに、さほど興味は湧かなかった。

灼熱の夏場、炎天下で排気量が61リッターもある、バカみたいにデカいディーゼルエンジン、それも前後に2つ収まったボンネットに頭を突っ込んで作業することが、雪もちらつく寒風吹きすさぶ深夜の仕業庫で、ペラペラになった制輪子を20個も交換することが、如何に大変であり二度とやりたくはないことか、未だに体が覚えている。

ま、もともと仕事とはそんなモンであろう。安きに流れず、我慢して継続してさえいれば、それなりの恩恵もあったかもしれない。が、姑息なチャレンジャーとしての決意が、簡単に揺らようなぐキリギリスではない。

幼少の折り、父は鉄道模型に凝っていた。カメラにも写真にもラジコンにもステレオにも熱帯魚にも料理にも、とにかく凝っていた。子供の目からは「ウチのパパは何でも知っているし、何でも詳しいんだぞ〜」という、一種尊敬の眼差しで見ていたし、自慢でもあった。

後に聞かされたことだが私が生まれる前、父母も一時は国鉄の職員だった。父は保線区で自ら線路工夫と称していたが、母は電務区という部署で、今ならさしずめ情報通信の中枢だったのかもしれない。(鉄電の交換手かもしれないが、詳しいことは知らない)

そういえば祖母も(母の母)保線区だったように思う。ただ、婆ちゃん以外は私も含めて、みんな長くは続いていない。これも血筋の為せる業か。

父の鉄道模型趣味も、本格的に火がついたのは転職してからだった。

所詮庶民レベルの凝り性に過ぎないので、端から見ればどうということはない程度かもしれない。

それでも、HO ゲージの鉄道模型は12畳の和室いっぱいに拡がり、何時しかそこから移動することさえ不可能なサイズに肥大化していた。天井からは多くのラジコン飛行機(何機かは Uコン)がぶら下がり、壁にはスコップみたいな形をしたエンジンボートが掛けられ、棚の中から2眼レフやレンジファインダーのカメラと、その交換レンズと思しきものが見えた。

もちろん、父の部屋に許可なく出入りすることは堅く禁じられていたが、母親に泣きついては遊びに入って至福の時を楽しんだものだ。鉄道ファンやら航空ファンやら、およそファンと名の付く雑誌が本棚から溢れ、所狭しと山積みになっていた。ディズニーランドはまだ無かったので、奈良のドリームランドぐらいの楽しさはあったように記憶している。

そんなオモチャ箱のような部屋にあるモノは、子供が欲しがるのは必至であり、たぶん駄々を捏ねたのだろう。七五三の写真には電車を抱えて写っているものが何枚か残されている。(ただし、より安価な Oゲージで誤魔化されていたが、私的にはデカい方が嬉しかった)

ある時期、その鉄道模型のジオラマ作りを見学(邪魔)するのが毎日曜日の楽しみになっていた頃、数多くの機関車や電車のモノクロ写真を目にすることがあった。

当時(昭和30年代)は鉄道模型の完成品は少なかったので、一部パーツを除いて全て自作である。転職先の菓子問屋で手軽に手に入れることができる、厚手のボール紙を切って貼って作るのである。

当時の鉄道雑誌にも多くの図面が掲載されており、模型作りの一助となっていたようだが、親父鉄道にとってその寸法ではなにかと問題があったようだ。

今でも多く見かけることができる、EF60 シリーズの電気機関車や、さすがに見なくなった EF58 など、親父鉄道にも何両かラインナップされており、特に茶色のボディーに垂れ目な顔つきの EF58 はお気に入りだった。

しかし、よく見ると長さが少し短いのである。EF というぐらいだから動輪が二軸×3ペアで六軸あるはずなんだが、四軸しかないのである。どうやら、限られた寸法内にできるだけ欲張って線路を配置したおかげで曲線区間の曲率が、中間台車の存在を拒否する事態になっていたらしいのだ。

そのような特殊車両の作成にあたって、できるかぎり不自然にならぬよう、また台車まわりの複雑な構成部品や外装のディティールなど、正規の図面だけでなく実際の写真からも情報を得ていた、という話を後年聞かされた。

ただ、蒸気機関車にはあまり思い入れはなかったようで、多くは電気機関車と貨車、客車および気動車の写真である。若者がより新しいものに興味を持つことは、今も昔も変わらないのかもしれない。(EF60 が最新鋭の頃だしな)

もうすでに、その大量な鉄道写真も行方がわからなくなって久しいので、どんなモノが写っていたのか、絵的にはどうだったのか検証のしようもないが、少なくとも父にとって資料画像としての価値は大きかったのだろうと思う。

晩年は趣味人としての面影も薄く、あまりそんな話題も口にはしなかった。親子共々酒も飲まないので、本音のところはどうだったのかは聞けていないが、今なら写真や鉄道について、もう少しツッコンだ話ができたのにと思うと、残念でならない。



…ということで、ヒトツよろしく。
2013年09月某日 Hexagon/Okayama, Japan

http://www.hexagon-tech.com/
[2013.09.08] 鉄道写真の思い出 〜より転載&加筆修正
なお、本家には写真も多数貼ってあるので、こちらもヒトツよろしく

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